秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(法要とお布施と私と秋日和〜♪)

2022年11月02日 | Weblog
前略。皆様、お変わりありましたか。
紅葉の風景は撮っていません。言い訳ですが、法事があり、久しぶりの多忙でございました。
16年ぶりに、主人のお墓の石碑、外柵その他全てを、手洗いしました。両親の夫婦墓も、洗いました。

近くにお水は引いていないので、持参した容器に入れた水で、コツコツ洗いました。
業者さんに依頼したら、出張費込みで三万円くらいは請求される?
と思ったので、自力で洗いました。仕事優先だった頃には、草刈りだけで一杯一杯で、
気になりながらも、出来ないことのひとつでした。久しぶりに、心底スッキリしました。
指が動くお陰です。左手薬指さんが、頑張って繋がったお陰です。

で、今、一番報道されている、某宗教問題。 
私は神社仏閣に於いての、専門的な知識も教養もありませんが、仕事柄、
見知らぬ土地の神社を通ることが多く、そこに『気』が流れているとかいないとか、
察することは多々あります。

人口減少と地方の衰退。都市一極集中。イコール氏子の減少。
神社の手入れをするのは、人間さまの労力が必要で、地方は高齢化の現状で、
維持するのにも限界があります。

単純に言うと、(もしこのブログを、日本神社庁の関係者が見てたら、ご立腹されると思いますが)
神社仏閣が維持出来るのは、氏子、檀家即ち、生きている人間さまが、いるからでございます。
神様は、声に出して、お金は要求いたしません。

ご先祖さまは、自分の大切な子孫に対して、借金をしてまで、墓を建てろ!
とは、言いません。多分。
某宗教団体は、要求する金額が、高すぎた。それが一番の問題です。

溺れるもの藁をも掴む、それがエスカレートして、洗脳され、数々の悲劇に繋がっていく。
私もずっと、無意識に仏さまの世界に、支配されてきました。

お葬式も法要も、見えない世界だからこそ、お経がなければ仏様が、彷徨うのではないか?
成仏出来ないのではないか?誰もがそんな風に思いながら、
追善供養をしているのではないでしょうか。

日本人は仏様に対して、心底丁寧な民族でございます。
祖谷の風習は今では簡素化されましたが、葬儀においては、
一つ一つの野道具を、集落の人達で手作りしていました。
話が脱線していくので、この習わしを呟くのは、別の機会に致します。

で、法要前々日。
お坊さんへのお布施の袋を準備して、福沢諭吉様を数枚並べて、暫し考えた。
私は本当に現金が絡むと、人格が変わります。おかしな人格が、憑依します。
諭吉様の枚数とお経の内容は変わらない訳で、お布施はいつもお経が終わってからお渡ししてるし、
早い話が、檀家としてのお寺存続に対する、お礼を込めたカンパでございます。

早くから仏様を三人供養してきた私は、今までいくら、お渡ししてきたんだろう。
シビアに考えました。
この罰当たりが!と今思った読者さま、それは私のせいではありません。

働いても賃金の上がらない、貧困層を増やした日本の政治家のオッサン達の責任です。
非正規雇用問題、総活躍社会と名を変えた、年金ケチケチ対策。
そして全てが自己責任ですよーみたいな、薄情な政治。そのツケが、
この目の前の、お布施の金額をいくら包むのか?に、繋がっている。

神社仏閣継続も大切だけど、私は我が家の家電の寿命が、気がかりでございます。
シビアに包んだ諭吉様の枚数を数える。新札はくっ付くから、
くっ付いたまま渡したら損を?するから、2回数える。

故人の法要は、まだまだ終わらない。
大丈夫か?わたし?払い続けられるのか?膝に悪いので、考えないことにした。
晴天の秋晴れに、無事に法要は終わり、心はスッキリ。清々しい。
私って、本当に、仏様が大好きでございますっ。
       合掌  礼拝!
        













































































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