秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(みつまたの季節の独り言・後編)

2020年04月02日 | Weblog
幼少期から私は、
大人を常に観察する、癖があった。
観察しては、時々真似ていた。

山の人達は、挨拶を特に重んじる。今では、そう言う風習はかなり薄れたけれど
今でも昔の方々は、丁寧に挨拶をして下さる。若い人達は、面倒に感じる方々が多い。
「こんにちわ〜」
「ええ天気じゃなあー」
「元気にしよったかえー」
「ありがとうござんす。おかげさんでー」
「ほんなら、休んでしてのーさようなら」

昔はそのような、丁寧なご挨拶が、叔母さんの家に続く畦道で、飛び交っていた。
わたしは、誰を真似たのか忘れたが、何を勘違いしたのか?小学生なのに、そのようなご挨拶を、大人と交わした。
「まあー、菜っちゃんかーうえに遊びにいっきょんかー」
「はい。こんにちわー」

オカッパ頭は、立ち止まって、丁寧に会釈する。
「皆は、元気にしよるかえー」と父母のことを聞かれ、オカッパ頭は、言った。
「ありがとうございますー。お陰で元気にしてますー」
「まぁー。偉いのー、ちゃんと挨拶出来てー」
オカッパ頭は、褒められると、有頂天になる。
何回も何回も有頂天を繰り返した、或る春の、みつまたの季節。

「今日も上にいっきょるかえー」
「はいっ。こんにちわー」
「まあー、まっこと○○ちゃんと、同じ顔になったのー、キョウダイは、えらいもんじゃのうー」
畑仕事の手を止めて、或る人が、そう言った。

○○ちゃんとは従姉妹の名前である。
叔母さん夫婦の長女の、従姉妹のことである。
何気なく、その場を離れ、いつもの様に一日を終えバスで帰り、ポツンと母にその日のことを話しながら、聞いてみた。
「あのな。へんなことを、言われた。同じ顔になったって。きょうだいって何?」
そんなことを、母に聞いた。

「いらんことを……言う」
母は背中を向けたまま、小声でそう、返答した。
ある日を境にして、従姉妹が実の姉だと聞かされた、子供心に感じた訳の判らない妙な戸惑い。
昔は子供の出来ない夫婦に、親戚同士で、養子縁組をしていた。村の人達は、其々の事情を知り尽くしていた。

が、口にしなければ、絶対に秘密に出来る。
私に話したその人の顔は、嘲笑うように見えた。
何十年の歳月を見送り、今だから判ることがある。

買い物カゴに何かを持たせて、私をお遣いにやった理由。
父母は、姉の暮らしを、何かしらの方法で常に、知りたかったのではないか。
そして、姉を感じたかったのではないか。

光陰流水。
産まれた子供を養女に出した、父母の口には出せなかった葛藤。
養女に出された姉の人生に於いての、深い胸中も察することが出来る年齢になった。
父も母も、姉の幸せを、ずっと願いながら、暮らした筈だ。

客観的な私とは真逆で、姉はお人好し。私はあんなふうに、酒酔い相手に、優しくはなれない。
高知市内で、小さなカラオケ店を一人で何十年も営んでいる。

或る日。
常連のお客様が、一人でやって来た。お客様は、一人。
……で、お客様。
「ママさん、マイッタ!マイッタ!仕事を減らされた〜今月の生活、メドがたたん〜」
「おんなじ、おんなじ。ウチも暇でメドがたたんがでぇー」
「ママさん、聞いて、聞いて」
○△□○△⭐︎○△□○
暫く、お客様の愚痴を聞く姉。

「元気、出しなやー、気分転換しいやー、今日のビール代は、いらんけんねー頑張りなやー!」

何十年もお客様に愛される理由が、判る。人柄は、窮地に立たされた時に、思い切り、現れる。
兄弟、姉妹。

いつかは、どちらかが、先に逝く。
同じお腹で育ち、産まれ、幼い時間を過ごし、其々に大人になり、歳を重ね、必ず互いに迎える最期。
母に感謝している。
姉を産んでくれていた事に、感謝している。

何の世界を生きているのか、何の為に生まれて来たのか、訳の判らない今の世界で、
共に昔を語りながら、時に大笑いする。そんな相手をこの世に存在させてくれた母に、感謝している。

みつまたの花の季節の、ほろ苦い思い出。
伝えたい言葉は、今日の内に伝えよう。
伝えた相手も、全て消えてしまうけど、私達は、魂の中を浮遊しながら、彷徨っている生き物だから。

其々に大切なものに、
其々の大切な人に、
ありがとうって言葉は、何て素敵な魔法なんだろう。

          かしこ































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