秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(彼女の帰省と・時々わたし)

2021年12月05日 | Weblog
前略。

東京に出稼ぎに行って11年余り。十月の初旬。彼女から電話が掛かった。

『あのね。お義父さんの介護に、介護休暇をもらって、暫く祖谷に帰るから。
退院したら、施設に戻らないで、そのまま自宅に連れて帰ることにしました』
準備万端で、それは彼女らしい、いつも通りの事後報告の電話だった。

彼女のお義父さんは伴侶を失くした後、一人暮らしが困難になり、地元の施設に入所していた。
ここ数回肺炎を発症し、容態が悪くなり、町の病院に救急搬送され入院していた。

この二年間の面会制限の中、彼女は自問自答を繰り返した。
と言うより、多分、彼女らしく、故郷帰省、お義父さんを
自宅で看取ると言うワードが、スルッと答えみたいに、落ちてきたんだ。
彼女はそれを迷うことなく、実行しただけなんだ。と私は、勝手に推測している。

コロナが少しだけ終息した10月の半ば。晴天の日曜日。
私達は二人で、明日退院するお義父さんの部屋を掃除していた。
お義父さんが最期に過ごす部屋だ。
昔、お義父さんのお母さんが使っていた、離れの二間続きの部屋。

数年空き家になっていた部屋は、お義父さんの置いていたトウモロコシの実のお陰で、
ネズミの温床となり、酷いことになっていたらしい。
第一弾の掃除を頑張ったのは、隣村に嫁いでいる彼女の長女様。

私達は窓ガラスを拭きながら、彼女と村の福祉事情を語りながら、
お義父さんのベッドの位置をあれこれ考えていた。
「この窓側にしよう!ここなら、外の景色見れるから、オッチャン、喜ぶわ!」
『そうじゃなあ。この場所がええな』

静かに流れる時間。数台走る車の音だけが、窓越しに聞こえるだけ。
私はオッちゃんには悪いけど、少し嬉しかった。少しと言うより、かなり嬉しかった。
この場所を週一に訪れて、オッちゃんのオムツ交換をしながら、
この景色を眺めての彼女とのコーヒータイム。介護は続くよ、どこまでも〜!みたいな。

『あのな、昨日帰って真っ直ぐに病院に寄ってな、面会時間10分だったんよ。
それで、お義父さんに声掛けたら目をあけてくれたんよ。それで
『じいちゃん。月曜日に家に帰ろうな』って呼びかけたら、
『ありがとう』って、ニッコリ笑って頷いてくれたんよ。

良かったなあ。オッちゃんに伝わって。オッちゃん、うれしかっただろうなあ。
私達は、何かしらの積もった話しをしながら、粛々と掃除をしていた。

彼女の家の敷地には、三棟の家が建っている。真ん中の家は一番古い、お義父さんの家だ。
施設に入所してずっと、空き家のままだ。その家で3人の子供を立派に育て、
二人の子供が村を出て、長男である彼女の夫が、家を継いだ。
そして、息子が彼女と出会い、彼女達は、四人の子供に恵まれた。
書いているうちに、お葬式のナレーションみたいになった。

そして、1ヶ月後。
彼女はお義父さんの空き家の片付けを始めた。
一軒の家の中には、様々な生活用具が、ぎゅうぎゅうに詰まっていて、
いつになったら全て処分できるんだろうかと、気が遠くなる様な作業だった筈だ。
私も少しだけ手伝った。頼まれもしないのに、手伝った。
いつもみたいに、『行きなさい‼︎あなたの出番です!』と神様の声がしたから。

村のシルバー人材さんにも奮闘して頂き、薄暗かった大量に物に溢れていた部屋は、
スッキリと片付けられ、縁側のある美しい、ちょっとした古民家になった。
誰も住まないのに、掃除機をかけ、床を拭いて、家の中の神様に、
これまでの感謝を込めて、埃を払った。
 
彼女の暮らした家の中には、薪ストーブがある。
私達は彼女がここで暮らしていた頃、この場所にみんなで頻繁に集まり、和やかな時間を過ごしていた。
宴もたけなわになった頃、何故オッちゃんはGパンにシャツをインして、必ず隣からやってきた。
そして、2階に続く階段に腰掛けていた。

オッちゃんに退屈させてはならないと、私はオッちゃんに色んな話を振る。
大枝の武家屋敷の石垣を積んだのも、オッちゃんだと聞いた。数人の方と造りあげたと、
オッちゃんは自慢して、意気揚々と話してくれた。

あの頃一緒に薪ストーブの火を眺めた時間。同じ空間で、同じ感覚で、心が一番安らかでいられた。
14年前だったか。彼女が私に話したことがあった。

『私な、主人の親を看取るまでここでがんばって、主人に褒めて貰いたいんよ。頑張ったのって』

それから彼女は、色んな現実問題に直面し、村を去った。
そして、11年の時を超え、お義父さんのターミナルケアを決意した。
まるで、岩と苔の隙間を流れる水が、砂塵を少しずつ押し出すように、
長い月日は感情を優しく変化させてくれる。人生は、
自分が選択する方向に向かい、道が広がっていく。

12月5日。日曜日。今日はお義父さんの五十日祭だ。
あの日、二人で窓ガラスを拭いていた時、病院からの電話が鳴った。 
お義父さんが、息を引き取ったとの、連絡だった。

ダンディだったオッちゃんは、嫁にだけは、老いた姿を見られたくなかったのか、
私にも?見られたくなかったのか。
ありがとうって、優しい言葉を最期に残し、旅立った。

オッちゃん、
最期が1番、ダンディだったよ。
カッコ良かったよ。誰かに感謝して逝けることは、最高の終わり方だよ。

あちらに行って、長男に会えたら、
伝えてあげてね。
嫁は誰にも頼らないで、一人で、子供達を立派に育てあげたと。
 
さようなら  オッちゃん

冬空を 仰ぎながら

            拝礼
































































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