歩いていて、はっと気づき、時期だから生っていることだろう、と周りをキョロキョロと
見ながら歩いていると行く先々で小粒ながら、零余子が生っている
彼方此方で採って零余子飯をするぐらい採れた、晩ご飯は今年最初の零余子飯にしよう
自然の織り成す四季の機敏に、気づき、丁寧に、いま、ここに、生きる、を実感するごとに
自分の平凡な人生のある一日が、いつもと違って輝いてしまうことのうれしさ、たのしさ、を
クオリアとして感性に映し出すことによろこびを感じる
が、それも一時のこと時間の流れがすべてを過去のものとしてしまう、なぜだかわからないが
過去が流れ去って、どこかに行ってしまう一秒前、10分前、一年まえ、100年前も同じことである
90年、100年生きたから、もう、充分だ、何時死んでもいい、とはならない、
100年の過去が消えてしまっているのだ、クオリア(質感)としは確かめることさえ出来ない、
確かな質感として身体に触れることが出来るものは、いま、ここに、生きていることだけである
時間の流れは不思議なものだな、人生のすべてを押し流してどこかへ消してしまう、このやるせなさ、寂しさは
だからこそなのか、いま、ここに、生きていることが愛おしいのかもしれないな
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