つい10年ぐらい前まではあんなに何処も彼処も花だらけの村で
村人も取り立てて珍しい花とも思わず、街から訪れる人たちが
喜んでカメラに収めることを不思議そうに眺めていたものでした。
村人たちはそこにごく自然に昔から咲いていたわけですから、それは
普通に足元に咲いている花と同じようになにも気に留めることなしに
吸っている空気と似たような感じでいたのでしょうね。
そのような存在の花が村人の目の前から、波が引くように徐々に静かに
姿を消すようになったのは、4,5年前からのような気がします
集落から集落を近道で結んでいるむかしの生活道の赤道の彼方此方に
何気なく咲いている福寿草は可憐そのものでした
どんな人気のない山道を歩いていても其処に咲く花、一草一木は悉く
生き生きとして、その季節が来るのを待ちかねているような風情を
していたように、ぼくには思えたものです。
それが、しだいに生気が無くなりだして、ひとつの群生がいつの間にか
消えていたり、掘り起こされていたりして歯抜け状態になっていたりと
哀しいことになりだすとあとはもう、どうにもなりませんでした。
環境、気候、ひとの変化もあり、最近ではほんとに少なくなっています
10年ほど前の雪の下から顔を出した黄色い花々もいまは数えるほどに
なっています。
目を輝かせながら歩いた「美しき小径」は最早望めそうもありません
悲しいことです
あんなに何処もかしこも花だらけの村であっただけに早春の黄色い花の
いまの状況はなんとも云えぬ侘しさのようなものというか、凋落の感じが
いっそうひしひしと愛しく思うのです。
ふくじゅそう
ときに悲しみという、時によろこびという
あなたが愛してくれるので、さながら風という
あるいは木という、雪をかぶせて愛してくれる
息をこらしてそっと顔を擡げて世界を変えよう
太陽が愛してくれるのを、ひそかに待つわたし
為すすべもなく予言を想って土に身をゆだねて
夕暮れのなかにわたしのこころを探しつづける
忽然と世界に決別しわたしは消える闇のなかに



祖谷の友人が教えてくれた、冬の祖谷が見せてくれる贈り物。人の好奇の対象となり数を少なくしているのは残念なことです。
特に私のようにたまに訪れるだけの人間は、遠くからそっと見守るような謙虚さを忘れてはなりませんね。
この黄色い花は毒草なので、鹿も猪などの
動物は一切食べません。
ですから本当なら増えていいのですが人が
好奇心から食べてしまいますね
大胆にも鍬を持ってきて掘り起こして取って帰るようです。
土地の人たちは怖くて取らないようにと
云えないと残念がっていました。
ヨリヤン?さんに教えてもらいましたが、低地にもってっても枯れるか綺麗には咲かないそうです。カメラに収めて見て楽しむ位にすべきですよね。
しかし、自然保護は多くの問題を抱え難しい面がありますね。似たような問題で、動物愛護というものがありますが、突き詰めれば飼わないのが一番動物愛護に叶うのですが、こうした事に取り組む人は、得てして動物を慰み物にして消費する側なんですよ。
自然保護はもっと難しく多種多様な関わり合いがあり、すでに回復不可能なもの、人間が関わらなければ自然に回復出来ない所まで来ているものもあります。
自然を娯楽のために浪費するのをどのように対策していくか難しい問題です。ブームで食い散らかされて浪費されるにはあまりにも惜しい。