秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

彼岸に寄せて(爺やんの独り言)

2009年09月21日 | Weblog
私は幼い頃から、学校の長い休みの季節には、母の生家に泊まりに行った。
ひとつ違いの、従姉妹がいたせいもあり、自然の中で、様々な冒険をしながら、育った。
道路に面した、自分のオンボロ家とは違って、山の家は、車も走らない。田ンボの回りには、れんげ草が咲き乱れ、王冠を編んだり、タニシを見つけたりして、遊んだ。
あの頃、爺やんや、回りの大人は、タバコの葉の栽培をしたり、蚕を飼っていた。

爺やんは、いつも汚れた浅黒い服で、畑にでたり、薪をこしらえたり、家の周辺で、何かしら、働いていた。
そんな爺やんも、時々バスに乗って、私の家まで遊びに来ていた。そんな時の、爺やんの身なりは、きちんとしていた。シャツを来て、その上から、ブレザーのようなものを、はおり、ズボンをはき、細いベルトをしていた。帽子も、被っていた。
山の上の爺やんとは、別人みたいで、少しかっこよかった。


せっかく、訪ねてきても、食堂が忙しい時は、父にも母にも、構って貰えず、一人でテレビを見たり、ごろ寝をしていた。
私も、退屈した日は、一人遊びをしていたので、退屈そうな爺やんが、なぜか仲間に見え、爺やんの傍にいた。

いつだったか、天井を見ながら、仰向けに寝転び、突然、
『ハッハッハーノハッハッハ』
と高い声で、独り言を言った。
私はびっくりして、『何?それっ』
と聞くと、
爺やんは、寂しそうに小さく笑って、
『ハッハッハーノハッハッハ』よと答えた。
その訳がわかったのは、爺やんが、死んでしまったあとだった。

私は山の上の家に行くと、必ず真っ先に、爺やんの隠居部屋を訪ねた。
叔母さんは、足の裏が真っ黒になるから、行くなと止めたが、爺やんの座る場所は、囲炉裏端。
正面に座って、爺やんのする何もかもが、珍しかった。

爺やんは、
必ず最初に、
『いも、食うか?』と私に聞く。
お腹は空いてなかったが、取り敢えず、『うん!』と答えた。
爺やんは、手品のように、炊いたいもを「するり」と取り出す。
しばらく囲炉裏の網で焼いてから、次に必ず聞く。『味噌、付けるか』
どうでもよかったけど、
『うん!』と返事をした。
サビだらけの、小さな缶の蓋をあけ、味噌を取り出し、細いヘラのようなもので、味噌をいもに塗る。節々に染み付いた、煤だけの手で、私にそれを差し出す。そして、聞く。
『うまいか?』
「うん、旨い!」

私に一番最初に、マッチのつけ方を、教えてくれたのも、爺やんだった。
父は、危ないからと、私にマッチを触らせてくれなかったが、爺やんは、
『なんでもやらな、なんにも出来んぞ!』
と言って、
マッチを何回もすらせてくれた。
爺やんの真似をして、小枝を囲炉裏の火の中にいれて、火の粉が天井に上がっていくのを見て、遊んでいた。囲炉裏端は、爺やんと私の陣地のようなものだった。

元気だった、爺やんも、酒の量が次第に増えて言った。

爺やんは、次第に薄暗い寝間で、一日中、寝る事が多くなった。

遊びにいっても、
囲炉裏端に座る事もなく、私が帰ると、いうと、必ず『まて…』と言って、奥の寝間から出てきて、また這いながら、寝間に何かを取りに行って、また戻ってくる。
そして、手に10円玉を握りしめて、私にくれた。
そんな日が、いくどとなく、続いた。

私の家に、
ある朝早く、山の家から電話がかかった。
『爺さん、朝から姿が見えん!』

爺やんが、
いなくなった。


栗枝渡集落から見る落合集落(重要伝統的建造群保存地区)
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