秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

彼岸に寄せて(永遠の白黒写真)

2009年09月23日 | Weblog
夜になると、囲炉裏端は、大人達に、陣取られた。
集落の知らない人や、何度か顔を見た親戚の人達が、爺やんを眺めるように、座っていた。私は、大人の身体の、少しの隙間をみつけて、その肩の間に、納まった。
爺やんが、寝間に寝かされていた。いつもと別の方向に、寝かされていた。
私は、大人達の隙間で、たくさんの声を聞いた。囁くように話していても、子供の耳は、高度抜群に、根こそぎ、声を集められた。

「淵の底に、引っかかとったんじゃと~」
「何回か、竹で突いたら、上がってきたんじゃと!」
「竹で突いた傷、手に残っとるわ、ムゴイのうや~」
「酒、姉さんに取り上げられとったんじゃと!」
「淋しかったんじゃのう、ムゴイのう…」
「殺されたようなもんじゃの…」


記憶の中に、私の母親の、映像が映らない。きっと、母屋で、寝込んでいたのだろう。

深夜になって、集落の人は、帰って行った。隠居部屋は、少しだけ静かになった。

爺やんには、十人の子供が、いた。
昔は、どこの家も、子沢山だった。でも、今のように医療は進んでいなかった。
原因不明の病を始め、食べ物を喉に引っかけたり、様々な原因で、数人の幼い命が、消えていた。
爺やん達も、女の子を一人、亡くしている。
十人の中に、酒癖の悪い、伯父さんがいた。酒に、飲まれてしまう、大人がいた。

一人の伯父さんが、泣きながら爺やんの布団を、一緒に被ろうとした。
兄弟達が、馬鹿な事をするなと、止めていた。
「わしは、おやじが惨いんじゃあ!今日は、おやじと一緒に、寝てやるんじゃ~」
鼻水を垂らしながら、泣き叫んでいた。

騒がしい子供達とは、対象的に、爺やんは、静かに死んでいた。

昔、祖谷地方は、土葬だった。火葬場もその年位に、建てられたが、まだまだ、土葬の風習が残っていた。墓地に、大きな穴を掘り、仏様を六角の柩に納め、埋葬する。
柩は、1メートル位の高さで、幅が70センチ位だっただろうか。

あくる日の夜、爺やんが、埋められていた。また、大人達が、眺めるように、回りを囲んでいた。
十月の終わり、寒かったのか、回りを照らす明かり代わりなのか、大きな火が、焚かれていた。
私は、また、大人の肩の隙間に、潜り込んで、爺やんを見ていた。啜り泣きが、聞こえる。隣で、泣いていた大人に、私は顔を見上げて、聞いた。
「爺やんは、殺されたようなもんなん?」
少し間を置いて、
その人は、頭を縦に
振った。
そして、人差し指を自分の口に、あてて、私に目で、合図した。
私は、黙って、ずっと爺やんを見ていた。


爺やんの「死」を境にして、暫く故郷、そして生家と、疎遠になった、兄弟姉妹達。


あれから、36年が、過ぎた。
爺やんの子供達も、既に四人が、他界している。
私は、覚えている。
叔母さんは、爺やんの世話を、長男の嫁として、精一杯、やっていたことを。
酒に溺れた、爺やんの身体を、心配していた事を。

そして、爺やんは、寂しかった事を。

あの日、
爺やんが言った独り言。
私は、数ヶ月後、家で爺やんと同じ恰好で、天井を見た。
細長い電灯の、器具の部分に、規則正しく、穴が開けられている。カタカナで書いた、ハの字に見える。
『ハッハッハーノハッハッハ』
声に出して、歌ってみた。


私の心の白黒写真。囲炉裏端の爺やんが、永遠に、そこにあるー。
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