奥祖谷遺産ともいうべき木馬路を歩いた。
集落から尾根に取り付き、高度を上げて、歩き出したが、先日降った雪が
まだ、所々に残っていた。
標高900まで登ってくるとちょっとした広場に出た、木馬路の出発点なのか
周辺は雑木に覆われているが平らに均されたまま残っている。
Hideさんは一度歩いているらしいから、案内を乞い、行こうかと歩き出した
続いてyoriyan、しんがりは僕である、なにしろ足を傷めてかあまり長歩きを
していないから、心配であるが木馬路と聞いては心穏やかではない。
山の山腹というものの、一種独特の雰囲気というものか何ともいえぬ侘しさ
のような、いわば、凋落の感じが一層ひしひしと迫って来るように僕は感じたが
それは強ち時代の変化で役目を終えて打ち捨てられた哀しい運命かとも
想われて、僕はこの侘しさが好きなのかも知れない。
どんなに人気のない山路を歩いていても一草一木ことごとく生き生きとして
その季節が来るのを黙って辛抱強く待っているのが僕の身体を突き抜ける
のを、種々の小鳥の囀りが樹上を飛び交うなか、ミソサザイの優しい声に
微笑んでいる僕を嬉しく思う。
奥祖谷の山麓を這うように付けられている生活路や仕事路は登山道
などのような華やかさはないが、一歩引いた控えめさと黒光りする
歴史が散りばめられて僕は好きである。
木馬路で働いた人々は家族のために生活の糧を求めたひと、はたまた山持ちは
材木の価値が高かった頃だから、一攫千金を夢見たであろう。
事実奥祖谷には千金を手にした人々も少なからず居られたと云われる、
いずれにしても、多くの人達が危険を犯して一心に働いた苦労の跡を辿り
印象に残る山歩きとなった。
相当な距離を歩いたが、標高800-900を粗保ち、平らで路幅も平均的に
そこそこの広さを確保していた。
材木を切り出し運搬するには細心の注意を払い運搬の容易さや怪我しないような
設計を要して造ったのであろうと思わせた。
路の上下、即ち山際、谷際には随所に膨大な石積みがしてあり
山際は1,2mの高さであるが、特に谷際は高さ、幅とも、
数十メートルに及ぶ石積みは昔の人たちの技術の高さと確かさを
想い知る素晴らしさであった。
奥祖谷木馬路を造った昔の人たちの素晴らしさと大変な苦労に想いを
馳せながら、それぞれが山の恵みと自然の大切さを実感したものである。
雪の果 男の夢や 木馬路
集落から尾根に取り付き、高度を上げて、歩き出したが、先日降った雪が
まだ、所々に残っていた。
標高900まで登ってくるとちょっとした広場に出た、木馬路の出発点なのか
周辺は雑木に覆われているが平らに均されたまま残っている。
Hideさんは一度歩いているらしいから、案内を乞い、行こうかと歩き出した
続いてyoriyan、しんがりは僕である、なにしろ足を傷めてかあまり長歩きを
していないから、心配であるが木馬路と聞いては心穏やかではない。
山の山腹というものの、一種独特の雰囲気というものか何ともいえぬ侘しさ
のような、いわば、凋落の感じが一層ひしひしと迫って来るように僕は感じたが
それは強ち時代の変化で役目を終えて打ち捨てられた哀しい運命かとも
想われて、僕はこの侘しさが好きなのかも知れない。
どんなに人気のない山路を歩いていても一草一木ことごとく生き生きとして
その季節が来るのを黙って辛抱強く待っているのが僕の身体を突き抜ける
のを、種々の小鳥の囀りが樹上を飛び交うなか、ミソサザイの優しい声に
微笑んでいる僕を嬉しく思う。
奥祖谷の山麓を這うように付けられている生活路や仕事路は登山道
などのような華やかさはないが、一歩引いた控えめさと黒光りする
歴史が散りばめられて僕は好きである。
木馬路で働いた人々は家族のために生活の糧を求めたひと、はたまた山持ちは
材木の価値が高かった頃だから、一攫千金を夢見たであろう。
事実奥祖谷には千金を手にした人々も少なからず居られたと云われる、
いずれにしても、多くの人達が危険を犯して一心に働いた苦労の跡を辿り
印象に残る山歩きとなった。
相当な距離を歩いたが、標高800-900を粗保ち、平らで路幅も平均的に
そこそこの広さを確保していた。
材木を切り出し運搬するには細心の注意を払い運搬の容易さや怪我しないような
設計を要して造ったのであろうと思わせた。
路の上下、即ち山際、谷際には随所に膨大な石積みがしてあり
山際は1,2mの高さであるが、特に谷際は高さ、幅とも、
数十メートルに及ぶ石積みは昔の人たちの技術の高さと確かさを
想い知る素晴らしさであった。
奥祖谷木馬路を造った昔の人たちの素晴らしさと大変な苦労に想いを
馳せながら、それぞれが山の恵みと自然の大切さを実感したものである。
雪の果 男の夢や 木馬路
徳島の鶴林寺、太龍寺を歩いてウエルカメの浜まで、疲れはててしまいました。
山の中の遍路路にも、先人の苦労がしみ込んでいるような石組が残っていました。
勝浦の奥の奥・ふれ合いの里、坂本・(泊)
・お雛様の奥座敷・家の塀に庭に、竹の中に、ビニールハウスの中に、住民聡参加の雛飾りに癒された遍路でした。
勝浦とは遠いですね、未だ行ったことないですが、昔の風情が残って良い所でしょうね。
何時かは行ってみたいです。