30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

5月の色を食べるサヤエンドウ

2012-05-30 | キヌサヤ

5月26日に中学校の同窓会があったことは前回書いた。この同窓会はクラス単位ではなく学年全体で行った。団塊の第一陣だから生徒数は多く当時は8組まであった。会場に足を踏み入れると、まったく知らない連中ばかりだ。50年近く会っていないのだから、だれがだれだかまったくわからない。会場を間違ったかなと思ってしまう。同じクラスの旧友の顔を見つけて、やっとほっとする。相手がわかれば、すぐに打ち解けて話せるのが中学時代の仲間のいいところである。

幹事の報告によると、一割の人がすでに亡くなったいう。ということは40人を超えた。もうそんなに亡くなったのかとしんみりしてしまう。しかし年齢を考えると、ひとりまたひとりとあの世にいくのはそれほどの驚きではないものの、同窓会の楽しい席で、同時に訃報に接するのはなんともつらいものである。前回書いたK子さんもそのひとりになる。いまごろは天国だろう。私はそこには行けない。26日の帰りの電車の中で、おれはきっと地獄行きだろうなと確信した。こんなおれに阿弥陀様は迎えには来ない、と覚悟している。 

サヤエンドウが収穫の真っ盛りである。サヤエンドウの味は、ゆで過ぎるとぺらぺらした食感でまずくはないがうまいとは思わない。どちらかというとやや硬めのほうがいい。それでもうまいものだとは思わないが毎年作る。色合いが好きだからだ。その淡い緑色はさわやかな5月にぴったりで、まるで清々しい5月の季節を食べている、と感じるのがいい。

サヤエンドウは取れ過ぎるのが困る。摘むのが面倒になるくらいできる。今年はあまりできがよくない。それがかえって2人の食卓にはちょうどいい分量になっている。3,4日ごとに摘む。徐々に花数が少なくなっている。今月いっぱいかな。それとも6月過ぎまで摘むことができるかな。サヤエンドウは連作障害がすぐ出る。顕著に出る。それだけに植えつける場所だけは間違わないようにと気をつけている。

かみさんはあいかわらず留守だ。きょうの昼もぺぺロンチーノにするか。ちょうどサヤエンドウがあるからこれを入れてみよう。スパゲティは日本でいえばうどんと思えばいいのか。どんな具を入れても、まずくならないで食べられる。わたしでもなんなくできるのがいい。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2年ぶりにまっとうなソラマメができた

2012-05-27 | その他

きのう26日は中学校の同窓会に出席した。生まれが団塊の第一陣だから、年金を満額もらう年になった。電車でふるさとへ。どうしても気になることがあった。受付を済ませてすぐに幹事にたずねた。「K子さんはどうした」「還暦のあと1,2年後に亡くなった」。もしやと思っていたが、やはりそうだったか。K子さんには4年前の還暦を祝う同窓会で再会した。40年ぶりだった。その間、「どうしているだろうか」とふと思い出す方だった。そうなる付き合いが若いころにあった。40年ぶりの姿に変わりはなかった。うれしかった。しかし「ガンで、このあとすぐに入院する」のだという。口ぶりからすると具合が良くないことがわかった。こんど電話するよ、と番号を聞いた。それから4年が過ぎた。一度も電話できなかった。具合を聞くのが怖かったからだ。私からの電話を楽しみにしていると友人に語っていたと聞いていた。それが、すでに2年前に亡くなっていた。40年ぶりの再会がとわの別れになっていた。なにがなんでも電話すればよかった。力になれなかった。この年になってもこんな失敗ばかりをやっている。最終電車の窓に映る自分をなじった。情けなかった。

ソラマメを収穫できた。まっとうなソラマメなんて2年ぶりのことだ。薬剤のおかげである。あのいまわしいアブラムシの被害はまったくみられなかった。薬剤の効果は絶大だった。家庭菜園で薬剤を使うなんてと言う人は多い。わたしもその一人だが、ソラマメをめぐってアブラムシとの戦いに破れた。乾坤一擲、捲土重来、起死回生には薬剤が必要だった。

2年前まではアブラムシによる被害はそれほどでもなく収穫は順調だった。それが一昨年、昨年とつづけてアブラムシにやられた。完敗だった。ことしはちがった。一匹のアブラムシも見えない。不気味に思われたくらいだった。それだけに生育は順調だった。さやが膨れて、空を向いていた。それがしだいに下がってきた。

そろそろ食べごろである。けさは暑いくらいの陽気だった。さやが下がったものから順次収穫していく。収穫の期間は短い。これからは毎日のようにまめに取る。晩酌のつまみになる。ソラマメは夏を呼ぶ。清酒よりやはりビールがいい。2年ぶりの“豊作”だから喜ぶべきところだが、素直に喜べなかった。昨夜の後悔がいまも心に重くのしかかっている。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やむなくタネを買ったラッカセイ

2012-05-25 | ラッカセイ

いい陽気ですね。だれかれなくそう声をかけたくなる気分だ。ずっとこのままでと望みたいのだが、静かに雨季が近づいている。季節はいつもそうこうしているうちにやってくる。我孫子の手賀沼の湖畔にたたずむと小さな波を湖面に立てて風がわたる。なんとも気持ちがいい。白鳥の親子がやってきた。雛が5羽いる。その羽毛のなんともやわらかそうなこと。コブハクチョウの親子である。人の姿を見ると湖岸にやってくる。餌をもらうためだ。しかしいくら待っても餌がもらえない。所在なげだ。ここに長居しても仕方ないかと迷っているように見える。

ラッカセイがやっと芽を出した。ことしは一昨年のタネをまいた。タネは前年収穫したものの中から充実したものを選んでまくのだが、昨年は収穫したものをうかつにもすべて食べてしまった。タネにする分を残さないといけないのにだ。あっと気がついたときはあとの祭りだ。さてどうしようか。そうだ、一昨年に収穫したものが残っていたはずだ。

それをまいたが、やはり駄目だった。発芽率が極めて悪かった。土の中で腐ってしまっているのが多かった。少々古くても芽が出るのではないかと期待したのだが。こうなると買ってくるほかない。タネは長いこと自家採種したものを続けて使ってきた。ここらあたりで更新するのも悪くはない。

再度まきなおした。芽が出てきた。オクラの発芽でタネまきは最後かなと思っていたのだが、まだこのラッカセイがあった。ラッカセイは気温があがらないとなかなか芽を出さない。タネまきは5月の中旬ごろまで待てばいいことはわかっていながら、早めにタネをまいてしまうから、芽が出ない芽が出ないと内心いらいらしながら待つことになる。今回は不幸中の幸いというべきか、ちょうどタネまきにはいい気温になっていた。1週間ほどで芽を出してきた。このラッカセイの発芽でタネまきはすべて終了した。4月と5月の春の繁忙期を乗り切りほっとしたところである。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏のあいだ、欠かさず食べたいナスとキュウリ

2012-05-23 | キュウリ

  ↑キュウリの発芽
↓ナスの発芽 
  

野菜はたいがい一度にタネをまいたり植えつけたりするから収穫の期間は限られる。夏野菜もそうだ。わが菜園でもナスとキュウリをのぞいて皆そうである。

わが家では、というより、私の好みでナスとキュウリだけは別格だ。これだけは夏の間、毎日食べたい。とくにその漬物が好きである。そのため夏の間、一日も欠かさず取れるように工夫をしなければならない。なに、工夫といったって、ある程度の間隔をおいてタネをまいていくだけの話なのだが。

先に植えつけたナスやキュウリの実の成りが悪くなったころ、あとに植えつけたのがタイミングよく実をつける、こうしたバトンタッチが夏が終わるまで続けることできればいうことなしである。

ナスは収穫が長く、秋分の日ぐらいまではらくに取れる。キュウリは8月いっぱいまでかな。ナスはこうした繰り返しがうまく行くのだが、キュウリがよく途切れる。もちろんこれは私の不注意である。次の世代へのバトンタッチがうまくいかずにしばらく途切れてしまう。途切れた時は仕方ないから買って間に合わせる。キュウリの寿命は割合と短い。それを見越してタネまきをしなければならないのに、忘れしまい、それで対応が遅れてしまう。

1回目のナスとキュウリはすでに植えつけた。いま花が咲いている。そこで2回目のタネまきをした。両者のタネまきはいつもポットまきだ。いまちょうど発芽した。本葉が出たら畑に定植する。夏野菜のタネまきと植えつけは一段落した。これからはこの両者の面倒を見なければならない。自分の口に入る好きなものなら、この面倒も苦にはならない。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビニール被覆資材を取り払う

2012-05-21 | その他


ビニールのトンネル掛けを取り払った、トウモロコシ、ニンジン、エダマメ(上から)

けさは我孫子市からも金環日食が見えた。2カ月前ぐらいからこの話題でもちきりの印象が強い。この大騒ぎはなんなんだと無関心をよそいながらも、目が覚めるとくもり空で、これだと見えない、やっぱりだめかとあきらめた。ところが7時30分すぎたころ、あたりがほんのわずかに暗くなった。おやっ、と思ったら2階で眺めているかみさんから声がかかった。てっきり見えないとばかり思っていたが、ちょうどこの時間になったら、きれいに見えた。あたりまえだが日食は子ども時分のほうが驚きがあった。

おととい19日の断水には不意を食らった。外出から戻ってきたら、防災無線で午後1時30分ごろから断水だという知らせだ。音声が聞きにくい。状況を把握するため市のHPにアクセスするが閲覧できない。市のHPはなにかことがあったときはいつもこうだ。そこで隣りの柏市や野田市のHPを見ることにした。すぐ閲覧できた。利根川水系から取水している浄水場から基準値を上回るホルムアルデヒドが検出されたため、千葉県北西部は軒並み給水停止の措置を取ったというわけである。これでやっと事情は飲みこめた。問題は、この給水停止がいつまで続くのか。再開の見通しの情報はまったくない。それでも対応しなければならない。すぐに空のペットボトルを総動員して飲み水の確保。浴槽にトイレ用にと水をためた。断水になってもわが家の水道はふしぎと利用できていた。その夜、9時30ごろに給水再開の防災無線があった。これで風呂に入れた。かみさんはこの”非常事態”を知らない。山歩きに出かけてしまっていた。緊急時の市のHPは肝心のときに役に立たない。防災無線は本来の機能を発揮した。いつもは徘徊老人の保護協力要請ばかりだったのにだ。このところ心穏やかではない。地震、余震に続いて竜巻災害、それにこの断水騒ぎだ。

前置きがすっかり長くなってしまった。短く書こう。いま畑で収穫できているのは、サヤエンドウ、ルッコラ、コマツナ、ミズナ、キャベツ、レタスと少ない。トマトやナスなど夏野菜の成長を見守っているといったところである。この夏野菜、気温が上がるとてきめんに元気になる。素直に反応するのがよくわかる。見ている方だって元気をもらう。

気温の上昇で、これまで保温のためトンネル掛けしてきたビニールなどの覆いをすべて取り払った。4月下旬から5月上旬にかけて、えいっとばかりにだ。トウモロコシ、エダマメ、ニンジン、オクラなどが、5月の陽光を直接浴びている。清々した気分だろう。いまのところすべて順調に育ってきている。手をかけて大切に育ててきただけに、元気がなによりである。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光が輝く5月にはサラダが似合う

2012-05-18 | コマツナ

上から、ルッコラ、レタス、ミズナ、コマツナ

葉ものが一斉に収穫できるようになった。ルッコラ、レタス、ミズナ、コマツナの4種である。これらは3月下旬から4月上旬にかけてタネをまいた。それからひと月半。大きくなった。生育は速い。それだけにそれっとばかりに食べなければならない。ここにきて育つ速度を落としてくれといっても聞いてはくれないから食べるのに追われることになる。

葉ものは、若いうちが花である、いや、食べごろである。見た目にこだわって、もう少し大きくなってからにしようと待っていたのでは、うまい時期を逸してしまう。まだ小さいのにもったいないなと思える時から食べないといけない。というのもこの時期の葉ものの成長は目を見張るものがある。悠長に構えていては、どんどん大きくなって味が落ち、ついには無駄にしてしまう。

食べるのは短期間での勝負だ。一斉に育ったものを、一斉に摘んで一斉に食べる。残さないようにと、どんどん近所におすそ分けもする。それでも食べきれない。葉っぱを大量に食べるには煮たり蒸したりして容量を減らすのが一番だが、この時期は季節がらやはりサラダで食べたい。

光が輝く5月には、サラダが似合う。わが家のサラダは、てんこ盛りになる。取ってきたものを残さないようすると必然的にこうなることはわかっているのだが、超大盛のサラダを目の前にすると、これだけだべなきゃならないのかと、とれたての新鮮な野菜を食べられる喜びよりも、大変さがさきだってしまう。

どんどん食べられるどうかの決め手は、私の場合は好みのドレッシングと歯ごたえのある野菜にある。このドレッシングはうまいなと思っていても、お手製だからいつもきまった味ではない。私の口に合わないドレッシングだと極端に食べずらくなる。それに葉っぱはたいがいぺらぺらしているからキュウリとかタマネギといった少し歯ごたえのあるものを加えてくれると、食感の調和がとれて食べやすくなる。

きょうもこれから葉ものを取りにいかないといけない。待ってはくれないのだ。今晩もサラダだな。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ことしのオクラは角から丸へ

2012-05-16 | オクラ

また花粉症がやってきた。3月と5月に花粉症に悩まされる。桜が咲いて一段落した。先週あたりから、またきたかと気づかされた。後半戦になる。症状は3月よりもいまの5月のほうがひどい。昨年から薬を飲むようになった。いくぶん軽くなった感じがするが、油断するとあちこちでいちどに爆発する。目頭をごしごししごき、鼻をかみ、大きなくしゃみを連発する。5月中旬から約1カ月ほどうっとうしくなる。

オクラの芽が出てきた。これで予定の夏野菜はすべて出そろった。わが菜園での夏野菜のタネまきはオクラが最後になる。タネから育てるものは気温をみながらまく。オクラが最後になるのは、高い温度でないと発芽しないからだ。

発芽させるのはなかなかむずかしい。タネは、水に1,2日漬けておく。まいたら、ビニールをトンネル掛けして、すっぽりとウネ全体を覆ってやる。こうして温度をあげる手立てをしないと、なかなか発芽してこない。これが私のやり方で、百発百中?発芽させることができる。外気が高くなり、これではさぞやトンネル内は蒸し風呂だろうなと心配しても、オクラは平気だ。よほど暑いのが好きと見える。

ことしのオクラは一般的な「角オクラ」に代わって「丸オクラ」をまいた。この丸オクラは島オクラといって沖縄のオクラだ。いまは「丸オクラ」という名称が使われ、よく見かける。このオクラの特徴は大きく育ってもスジが入りにくく、やわらかいことだ。オクラはなんてったってやわらかいのが一番。一日でも収穫が遅れるとスジっぽくなりまずくなる。そのため収穫が始まると、一日おきに出かけることになる。これをさぼるとオクラを無駄にすることになる。その点、丸オクラだと少しぐらいさぼって収穫が遅れてもやわらかいから助かる。

夏の食卓にオクラは欠かせない。ゆでても炒めてもいい。ゆでたものにマヨネーズをかけて食べる。ビールのつまみになる。毎晩でもあきない。目先を変えてたまに炒めてくれるが、やはりさっとゆでたものが私は好きなようだ。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単でも奥が深いイチゴジャムづくり

2012-05-14 | ジャム

逆転した。身の置き所がである。かみさんは外に遊び、亭主は内に遊ぶ。かみさんはいまを楽しまなきゃと山歩きだ、友だちだと留守にしてばかりいる。亭主は野菜と花づくりにいそしんで家の周囲をうろちょろするだけである。膝が痛く、とうとうこの春はどこにも行けなかった。そんなことを言っている場合じゃない。そろそろう再開しないと、ここまま家に引きこもりそうだ。引きこもりジジイになるにはまだ早い。膝の痛みは少しずつ取れてきた。ここらあたりで山遊びを再開しよう、おっかなびっくり足を踏みだしてみよう。そうしないといつまでたっても外に出られない。膝が痛くなってからも、ウオーキングとスクワットと腹筋と腕立て伏せと前屈は意識してやってきた。膝の痛みがとれたらすぐに対応できるようにと。しかし春山を楽しめむには間に合わなかった。大好きなスプリングエフェメラルに会えなかった。なんとも口惜しい。

きのうは五月晴れだった。かみさんは山歩きに出掛けた。それなのに亭主のほうというと、ジャムづくりに精を出した。やはり前述のごとくのパターンだ。ジャムづくりは私の得意であり、楽しみでもある。こんかいはイチゴジャムである。昨年も5月のいまごろはイチゴジャムづくりだった。

今回も粒入り(プリザーブ)と粒なし2種類を作る。イチゴジャムは簡単である。いろいろジャムを作ってきたが、たしかにイチゴはジャムに適している。砂糖を入れて煮詰めるだけだ。ペクチンを加えることなく、ほどよく固まってくれる。簡単であるがゆえに奥が深く、ジャムづくりはイチゴで始まりイチゴで終わるといわれている。そこまでいうこともないのだが、たしかにそうかとも思う。

小粒のイチゴが手に入った。イチゴ生産農家が畑の近くに数軒ある。そろそろ収穫が終わり店じまいの準備だ。イチゴはいまはたいがいどこでも大粒が多い。しかし小粒のほうは身が締まっていておいしそうだ。大粒は腑抜けに感じる。

2種類作るからホーロー引きの鍋を2個用意する。ヘタを取り、粒入りはグラニュー糖をかけ、粒なしは実を手でぐしゃぐしゃと潰してグラニュー糖をかけておく。4,5時間そうしておくと、いい香りがたってくる。ジャムにするのがもったいないくらいいいにおいだ。粒ありはイチゴから浸透圧で水分が出てくる。準備はそれだけだ。

あとは火にかけて煮詰めるだけだがここからが本番である。ジャムは鍋を火にかけたら離れられない。煮詰まるまで木べらでまぜながらじっとそこに立っていなければならない。瓶の煮沸消毒やら後片づけを同時に行いたいのだが、鍋から目を離すとろくなことはない。それは経験で知っているから、ただただ鍋の状態を見ながら木べらを回している。

どうしてそこまで気を抜けないかというと、これはジャムを作っているとわかることなのだが、いつ火を止めるかが難しいからだ。とろりとしてきたら、真剣勝負だ。もういいか。いやまだだ。ひとり言をなんどとなく繰り返しながら鍋を見つめる。うーん、ここか、と自分の気持ちに踏ん切りをつけるように火を止める。煮詰めすぎてはいけない。どちらかというと、少しゆるめかなと思う程度がいい。これはどの本にもそう書いてある。たしかにそうだが、少しゆるめとはどの程度なのか、わかりようがない。こればかりは経験で知るしかない。粒なしはうまく行ったが、粒ありはやや煮詰めてしまった。わたしとしたことが。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

400個はいけるかなとタマネギの目算

2012-05-11 | タマネギ

コチョウランとシンビジュームが咲いている。きのう5月10日、コチョウランが咲き始めた。この日を長いこと待っていた。冬も日中は窓辺に置き、日の光を浴びさせてきた。蕾状態のままが長かった。ホントに咲いてくれるのか。やっとのこと蕾が膨らんでまずは2輪がほころんだ。待ったかいがあった。シンビジュームのほうは、盛りを過ぎたがいまも咲いてくれている。さぞかし咲き疲れていることだろう。そろそろ花茎を切ってあげないといけない。両方とも昨年の2011年1月に家の建て替えのお祝にいただいたものだ。両方とも今年もふたたび花を咲かせることができた。こんなに待ったのに美しきものの絶頂は短く、なんともはかないものだ。聞えよがしにつぶやいた。反応はなかった。

タマネギの根元が少し膨らんできた。収穫は6月になるのだが、いまの育ち具合を見ながら収穫数を目算してしまう。順調だ。これなら少なく見積もっても400個はいけるだろう。2人家族だから400個もいらないはずだ。しかしいつもは300個収穫して、近所におすそ分けはするもののすべて食べてしまうのだから、400個だって残すことはないだろう。それよりも、この収穫物の保管場所をどうするか、こちらの方で頭を悩ますことになるに決まっている。

2人家族だから大玉よりも中玉のほうが使いやすい。これはジャガイモも同じだ。そのためタマネギは株間をやや狭くして定植している。ことしの品種は「奥州」の1品種だけでこれは晩生種だ。よく追肥するんですかと尋ねられる。私は元肥だけで、ほかはいっさい肥料はやらないから、追肥はやったことがない。それというのも、それで立派なものが毎年取れているのだからそうしている。

タマネギは手がかからない。それだけにタマネギ栽培の楽しみは苗づくりにある。昨秋はこれがうまくいった。育てた苗をすべて定植してしまったからいつもより100本も多くなったというわけである。さあラストスパートだ。がんばってくれよ。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソラマメにアブラムシがいないなんて

2012-05-09 | ソラマメ

食わず嫌いだった忌野清志郎。食べてみたらおいしかったキヨシロウ。こんな味をこれまで知らなかったなんて。凡庸の私からすればその才能がなんともうらやましい。家中に響くほどの音量で聞いている。

ウオーキングコースの堤の両側に広がる田んぼ。このGW中に、ほとんどが田植えをすませたようだ。5月の風に吹かれながら眺めている。すっかり初夏の景色だよなと、年に一度しか見られないいまの眺めを楽しんでいる。

ソラマメがぐいぐいと育ち、すでに花が咲き終わって黒ずみ、いよいよサヤをつける段階になった。順調である。しかしいまの時期からアブラムシに悩まされるのだが、今年は違う。毎年のようにどこからもなくうじゃうじゃ出てきて真っ黒く染めるあのアブラムシがみえないのである。それにしてもすごい効き目だなと感心している。

この効果は薬剤だ。今年は思い切って浸透移行性の薬剤を使った。効き目には半信半疑だったが、いまのところアブラムシがいないのをみると効き目は抜群である。すげえなと思う。それだけソラマメのアブラムシは厄介だった。アブラムシとの格闘から開放され、やれやれこれで楽になったと肩の荷をおろした気分になる。

それでいて、アブラムシが一匹も見えないほどの農薬の効き目を見せつけられると、その強さに不安になる。「アブラムシが少しは減ったかなあ。案外と効き目があるもんだな」といった程度の効き目であってほしい。そのほうが安心する。

勝手なものである。なんとかしてほしいと願いながら、その願いがすべてかなうと、ホンマかいなと不安になる。私が神様なら、ホントはどうしたいんだといいたくなる。本音を言わせてもらえば、全滅はありがたいがそこまでしなくてもいいのに。 


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四苦八苦して定植したレタス

2012-05-07 | リーフレタス

きのう6日の昼前のことだ。自転車をこいで茨城県から千葉県へ戻るときだった。県境となる利根川にかかる橋を渡っていたとき、風が急に強くなった。南からの向かい風だ。前に進まない、押し戻されると感じるほど強い。これは危ない、自転車から降りようと感じたくらいだった。それから1時間後に、つくば市の竜巻を知った。間一髪だったかな。

このところ週に1回は自転車をこいで千葉県から利根川を越えて隣りの茨城県へ通っている。守谷町にあるジョイフル本田が目的地だ。この店で園芸の苗や資材を購入している。春の野菜づくりのタネ、苗、資材の購入は一段落して、いまは花卉類の購入が中心になっている。一年前に家を建て替えてから、庭の花壇や植栽、それに玄関先の鉢物は私の担当になった。家の建て替えで重機に掘り返され空っぽになった庭に、一から宿根草ばかりを植えてきた。一年がたち、この4月の庭は花ざかりになった。しかし、なんどもここで書いているが、この「庭」というのが恥ずかしくなるくらい小さくて狭い。「垣根と家の間の隙間」というのが正しい表現なのだが、いちいちそう書くのも面倒なので、恥を覚悟で「庭」と称している。そんなわけで昨年から花ばかり見てきた。花の種類は多い。どう組み合わせて行くのか、あれこれ思い描くのは楽しい。花づくりはお手のものである。以前にやっていたからだ。

3月下旬にタネをまいたリーフレタス。1カ月後の4月下旬に定植できた。芽出しに失敗しないようにタネを多めにまいた。普段なら発芽はほどほどで、そう多くないのだが、ことしは発芽率がよく、扱いに困るほど多くの苗が取れた。というよりも取れてしまった。

これだけの苗をどうしよう。処分に困った。余分を捨ててしまうのはもったいない。しかしすべてのスペースは予約済み状態だ。レタスばかりでなく植えつける苗は目白押しだ。そこをなんとかしてスペースを見つけなければならない。レタスの収穫は今月下旬にはできる。それまでの短いあいだのことだからと、予約済みの場所にところ構わず植えつけた。その場所とはウネの間だ。たとえば、サトイモ、インゲン、オクラのウネの間だ。これらの苗はまだ小さい。レタスの収穫ができる今月下旬までなら生育に影響することあるまい。

狭い菜園だから、やりくりに四苦八苦する。無理した分だけどこかにしわ寄せが来る。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盛夏の葉ものにクウシンサイとモロヘイヤ

2012-05-04 | その他

 ↑クウシンサイ
↓モロヘイヤ

まだ降りやまない。この2日間よく降ってくれる。こんな雨のなか、うろうろするのは嫌いではない。長靴をはいて傘をさす。歩きながら傘をふわりと宙に投げては片手で受けたり、手首をぐるりと回して傘を回転させたり、傘を高く上げながらジャンプしたりする。なんのことはない。「雨に唄えば」のジーン・ケリーを気取っている。水たまりがあるとわざとざぶざぶ入る。楽しい。まるで子供だ。いよいよ童心に返る心境になったか。だれかに見られていたら、あのクソジジイなにをしてやがると胡散臭く思われるだろう。私だってそう思う。

セルトレイにタネをまいたクウシンサイ、モロヘイヤ、それにナス、キュウリの芽が出てきた。これらの苗を作って畑に移すと、夏野菜はほとんどが出そろう。秋冬野菜が終わって畑が空っぽになり、一からひとつひとつ作業を積み重ねて、徐々に緑が増えて広がっていく。それを眺めては、労働の成果に感心している。

クウシンサイとモロヘイヤのタネは4月25日にまいた。前日から水に一昼夜つけておいた。直まきにするか、ポリポットかセルトレイにするか迷うところだが、ことしはまずセルトレイで育てて畑へ移すことにした。

高温性のタネを発芽させるには、カボチャのときと同じく、セルトレイをトロ箱に入れ、さらに肥料の空き袋の中に入れて保温に努める。いまの陽気ではこうでもしないと発芽しないからだ。1週間もしないで芽が出てきた。

すでに畑はこれまで育ててきた各種の苗でほぼ埋まっている。そのなかで、どうにかこの2つを植えつける場所を確保した。例年よりずっと狭くなった。それでも葉物野菜が不足する盛夏のことを考えると、どうしてもこの2つは必要だ。

これらを畑に移すと、空きスペースがなくなる。全面、夏野菜の小さな苗で埋まる。あとは育てるだけだ。この2カ月の間に、一気にここまできた、といった感じである。


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白頭をかきながらインゲンのまき直し

2012-05-02 | インゲン

ことしはうるう年なので、昨1日が八十八夜だった。この時期になると毎年、遠くに住む美しい人から八女の新茶が届く。しばらく音信がなかった。新茶が息災のサインになる。元気で暮らしているのだろうか。立夏がまもなくだ。GWの野良仕事は暑く、”夏も近づく”のを感じながら汗を流した。

インゲンの芽が出た。豆類の芽出しはなかなかてこずることはなんども書いてきた。またかと思われるかもしれない。こればかりは何年やっていても、そのたびにそう感じるからだ。夏は果菜類ばかりでなく豆類が楽しめる。5月はサヤインゲンとソラマメが収穫できる。7月にはインゲンとエダマメが食べられる。ラッカセイだけはずっと遅く10月なる。豆類はほかにササゲやキントキを作ったこともあったが、いまはこの種類におさめている。

エダマメよりもインゲンの芽出しのほうが、私は手間取る。毎年毎年、同じことをしながら、毎年毎年、同じことを感じる。学習能力がないのだろうかと白頭をかきながら、こうして知らずのうちに年を取っていく、というより年を取ってしまった。

エダマエはすでにきれいに芽が出た。その隣に遅れてインゲンをまいた。どうにも芽出しがそろわない。ことしのインゲンは直まきだ。雨が続いたせいなのか発芽が悪かった。そこで再度まくことになった。これで昨年買ったインゲンのタネはすべて使い切った。発芽がうまくいかないことが多いから、まき直しでタネも思いのほか使う。

芽が出たらこんどは支柱を立てなけれならない。支柱立てが面倒なら「ツルなし」インゲンがあるが、これは収穫期間が短いようで、インゲンはいつも「ツルあり」だ。たしかに支柱立ては面倒だ。この時期はそんな細かい作業が続く。しかし面倒だなといってはいられない。確実にこなしていかなければならない作業がある。さぼったりするとまともな野菜は作れない。


4月の読書
・「アイアン・ハウス」 (ジョン ハート著・ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 
・「城を噛ませた男」 (伊東潤著・光文社)
・「中国化する日本 日中「文明の衝突一千年史」(與那覇潤著・文藝春秋)
・「新釈諸国噺」(太宰治全集7・筑摩書房)
・「太宰治 滑稽小説集」(太宰治著・みすず書房)
・「解錠師」(スティーヴ・ハミルトン著・ハヤカワ・ポケット・ミステリ)


         


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする