梅ジャムに続いて、こんどはルバーブジャムを作った。ルバーブは梅雨の時期が生き生きとしている。ジャムにするにはこの時期がいい。完熟梅といい、ルバーブといい、酸味が強くいい香りを放つ。台所は芳香に満ち、梅雨のうっとうしさをしばし忘れさせてくれる。
ルバーブは多年草で寒さに強いのだが夏の暑さにめっぽう弱い。毎夏1株1株暑さに負けて枯れていく。とうとう昨夏にはすべて枯れたと思った。これで今年はルバーブジャムをあきらめざるを得ないと覚悟していた。ところが早春に芽が出てきた。ルバーブは寒さに強く3月上旬には芽を出してくる。2つの芽があった。めっけものしたようでうれしかった。2株のうち1株は弱く小さい。これは収穫の対象にはならない。するとジャムにする茎を収穫できるのは1株しかない。
そこで迷う。残りたった一本の株から収穫すべきなのか、それともさらに充実させて来年まで待ったほうがいいのか。たぶんこの株も今夏で枯れてしまうのではないかと思う。それならばいま収穫してジャム作りをしよう、と判断した。
朝に収穫できた葉柄はやはり少なく20本足らずだった。すぐにジャム作りに取りかかる。ルバーブジャムの作り方は慣れているせいもあろうが1時間ほどでビン詰めまですべて終えてしまう。ルバーブのジャム作りは手早くできて手間がかからない。
このルバーブジャムの瓶を見てかみさんが「これじゃ冷凍室はジャムばかり、肝心の魚や肉が入らない」とおかんむりだ。たしかに先週に梅ジャムをあれだけ作ってしまったから冷凍室を大部分占拠している。
これにいつもの年ならラズベリージャムが加わるのだが、今年は家の建て替えでラズベリーが収穫できなくなった。梅雨はジャム作りの適期。すっかり楽しんだ。
今月号の月刊誌「dancyu(ダンチュウ)」を立ち読みしていたら「エダマメの釜炒り」が出ていた。茹でないで、ただ釜で炒るだけのもの。「茹でないでつくるんだ」と感心しながら読んでいた。豆の味を逃がすことなく、これはうまそうだ。簡単そうなのでやってみるかと思わせる。せっかちだから今すぐにでも台所に立ちたいのだが畑のエダマメはまだ充実していない。収穫できるまでにはいましばらく待たなければならない。
今年もエダマメは多く作った。たぶんまもなく毎日食べることに追われるだろう。今年は「湯あがり娘」と「黒豆」の2種。前者はその味が茶豆特有のいい香りがして食味がいいもんだからだいぶ気に入っている。わが畑ではエダマメといえば「湯あがり娘」である。後者の「黒豆」のほうは、知人から「これはうまいよ」とタネをいただいたものだ。
両者ともに順調だが、湯あがり娘のほうはやや密植気味でサヤの付き具合がいまひとつなのが気になる。今年のエダマメの楽しみは「釜炒り」と「黒豆」の味だ。
エダマメ栽培にはそうとうこだわっているのだが、不思議と大豆を収穫したことがない。エダマメの段階ですべて口に入れてしまうからだ。「たまには作ってみるか」と6月中旬に黒大豆をまいた。
夜明け前にふと目を覚ました。隣りの家から大きな声が聞こえてくる。「ああ、W杯のデンマーク戦を見ているんだな」。目が覚めやらぬ中で、声は悲鳴ではなく歓声に聞こえた。「そうか、たぶん日本がリードしているんだ」。そこで起き上がって見ればいいのだが、安心してまたひと眠りしてしまった。
大玉トマトはまだ青い
夏野菜がどんどん登場してきた。ピーマン、ナス、キュウリはすでに収穫が始まっている。これからトマト、トウモロコシ、エダマメが続く。
いま一番生育が気になるのがトマトだ。畑に行くたびにのぞいている。トマトは今年も小さな「雨除けのハウス」の中で育っている。小さいハウスに大玉、中玉、ミニの合わせて8本のトマトを植えたものだから密植気味だ。トマトに雨があたらないように上にビニールをかぶせている程度の資材だが、その効果は絶大だ。雨除けすることでトマトは裂果しなくなる。立派なトマトをだれもが育て、味わうことができる。ほんとにできるの?なんて思うだろうがこれは請け合う。
ほれぼれするような真っ赤に完熟した大玉トマトをもぎるときの快感といったらない。これも雨除け資材があってこその成果である。わが周囲の菜園はいまやどこもトマトハウスを建てている。まあ、トマトハウスといっても恥ずかしくなるほどの粗末で小さなものなのだが、出来がまったくちがってくる。
ナス、キュウリは毎日でもあきないのだが、この二つに比べるとトマトはそれほど好きというほどでもない。出されれば食べるし、なければないですむ。かみさんは私とは反対にトマトが好きだ。それでトマトを作っているようなものである。
今年はトマトの大玉苗を多く育てた。もったいないので、これもあとから畑に植えつけた。もちろんハウスには入りきれない。大玉だけに雨にあてるとまちがいなく裂果する。これらも雨除けをしてやらなければならない。その資材を購入しようか。それともなんとか工夫して雨を防ぐようにしてやるか、迷っているところだ。
密植で窮屈な「トマトハウス」
ミニトマトは一部色づいてきた
梅ジャムを作った。
「この2、3年、梅が高くなったわね」とかみさんはぼやく。かみさんの晩酌は「梅酒」だから青梅を買い求めるときの値段が気になるようだ。梅が手に入り今年も梅酒を作ることができた。梅酒の次は「ラッキョウ漬け」だ。1個1個薄皮をむいていく。これがラッキョウ漬けで一番面倒な作業になる。まさに「手仕事」だ。私も手伝う。何にも考えないで目の前の仕事に精を出す。これも気持ちがいいものである。かみさんの作る「梅酒」と「ラッキョウ」は、2人の食卓には余りあるほどで、私から見ても驚く量になる。
かみさんが梅酒とラッキョウ漬けを作ったのに刺激をうけたのか、私も久しぶりに梅ジャムづくりに励んだ。梅ジャムに限らず私のジャムづくりは自慢じゃないが年季が入っている。ブドウ、ルバーブ、ユズ、梅、ラズベリー。実際に作るのは昨年12月のユズジャム以来、半年ぶりになる。
今回はキズのある梅を使う。皮が腐っていたり黒い斑になっている。これが5キロほどある。キズのある梅ではたしてうまくできるのか。そのまま茹でた。茹でて、見た目が悪いところは思いきり取り除いた。5キロが3.5キロになった。これを前回と同じ手順でジャムにした。
台所に立って没頭した。休むヒマもない。ザルや鍋を総動員する。ジャムづくりは段取り勝負だ。頭と体を使う。慣れないこともあるのだろうが、3時間ほどの台所仕事でくたびれてしまった。澄んだビワ色に仕上がった。梅ジャムの決め手はその酸っぱさの加減にある。最後は瓶詰め作業。大きさがまちまちの瓶だが全部で15個になった。これが3時間の労働の成果である。並んだ瓶を見ていると、その成果に満足してか少しは疲れも取れる。これだけあると朝食のトースト用のジャムは当分間に合う。
畑の近くの林からウグイス、ホトトギス、カッコーの鳴き声が聞こえてくる。カッコーは高原の鳥のイメージがあるから、さわやかさが広がって気分がいい。案外いいところで農作業をしているんだなとうれしくなる。
ジャガイモをいつ掘るか。すでに試し掘りして出来具合を確かめている。昨年に比べたら上出来である。あとは天気しだいだ。掘った後は乾燥させなければならない。雨が続くようなら先に延ばすほかない。
きょうがいいかな。それ急げとばかりに早起きして朝飯前に掘り起こす。土が湿っているのでジャガイモに土がへばりついている。この掘り出しは2時間ほどの作業になった。畑で、ある程度乾燥させたいので、その間にいったん家に戻る。汗で全身ぐしょぐしょだ。シャワーを浴びて朝飯を済ましてまた畑へ。天気が不安定なので畑にそのまま置かないで土を落としながら袋に入れて持ち帰った。午前中で作業は終わり、また汗まみれでシャワーだ。
これをどこで乾かすか。仮住まいなのでこれまでのように物置がない。そこでタマネギと同じように軒先の下に広げた。急に雨が降ってきたので、全体をビニールで覆う。なにかと手間がかかる。2日ほど乾かして土を落とし袋に入れて台所の隅に保存することにした。収穫物が多いと、それを乾かしたり、保管する場所がないと不便だ。建て替える家にはスペースを確保したもののこれまでより大幅に狭くなる。ちょっと心配だ。
今年3月に植えつけたのは3種。男爵、メークイン、キタアカリが各1㌔。見た目での判断だが、収穫量は多い順にメークイン、キタアカリ、男爵となった。3㌔の種イモから少なくとも10倍以上の収穫になるからジャガイモはたいしたものである。
すぐに食べ比べだ。今年初めて栽培したキタアカリがうまい。思った以上にうまい。男爵系だけに形やサイズでは男爵と区別がつかない。見分け方は、キタアカリの芽は赤いからそれで判別できる。
乾かしたイモを袋に入れ、「よいこらしょ」と腰を痛めないように注意しながら台所まで運ぶ。重い。収穫の喜びはこの重さに比例する。この単純さがなによりわかりやすい。
メークイン。ショベルを深く入れて持ち上げるとイモが出てくる。型がそろっている。
キタアカリ
男爵
岩手県奥州市在住のSさんから、再びきのう19日の焼石岳のお花畑の情報が届いた。13日に続いての焼石岳山頂直下の「姥石平」のお花畑だ。
送られてきた大きなサイズの写真をここで再現できないのが残念だ。これでもかと視界いっぱいに広がるお花畑。足を止めてしばし放心状態が続くだろう。そのあとに襲う圧倒的な感動。このお花畑が素晴らしいのは、いまだ雪に埋もれた山道を登ると、突然にしてこんなにも大きな広さのスプリングエフェメラルの世界が待っていることだ。雪道の先にこんなパラダイスがー自然の演出がなんともすばらしいのである。
それにしてもSさんがうらやましい。毎週こんなお花畑に立てるなんて。
「本日(16日)の焼石情報です、此処一週間位が姥石平のお花畑見ごろです」
これからの梅雨の季節は雑草との戦いの日々になる。覚悟せねばならない。菜園の敵は害虫と雑草だ。害虫という災難のあとは雑草が待っている。炎天下のもとでの雑草取りという根気のいる仕事ができない人は、菜園を続けていくのは無理だ。
梅雨に入り雨が降るのはありがたい。しかし、ひと雨ごとに雑草が勢いを増してくる。雨が降ると2、3日後には「あれっ」とびっくりほどまた雑草が伸びている。「あとで一気に片付けるよ」と暢気に構えているとひどい目に遭う。入梅から7月下旬までの農作業のほとんどが雑草取りになる。
いま、この雑草に負けないほど元気に生育しているのがトウモロコシだ。この時期の成長ぶりには驚く。「こんなにも大きくなった」のかと。トウモロコシは芽が出たばかりのときは、その姿、形が畑で悩まされる雑草によく似ている。それえだけにたまに間違えて引っこ抜いてしまうことがある。しかしその生育ぶりは雑草など寄せ付けないほどのスピードがある。グイグイと伸びる姿に力強さがある。
トウモロコシは手がかからないのだが、唯一気を使うのが害虫・アワノメイガだ。こればかりは見逃すとトウモロコシを食べつくされてしまい、自分の口に入らなくなる事態になる。その対策は雄穂が出る時期だ。穂が出てきたら反射的に殺虫対策となる。その雄穂に殺虫剤を散布する。これ1回の対策でだいぶ防虫効果はある。スーパーなどでまったく虫食いのないきれいなトウモロコシをみると、つい「だいぶ殺虫剤を使っているな」と余計なことを考えてしまう。
夏の菜園の風景にトウモロコシは欠かせない。青空がよく似合う。しかしどんよりとした梅雨空では、その元気さの魅力がどうしても半減してしまうようだ。
6月13日のトウモロコシ畑
6月18日のトウモロコシ畑
お気に入りのソバのスプラウト。なんともさわやかなグリーンだ。ソバのタネをまくと、この時期だと5、6日で収穫できる。もっぱらサラダに使っている。
岩手県奥州市在住のSさんから、焼石岳の花便りが届いた。
「焼石岳の姥石平のお花畑は今週末が一番かと…」
貴重な情報なので、Sさんの承諾を得て急ぎ掲載することにした。
6月13日の焼石岳の写真も7枚添付してくれた。これもあわせて載せることにした。
家の建て替えでなにかと打ち合わせが多い。「すっかり山から遠ざかってしまったなあ」と嘆いている。まあ、このような事態だから当分は仕方ないかとあきらめている。
きのう17日に、思わぬ方からメールをいただいた。2003年6月に岩手の焼石岳を歩いたときに山中で出会い、いろいろと教えてくださったSさんからだった。Sさんは私の「焼石岳山行報告」をHPで見て、そこに自分の名前があるのを見つけ、私と出会ったことを思い出したらしい。
メールに「今年の焼石の写真送ります。13日でしたが 姥石平の花はまだ少し早いようです。今週末が一番かと…」。焼石岳の姥石平のお花畑は素晴らしい。山をやっている人なら一度は目にしてほしい景色だ。私はすすめる。まさにいまがその時期になる。花をもとめて山を登る人にとってこのような情報を得られることはなによりもうれしい。
私は山のお花畑の盛りに居合わせることが多い。それも絶頂期のお花畑にである。対象となる山の花の時期の情報を総合して、いつがいいのか慎重に決めるからだろうが、もちろん運もある。たぶん日ごろの行いがいいから神様が配慮してくれているのだろう。お花畑の盛りは毎年気象条件で微妙にずれる。絶頂期のお花畑にめぐり合うのも、情報収集と運しだいだ。私は少しだけその幸運にも恵まれているようだ。
私は焼石岳は3度歩いている。なんども足を運ぶだけの魅力あるお花畑があるからだ。Sさんは私との出会いを覚えていないようだが、私はいまでも出会いを鮮明に覚えている。焼石岳を下山しているとき、中沼あたりでお会いした。私は仲間を案内し、Sさんは知り合いの女性3、4人を案内していた。グループ同士でおしゃべりして「Sさんは花の時期は焼石岳を毎週のように歩き、焼石岳のことならだれよりも詳しい」とうかがった。
Sさんはふもとの胆沢町(現在は合併して奥州市)に住んでいる。それなら今後のこともあるからと、失礼を顧みず連絡先を教わった。その場で「焼石岳・姥石平のお花の盛りは6月の第3週と覚えていたほうがいい」と教わったのはありがたかった。さらにSさんの写真が展示してあるお店を教わったので帰り道に立ち寄り拝見したのだ。
5月に仙台の知人から、宮城の酒が3本が届いた。[綿屋・黒澤米純米吟醸][乾坤一・超辛口純米吟醸][佐藤農場の梅酒]。ラベルを見ながら「いい酒ばかり選んで贈ってくれたな」と感謝しながら眺めてばかりいる。私には垂涎の酒で、貧乏の私には過分の酒ばかりだ。応分の酒しか飲まないから、こんないい酒はもったいなくて眺めるばかりでなかなか手が出せない。貧乏人根性からいまでも抜けだせないでいる。しかし、せっかくの酒だからと、やっと6月になって栓を開けた。
その折も折、巣立ちした2人の子どもたちが(といっても30歳をすぎた)、やってきた。2人がたまに顔を出すと心おだやかではなくなる。私が飲んでいる清酒をこれでもかというほど飲み、この酒だけは少しは残してくれるだろうと思っている大事な酒までも一滴残らず飲み干してしまうからだ。
これはたまらないと、いつも「飲み過ぎだ。少しは体のことを考えろ」とけん制するのだが、酔っているから聞く耳を持たず、まったく効き目がない。親とはいえ、子どもの健康よりも、自分の酒のほうを心配している。ケチではないのである。自慢じゃないが、これが飲んべえの本領なのである。
宮城の酒3本を隠すわけにはいかない。「飲ませたいのだが、あまり飲ませたくない」。そんな気分があるから、いい酒があるから飲んでみるかと、先制攻撃で最初に1杯ずつ飲んでもらった。酔ってしまえばいい酒かどうかわからなくなる。味の違いが分かるのも3杯までぐらいだろうから。これが功を奏した?
それではと身代りに次に出したのが買ってきたばかりの[月の井・純米]。これは前回紹介したように、切れがよく、すいすい行ってしまう。「うまいなあ」とそれでまた買ってきてもらった酒だ。最初から最後まで飲んでも飽きない酒で、それを証明するかのようにとうとう1升瓶をすべて飲まれてしまった。
災難がらうまく逃れた宮城の酒3本。味が乗ってきてうま味が一段と広がるようになった。その味をかみしめ、慈しむように飲んでいる。
関東が梅雨入りした。このところ晴天続きで畑は乾燥気味。ひと雨ほしいと思っていたときだけにありがたい。とはいえ、梅雨入りとともに大雨を心配しなければならない季節になった。
「今年はいいね」。ジャガイモの生育具合を見るために試し掘りをしている。その結果に安心した。いつもの年なら来週にも収穫となる。昨年は菜園をはじめて以来の不作だった。私の菜園ばかりでなく周囲の皆さんが不作だった。なにが原因かよくわかない。
今年のジャガイモは3種。男爵、メークインそしてキタアカリ。キタアカリは今年初めての栽培となる。ジャガイモにショベルを入れて掘り起こすときはいつも期待と不安が入り混じり一喜一憂する。
まずは男爵。「おっ、いいね」。大きさも中型でそろっている。タマネギと同じくジャガイモも中型がいい。
気をよくして、次はメークインだ。大きいのがごろごろ出てきた。豊作過ぎるのもよくない。
今年初めて栽培したキタアカリ。このキタアカリを使ってその晩のおかずは肉じゃが。期待通り、ホクホク感があって甘かった。これまでは男爵とメークインばかりだったが、たまにはちがう品種にもやってみるべきだなと、気をよくしている。
「これなら晴れ間を見ていつでも収穫できるな」
思わずにこっとしてしまうほどのジャガイモの試し掘りであった。
こんなに植えつけてどうするの状態のネギ畑(九条太ネギと赤ネギ)
花粉症に相変わらず悩まされている。天気がいい日は外に出たくはないのだが、畑仕事は待っていてくれない。
「こんなに植えてどうするんだ。またバカなことをしている。しかしこうするほかないもんな」。ぶつぶつ言いながら、腰を落として作業している。なにをしているかというと、仮植えしたネギが大きくなったのでそれを定植している。
ネギは九条太ネギ、赤ネギ、下仁田ネギの3種。昨秋タネをまき、4月20日前後に仮植えを行った。だいぶ大きくなった。
下仁田ネギは、わが菜園では4月の仮植えが定植になる。さらに植え替えは行わない。大きくするには夏場にもう一度植え替えをしたほうがいいとわかっているのだが、面倒なこともあり、これですましている。これだけでも立派な下仁田ネギを収穫できるからだ。
下仁田ネギはこのまま育てる
九条太ネギと赤ネギの2種類は、もう一度植えかえて定植しなければならない。これは根深ネギにするためで、ネギの白い部分を伸ばすためである。ソラマメとタマネギを収穫したので空き地ができた。そこにこの2種のネギを定植した。ウネ間70㌢で、深さ15㌢の溝を掘り、そこに株間10~15㌢で一本一本植えつけていく。秋までに3回に分けて土寄せをしながら軟白を大きくしていく。
いま空いているところにすべてに植えつけた。それでも苗はまだまだあるのだがもう場所がない。その苗をどうしようか。これも考えなければならない。
根深ネギにするには、植えつけ時は根が隠れる程度に土をかける。
成長に合わせて土寄せしていく
作業を終えて畑を眺める。苗をできるだけ多く植えつけようと次々に作業をすすめたが、どう見ても作り過ぎだ。この3種はいずれも冬ネギ。収穫は寒くなった12月からになる。ネギは冬に限る。作り過ぎだといいながらも、これだけのネギをほとんど食べてしまう。それほど冬ネギはうまい。
宮本輝著「骸骨ビルの庭(上・下)」を読む。このところ本を読んでいない。なにかと用事が多く疲れ切ってしまい、本を開いてもその気にならず、本が睡眠剤になってしまっている。この本は一気に読めた。それだけ集中できる物語だった。ストーリー展開の中で、興味深いのが骸骨ビルの「庭」での菜園づくりだ。物語の大きな柱になっている。「庭」での土づくりから育て方、さらには害虫にまで話は及び、こと細かく書いている。かなり詳しい。これらの知識は、著者が自ら畑をやって得たものか、それとも取材したものか。どちらにしても、その知識に感心してしまった。
さて、6月6日に収穫したタマネギ。畑から家に持ち帰り、引き続き乾燥させなければならない。家のどこに置こうかが一番の問題だ。家の建て替えのため今は仮住まい、これまでは物置があったから、そこで乾燥、保存してきたのだが、いまの仮住まいでは、広げて乾燥させるところといえば駐車場しかない。しかしそこは目立つ。どこかいいところがないか。南面の庭の軒下に1メートル以上のレンガが敷いてる。そこに干すことにした。しかしまもなく梅雨入りだ。軒下なら雨に濡れてしまうから、近日中にまた移動させなければならない。その場所が見当たらない。家の中に取り込むほかないのかと思っている。
キュウリの収穫第一号
1カ月前に赤チシャ、玉レタス、サラダナなどサラダにする葉物が取れるようになってからというもの、毎晩のようにサラダが続く。というより次々と収穫できるので、工夫して食べなければならないから続かざるを得ない。
サラダは、赤チシャのようなやわらかい葉っぱだけでは紙を噛んでいるようでもの足りない。そこに歯ごたえのあるキュウリやタマネギを組み合わせることで、がぜんうまくなる。さらにサラダのうまさがドレッシングに左右されることもよくわかった。おかげで、こうも毎晩のようにサラダが出てくるとすぐにあきるだろうと思っていたのだが、いまもあきもせずに食べ続けている。
一カ月前はキュウリもタマネギもわが菜園では収穫がなく買っていた。いまこの両方を収穫できるようになった。そうなるといまのサラダをすべて自家野菜で作ることができる。昨晩のサラダの中身は、赤チシャ、玉レタス、タマネギ、キュウリ、ソバのスプラウト、スナップエンドウ。はやり言葉でいえば、わが家のサラダは、菜園の完璧コラボとでもいえるのだろうか。サラダに使う野菜はそれぞれ収穫する時期が少しずつ異なる。こうして一度に集まれる時期は限られている。先行した赤チシャも、玉レタスもまもなく終わるからだ。
昨晩の副食を眺めてみると、そのサラダにラッカセイ、ソラマメだ。いずれも晩酌のビールと清酒の友になるものばかりである。
ソラマメの取りたてを毎日食べている。つくづくうまいもんだなと感心する。ソラマメが本来持つ匂いがするからだろうか。取りたてだから皮もやわらかくそのまま食べられる。しかし、かみさんは皮をむかないと気がすまないようだ。なんとももったいないと思うのだが好みだから仕方ない。
アブラムシとの攻防でさんざん苦労させられただけに、この旬の味を長く楽しみたいのだが、惜しむらくはその賞味期間が短いことだ。最初のころは収穫量も少ないから長く楽しめそうだと。しかし突然、どさっと収穫できるようになる。そうなると収穫に忙しく食べるのに追われる。
あっという間の楽しみだった。それまで青々とした株全体が黄色く変色してくる。ああ終わりだなと思いながらサヤをもぎ取っていく。今年のソラマメは5月26日が初収穫で、6月7日が最後の収穫となった。それでも2週間楽しませてもらったことになる。
最後のソラマメを味わいながら、「しまった」と思わず口にしてあわてて立ち上がった。肝心なことを忘れていたのである。それは今秋にまくタネを選んで保存することだ。それまでまったく気がつかなかった。すべて食べつくして残りはもうないだろうなと思いつつ、冷蔵庫の野菜室を見るとナマのソラマメがあるではないか。さすがにほっとした。これでタネを確保できた。
そこまであわてることもないのだ。今秋になって新たにタネを買えばすむことだが、自分が育てたなかから充実したもの選び、これを「次世代」のタネに使う。これも農業の楽しみのうちのひとつで、「いのち」をつないでいく役目を自分が担っているのだなと、その殊勝な心がけが張り合いになっている。
50個ほど残っていたソラマメ。これをタネにする。「とにかくカリカリになるまで日に干すことだ」と農家の人に教わった。なんとかの一つ覚えで、これをずっと実践してきた。網に入れてお天道様にあてる。茶褐色に変色して硬くなる。これを保存し、10月下旬にタネをまくときは、一晩水につけてからまくと問題なく発芽してくれている。
サトイモの芽がやっと出そろった。いつものことだが気を持たせてくれる。芽出し作業をして植えつけた後に、さらに保温してやればいち早く芽を出してくれるのだが、それをやらないから、地中から芽が出てくるのがだいぶ遅れる。
サトイモは芽出しを確認して植えつけている。発芽は99%大丈夫だとわかっていても、いつまでも芽を出してこないと心配になり、ショベルで掘り返して種イモの状態を見たりする。やっぱり芽が出てるなと安心してまた埋め戻す。「バカなことをしているな」と、芽が出てくるのを待ちきれないでそんな作業をする自分が嫌になる。せっかちの性分は年とともにますます高じてくるようだ。
芽はまだか、まだかといつも気を持たせるのがサトイモだ。それでもやっと植えつけた種イモがすべて芽を出してきた。これで安心できる。サトイモは好きだから多く作る。これからは土寄せが重要な作業になる。この作業は出来不出来に直結する。そのため今年はウネ間をだいぶひろく取った。ウネ間が狭いと土寄せ作業がやりづらいし、本来の土寄せも十分にできないことがあるからだ。