30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

家の建て替えーブドウ棚ともサヨナラだ

2010-05-30 | その他

家の建て替えのために寓居へ27日に引っ越したものの、細々としたものが最後まで残り、どうにかすべてを持ち運んだ。

これまで住んでいた家は空っぽになった。最後にすべての部屋に掃除機をかけた。きれいさっぱりした空間だ。その慣れ親しんだ空間に立ってみて、つい2、3日前まで「ここで生活していた」という実感がうすれていることに気づかされた。愛着をさほど感じないのである。「そんなもんかな」と考えされられたが、多くの「もの」に囲まれてはじめて生活の実感があるのだとわかった。「もの」がまったくなくなった空間はまさにうつろでしかない。



家の建て替えでさびしかったのがブドウ棚ともサヨナラしなければならないことだった。ブドウの栽培はいまが忙しいときだが、このブドウ棚も取り壊され、ブドウの木も切られる。ちょうど今、花を咲かせ、結実の時期を迎えている。小さな実を結んでブドウらしい形になったころに切られる運命だ。いまのブドウは2代目。なんとも忍びない。

(きょうのブドウ棚)


(いまちょうど花が咲いて実をつけはじめたところだ)

ブドウ栽培は手間がかかる。ブドウに比べたらきのう書いたソラマメなんかその比ではない。成長に応じてやる作業が数多くある。これをきちんとやらないとブドウは育たない。時期を逸すると手遅れだ。それだけに立派な房になったブドウを見ると喜びもひとしおである。しかし苦労が多いだけに春になるといつも「ことしはブドウをどうしようか」と考えることが多くなった。今回の建て替えを機にブドウがなくなる。25年もブドウ栽培をしてきただけに、さびしい気持ちと、ほっとしたという気持ちが交錯している。

(手をきちんとかけるとこんなブドウが収穫できる。これは昨年8月のもの)


           


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苦労の末にソラマメ収穫

2010-05-29 | ソラマメ

どうにか引っ越し作業を終え、荷物の整理に追われている。この1カ月は仮住まいのクリーニング、引っ越し作業と休むことなく体を動かした。さすがに疲れを感じる。

その合い間に農作業をしている。こちらは疲れていても楽しい。26日にソラマメを初収穫できた。アブラムシとの長い攻防にようやく決着がついて、収穫できるまでになった。ソラマメのサヤが元気よく空に向かってピンと延びている。収穫のサインはサヤが下がってくるときだ。

収穫するまで手間がかったなあ、それがソラマメ栽培の実感である。ソラマメの栽培はアブラムシの被害を防ぐことにある。それがすべてだといってもいい。手を抜くと数日にして、アブラムシで真っ黒になる。駆除は殺虫剤に頼らざるをえない。

そんな苦労も収穫できるまでになるとつい忘れる。ウネを丹念に見ながら、「サヤが下がってきたもの」を見落とさないように収穫に夢中だ。26日の初収穫以来、きょうまで毎朝もぎって、晩酌の友にしている。やはり新しいのは食感がやわらかい。

毎年アブラムシとの攻防は覚悟の上だが、ここまで手間がかかると、うまいのはわかっていても、手間とうまさを天秤にかけ、来年からは栽培をやめようかなと思ってしまう。その思いは強いのだが、今年の11月にはそんな苦労も忘れてたぶんタネをまくのだろうな。

 



           


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家の建て替えーこの家ともおさらばだ

2010-05-27 | その他

「いやあ、こりゃ大変だ」
家の建て替えを行うことになり、仮住まいへの引っ越しを今日行った。

仮住まい先は、近所の一戸建てを借りることができた。歩いて5分もかからない。半年ほどここで生活することになる。家具など大型の荷物は運送業者に任せたが、生活用品などは車でなんども運んだ。この1カ月の間は引っ越し準備に追われた。細々としたものを整理し、不要なものはだいぶ捨てたはずでも、仮住まいに運び込むと床がダンボール箱で埋まった。これらをまた整理するのかと思うと、それだけでくたびれる。

一年前ぐらいになるのだろうか。
かみさんが言った。
「家を建て替えて、新しい家で老後を快適に過ごしたい」
私は言った。
「年も年だし、この先の人生は長くない。いまの家で十分だ」

団塊の世代夫婦が、いまさら50年持つ家を建ててどうするのか。いまの家を改築すれば十分だし、もちろん建築資金のこともあるのだが、それ以上に引っ越しやらの面倒を思うと、建て替えには反対だった。

かみさんは走りだしてしまった。工務店を選び図面ができてしまった。しかし私はどうしても気が進まない。

私の人生設計は70歳までしか考えていない。常々そう言っている。この先10年もない。そうであれば、いまの家で十分なのである。かみさんは85歳まで生きるつもりだから、新しい家をと望む気持ちもわからぬでもない。しかし、自分は長生きするといってはいるが、逆に私のほうが長生きするかもしれない。神様がこっそりと私の寿命を教えてくれればいいのにと、この時ばかりは思ったものだが、こればかりはだれにもわからない。

しかし、とうとうかみさんは自分の意思を通した。私は今でもどうも納得しないのだが、ここまで事が運んでは、折れるほかない。

6月に入ると取り壊される。長年住み慣れた我が家に向かってシャッターを切った。万感の思いを込めて。


       


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地産地消ー千葉と茨城の清酒

2010-05-25 | 

「千葉県産の酒ってこんなにうまかったのか」
この2,3カ月は千葉県産の清酒ばかり飲んでいる。飲むたび、うまいなあと感じ入り、地元・千葉の清酒を見直しているところだ。

「福祝」(千葉県君津市)が評判がいいというので、柏駅前の「植要酒店」で買った。この酒店で売ってると教えてもらった。はじめての店である。清酒専用の大きな保冷室があり、中に入ると私にははじめてみる酒が多い。よく見ると千葉県産の清酒を多く扱っていた。

千葉県産の酒を知らないわけではない。名前だけは多く挙げることができるものの、飲んだものを挙げろといわれると少ない。「福祝」は評判通りにうまかった。それなら千葉県産の酒を続けて飲んでみるかと、また同じ酒店に買いに行った。

純米酒の「香取80」と「岩の井」。本醸造の「木戸泉」の3本だ。この3本がいずれも合格点で、私の舌にはうまく感じた。またまた千葉県の酒はウマいもんだなとあらためて思い知らされた。

地元の人、地元知らず。全国を旅している私は常々この言葉を実感することが多い。皮肉なことにこんどは自分がそうだった。清酒は全国各地のうまい酒を飲んでいると自認しているのだが、不思議と地元・千葉県産の酒には縁がなかったことに気付かされた。そこで「千葉県酒造組合」のHPを見た。47都道府県の中でも造り酒屋が比較的多いのではなかろうか。私の住まいの我孫子市近辺には野田市に一軒あるだけで、房総など東にかたまっている。

この3本を飲み干した。また買い出しに行くのを楽しみにしている。こんどはどんな酒に出会えるか、と。

ついでにお国自慢をしてしまおう。私の生まれは隣りの茨城県だ。さすがに故郷の酒はよく飲む。「郷之誉」と「武勇」、それに「一人娘」「菊盛」「霧筑波」「一品」と次々と酒の名前を挙げることができる。最近うまいと感じたのが「月の井」。なかでも純米酒がうまかった。このうまいというのは、すいすい行ける飲みやすさだ。値段からいっても毎日の晩酌用におすすめである。「月の井」は、私がよく買い求める東京の酒店でも見られるようになった。故郷の酒は、うまいとなるとつい宣伝してしまう。


      


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一気に大きくなった葉っぱ、さてどうしよう

2010-05-24 | リーフレタス

九州の山旅の記録を終えた。書くことで2度楽しんでいる。振り返ってみると、交通機関の接続が悪く、点と点を結ぶのに苦労したが、うまくいったものである。年をとると、山歩きのために九州まで足を延ばすだけの意欲がしだいに失われてくるだろうから、あとなんど九州にこられるかなという思いは強い。それだけに充実した山旅となったことは素直にうれしかった。

久しぶりに本来の百姓日記に戻る。

九州の山旅から戻ると、アブラムシとアオムシの駆除に追われた。
まずはソラマメのアブラムシ。やっぱりなあと嘆息した。九州の山旅から帰ってすぐに畑にいった。心配した通りに、ソラマメにはこの野郎と思えるくらいアブラムシが真っ黒く付着していた。出かける前に丹念に殺虫剤を散布したのだが、その繁殖力には到底かなわなかった。ここで手を抜いては食べられなくなる。手間がかかるなあとぼやきながらまた殺虫剤を散布した。収穫までもうすぐだ。

もう一方は春キャベツのアオムシ。
いまの時期、キャベツの大敵はアオムシ。ウネ全体を防虫ネットで簡単に覆うているのだが、隙間からモンシロチョウが入り込む。留守にしている間にアオムシが卵から孵っていた。キャベツをうまそうに食べている。これも駆除しなければなない。駆除といっても薬剤は怖いから、1匹1匹手でつぶしていく。

山歩きで家を留守にしているあいだに、葉菜類が一気に大きくなった。葉っぱものはそんなに食べられるものではない。いつものことながら、さて困った。とにかく食べるしかないのである。

5月22日に収穫した葉っぱたち。

春キャベツ。アオムシがむしゃむしゃと食べていました。



赤チシャ。 



玉レタス。きれいに巻いています。



サラダナ。



ベガナ。



ミズナ。



ルッコラ。たしかにゴマに似た香りが。



コマツナ。



スナップエンドウ。次々と。今年は豊作です。


  


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九州2010:温泉ざんまいの山歩き(その5)-はげの湯・岳の湯

2010-05-23 | 登山

小国町のはげの湯・岳の湯 

涌蓋山下山のあとは、小国町の温泉だ
湯けむりが立ちのぼり、のどかな山里の風景が広がる



はげの湯。背後に涌蓋山が見える


2010年5月13日(木)
筋湯温泉6:10=6:25疥癬湯(ひぜんゆ)登山口-7:20石ノ塔・駐車場-7:45涌蓋越え-8:15女岳8:20-8:35涌蓋山9:00-9:45涌蓋山登山口-10:40はげの湯-11:00岳の湯・豊礼の湯12:25-12:35岳の湯・バス停13:05=13:40ゆうステーション15:02=17:25福岡・天神(泊)

←5月13日の涌蓋山登山

涌蓋山を下山して「はげの湯」と「岳の湯」に入る予定だ。岳の湯には期待がある。温泉地一帯は、地面のいたるところからもうもうと吹き上げる蒸気で、あたり一面まっ白、というテレビ映像を見ていたからだ。

舗装された道を下っていく。予定通り歩いたのでバスの時間までだいぶ余裕がある。途中でおばさん二人が山菜採りをしていた。
「なにを採っているんですか」
「ワラビとウド」
「ウドがたくさん採れたので少し持っていくかい」

ぶらぶら歩いていくと、さきほどのおばさんの車がわきに止まった。
「どこまで行くの」
「はげの湯まで」
てっきり車で送ってくれるのかなと期待したのだが、そのまま走り去った。

登山口から一時間ほど歩くとはげの湯だ。振り返ると涌蓋山が見える。あちこちから湯けむりが立ちのぼる。ここに共同浴場があるのだが、目立たないから注意が必要との事前情報を得ていた。

すぐに分かった。右手にコンクリート打ちっぱなしの建物があった。新しい。たしかに事前情報がないと通り過ぎてしまうだろう。入口が分からない。裏手に回る。1回が浴場で、2階が地区の集会所になっている。湯船をのぞいた。これも事前情報通りコンクリートだ。あまりにそっけなくて、入ってみようという気が起らない。見るだけにした。







「はげの湯」はパスしてしまった。そうなると「岳の湯」となる。「だけのゆ」では「たけのゆ」と読む。
歩いていくと左手に大きな、どことなく殺風景で、畑の中にと突如現れた温泉といったいた雰囲気だ。位置的にはげの湯と岳の湯の中間あたりになる。ここが「豊礼の湯」。かなり有名な温泉だ。ここでゆっくりすることにした。

 

さっそく露天風呂だ。評判だけになかなかのものだ。



この露天風呂から涌蓋山が見える。日が差す日中に湯につかりながらきょう歩いてきた山を眺めるのはいい気分だ。ここの温泉は宿泊できる。食事は出さないので湯治場と考えればいい。そうこうしているとおじさんが一人入ってきた。赤穂から車で来て1週間ほど湯治しているという。すっかり打ち解けて長話になった。
だいぶゆっくりしてしまった。湯から出て行くと、廊下でさきほど下山中に出会った久留米からの夫婦にまた会った。登って下山してきたのだから、いかにここで私がゆっくりしたかわかる。



この温泉の敷地内には、地熱の蒸気を利用した「かまど」がある。仲間同士で温泉に入りに来たのだろう、地元の女性が5人ほど、このかまどを利用して食事を楽しんでいた。食材は持ち上げてきたものだ。ちょうど卵が蒸し上がったところだった。
「たくさんあるからどうぞ食べてよ」
茹で卵、いや蒸し卵を2個いただいた。
半熟状態になっているか、まず私に見てもらいたいらしい。
熱い。アチアチといながら、殻をむく。きれいにむける。
半熟にはいまいちだが、余熱でちょうどいい具合なるはずだ。
この蒸し卵、シンまで熱く、うまかった。



すっかり長湯してしまった。「豊礼の湯」をあとにして岳の湯のバス停に着いた。ザックをおろした。あたりを見た。どうもおかしい。イメージとちがうのである。てっきり、テレビでみたとおり、田んぼ、道路、庭とあたりかまわず湯けむりが立ちのぼっているものと思っていたのだが、そうでもない。ここではなくて近くの場所がそうなのか。バス停前に「白地商店」がある。ご主人に尋ねてみた。
「このすぐ下あたりがそうなのだが、今日は天気がいいので蒸気がすぐに消えてしまう。もうもうと蒸気に包まれる景色を見るなら冬がいい」
そういうことだったのか。少々がっかりしながらも、商店の前の坂をおりて行った。

このあたりか。そう思わせる地域。たしかにきょうの天気では、湯けむりもうもう状態といった独特の景観とはほど遠かった。この温泉地は地熱を利用した蒸し地鶏などの料理が名物。バス停の周りには、蒸気を利用した「かまど」が多くみられる。

この岳の湯では、白地商店で「蒸し鶏」を食べ、白地商店のお風呂に入る予定でいたのだが、「豊礼の湯」ですっかり満足してしまい、おなかもいっぱいだ。







帰りのバスがやってきた。運転手は白地商店で蒸し卵を買ってきた。



バスは小国町の「ゆうステーション」行きだ。途中で奴留湯の前を通った。
「あれっ、この湯の前を通るのか。知らなかった。知っていたら入りたかったな」
そう思ってみたところで、バスの便がないから無理なのだが、奴留湯は2004年にわざわざ立ち寄って入ったくらいだからよく覚えている。たしかにいい湯だった。

ここがバス発着場となっている小国町の「ゆうステーション」。



これで山旅は終わった。山歩きで心配なのは天気なのだが、連日五月晴れに恵まれた。これが一番うれしかった。加えて、これでもかというほどの連日の温泉ざんまい。5年ぶりの九州の山旅は、こんかいも満足だった。

ゆうステーションで福岡行きのバスを待つ。ここから高速バスで福岡市天神に向かった。あとの二日は会合のため福岡で過ごした。
(完)


九州:温泉ざんまいの山歩き 11日別府・鉄輪温泉と柴石温泉 12日由布岳と筋湯 13日涌蓋山と岳の湯


         


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九州:温泉ざんまいの山歩き(その4)-涌蓋山

2010-05-21 | 登山

涌蓋山 

笹の原を登ると涌蓋山が目に大きく飛び込んできた
視界いっぱいに広がる草原の開放感。その景観は感動的だった


2010年5月13日(木)
筋湯温泉6:10=6:25疥癬湯(ひぜんゆ)登山口-7:20石ノ塔・駐車場-7:45涌蓋越え-8:15女岳8:20-8:35涌蓋山9:00-9:45涌蓋山登山口-10:40はげの湯-11:00岳の湯・豊礼の湯12:25-12:35岳の湯・バス停13:05=13:40ゆうステーション15:02=17:25福岡・天神(泊)

←5月12日の由布岳登山と筋湯

13日は涌蓋山(わいたさん)に登る。この山は九重連山の北西に位置し、大分県九重町と熊本県小国町にまたがる独立峰だ。その姿は大分側からは玖珠富士、熊本側からは小国富士と呼ばれるほどの端正な山容で、頂上からの眺めは“一望千里”とある。なんとも優等生的な山だ。日本300名山に数えられているものの、きのう登った由布岳と比べると知名度はかなり落ちるだろう。

なぜこの山を選んだのか。2004年に
阿蘇の高岳に登ったとき、雲海の上に頂上だけぽつんと見えた。なんとも印象的な姿だった。どんな山かまったく知らないものの、それ以来だろうか、機会があればこの山を登ろうと思ったのは。加えてその後に熊本・小国町の岳の湯の映像をテレビで見たことが強い動機になった。湯けむりがいたるところから立ちのぼり町中が白い蒸気につつまれている光景に驚いた。ここに行きたいと。

そうなるとおのずからコースは決まる。大分・九重町の筋湯から入り、頂上を踏んで熊本・小国町の岳の湯へ下ることにした。大分・九重町からの入山は疥癬湯コースと、八丁原~ひとめ山コースがある。きのう同じく帰りのバス時間があるので、できるだけ短いコースをとろう前者の疥癬湯コースとした。

そのためできるだけ早出をして余裕を持って歩きたい。宿のおかみさんはそれなら早く朝食を準備をしましょう、6時で大丈夫ですよといってくれた。ありがたかった。

それと確認することがあった。
「湯船からも部屋からも見えるのは、あれが涌蓋山ですよね」
「そうですよ」
やっぱりそうだったか。

部屋に戻り、アップで撮った。きょうは快晴の予報通り朝から青空が広がり、山々がきれいに見える。心がはずんでくるのがよくわかる。



筋湯の街並みを抜ける。足取りが軽い。疥癬湯コースは、筋湯から来たバス道を戻るように湯坪温泉方面へ15分ほど歩く。左手に旅館「やまの彩」がある。その先の道を左に下っていく。登山口はわかりやすい。



坂を下り、橋の手前が有料駐車場になっている。橋を渡るとそこには以前「疥癬湯」があったという。水害のためいまは更地になっている。ここに「涌蓋山登山口」の案内標識がある。



このコースは道ははっきりしているのだが道標があまりない。基本的に大分側は牛の放牧場である。そこを通る。牧柵があるからなるほどとわかる。道を追っていくと特に迷うことはない。

ゆるやかな道を30分ほど歩くと、傾いた道標があった。すでに開放感のある景色が広がり、なんとなくのんびりしたムードだ。しかし困ったことがある。天気がよすぎてかすんでいる。これから九重連山が見えてくる。はたして見えるのかなとちょっと不安になる。




なんどもいう。気持ちがいい。左側にミソコブシのピークが、右上方に電波反射板が見えてきた。振り返ると筋湯の町と、九重連山も少しずつだが徐々に姿を見せ始めてきた。しかし、悪いことに九重連山は逆光でシルエットにしか見えない。



涌蓋山かと思ったのだが、これはミソコブシ。

 

ゆるやかな笹で覆われた道を登りきると、突然目の前に涌蓋山が現れた。この登場の仕方は演出効果抜群だった。視界が急に広がり笹の原の向こうに涌蓋山が全容を見せた。この「演出」には意表をつかれた。足を止め感激しながらしばし見とれていた。この清々した伸びやかさ。たまらないですね。

この意表をつく現れ方はどこかで…。そうだ
北海道のニペソツ山にそっくりだ。



涌蓋山を正面に見ながら進む。爽快! これを見ただけでも来たかいがあったというものだ。まだ時計は7時10分だ。朝の空気もうまい。



「石の塔・駐車場」と標識があるところに出た。ここに駐車場? たしかに砂利道でここから下っている。どこに下るのか。後で調べてみると湯坪温泉からくる道だった。それに石ノ塔とは何なのか。



すぐに牧柵にぶつかる。「牛放牧中」との立て看板。見渡したが牛は見当たらない。牧柵は有刺鉄線が張り巡らされている。





後ろを振り返り振り返り登っている。九重の山々がよりはっきりと見えてきたからだ。生憎と天気がよすぎてシルエットにしか見えない。そのうえ逆光だ。噴煙が見える。あれは硫黄山だろう。



道は牧柵に沿って西に進む。ミソコブシからの道を合わせると林の中に入り、それを抜けると幅広い出る。この道は、九重町と小国町を結ぶ道ですぐに「涌蓋越え」の標識が出てくる。そこに「涌蓋山」の道標がある。見えにくいから要注意だ。ここを右に入る。ここまでは登山らしい登山といった道もなかったが、ここからが登山らしい急坂となる。

しだいに展望が開けてくる。風力発電のプロペラも。

頂上手前の女岳。休まずここまで来たので、ここでひと休み。



頂上への登り。



涌蓋山の頂上だ。



頂上は広く、石の祠が二つあった。



頂上からはもちろん“一望千里”を期待した。やはり天気がよすぎてかすんでいる。遠望があいにくとできない。もちろん阿蘇山は見えなかった。頂で横になって目をつむる。このまま眠ってしまいそうな風のないいい日和だ。



頂上には30分ほどいた。あちこち眺めていると時間が過ぎるのははやい。こんどは熊本側の小国に向けて下山開始。湯けむりは見える。思わず笑みがこぼれる。



下山していると2組の夫婦が登ってきた。
九重連山といえばミヤマキリシマ。今月下旬に満開になるのだろうがいまは蕾だ。



あっという間に登山口に出た。「涌蓋山」という案内がある。この前には林道が通り、駐車場になっている。さきほどの登山者の車が2台並んでいた。この登山口から山頂までは一時間ほど。車だからこれができる。私は歩きだからここからてくてく、岳の湯のバス停まで歩かなければならない。



林道を400㍍進むと、左手に道標がある。林道を歩いていくと遠回りになり、ここを左に入り牧草地を抜けたほうが近道になる。







牧草地を抜けるとこんどは舗装道路になった。気分よく山を歩き下山してきても、そのあとに林道や舗装道路を延々と歩かされるとしだいに腹が立ってくる。仕方ないとはいえやりきれない。さきほどの登山口から「はげの湯」まで1時間ほどこんな道を歩かされた。しかし足取りも軽い。気分もいつもよりはいい。なぜだか自分でも分かっている。はげの湯と岳の湯が待っているからだ。計画通りに着いたのでたっぷりと楽しむことができそうだ。



涌蓋山の山歩きは快適だった。なんといっても意表をついた現れ方が気に入った。そのため今回のようなコースをとるときは大分側から入山したほうがいい。熊本側から入山すると車なら別だが、林道歩きが長く、道がわかりにくい。登山道からの眺めも単調だからだ。

→「はげの湯」「岳の湯」へ続く。きょうも涌蓋山下山のあとは温泉です。


 九州:温泉ざんまいの山歩き 11日別府・鉄輪温泉と柴石温泉 12日由布岳と筋湯 13日涌蓋山と岳の湯


    


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九州2010:温泉ざんまいの山歩き(その3)-筋湯

2010-05-19 | 登山

筋湯温泉 

筋湯温泉バス停には、宿泊施設の案内がずらり
さあ、入るぞ。きょうも温泉ざんまいだ


2010年5月12日(水)
別府・鉄輪温泉7:10=7:21霊泉寺7:34=8:07由布岳登山口8:20=9:00合野越=10:10マタエ=10:25由布岳東峰10:30=10:40マタエ=11:55合野越=12:30由布岳登山口12:44=13:00由布院駅13:58=14:16豊後中村駅14:40=15:24筋湯(泊)筋湯温泉

←5月12日の由布岳登山

計画通りに由布岳登山を終えた。由布院駅から久大線で豊後中村駅で下車し、バスで宿泊地の筋湯温泉へ向かう。筋湯温泉は3回目になるだろうか。前回は近くの湯坪温泉の民宿に泊まった。ここは評判がいい。今回は筋湯温泉に泊まる。

由布院駅のプラットホーム。赤い電車は大分方面。私が乗る黄色い電車が入線してきた。



由布院駅から豊後中村駅までの久大線は谷間を走る。窓外の景色は望めない。



豊後中村駅に着いた。ここが九重の山々への玄関口だった。いまはマイカー全盛で、登山でバス利用する人も少なくなった。駅は改装中。



豊後中村駅から九重へのバス路線に「九重九湯」がある。「別府八湯」を意識し、さらに九重にイメージを重ねるべく無理に「九湯」とした感がしないでもない。まあネーミングはさておき、九重の山々の周辺は九州でも屈指の温泉地帯である。私の好きなところである。ここはなんど訪れてもいい。温泉好きはこの看板を見て小躍りするにちがいない。



バスが来るまで駅のホームをぶらぶらしていた。特急の「由布デラックス」が停車した。JR九州の列車デザインはなにかと話題になる。えっ、豊後中村駅に特急が止まるんだ。いまも九重への玄関口になっているということだろうか。





「日田バス」に乗る。このバスは「九重登山口」まで行く。乗客は3人。乗降客の調査中と見えて、運転手の隣にチェック表を抱えた女性が座っていた。次々と九重九湯を通過する。また入湯していないところがたくさんある。途中下車できればいいのだが、これは先の楽しみとしてとっておこう。「夢の大吊橋」ができたそうで、ぜひとすすめられたのだが、温泉に比べたら観光名所には興味がない。バスの中からちらっと見ただけですました。

途中から小学生がどっと乗ってきた。その中の男の子がやたらうるさい。運転手も乗降客調査の女性も注意しない。これじゃしょうがないと私の出番だ。
「こらあ、バスの中では静かにしなさい」

筋湯温泉のバス停前にあるホテルなどの案内掲示板。温泉場の感じがとてもよく出ている。



きょう泊まる旅館への道を歩いていると道路標識に懐かしい地名が出てきた。九重の山を歩いている人にはなじみの地名だ。ついパチリ。



さきほどから気になって仕方ない。周囲は山ばかりなのだが、遠くに高い山が見える。あれが、あした登る「涌蓋山(わいたさん)」ではないだろうか。たぶんそうではないだろうかと思いながらも確信が持てない。



宿に入りさっそくに湯めぐりに。きょうは共同浴場の「うたせ湯」「薬師湯」「岩ん湯」の3カ所だ。

1、うたせ湯
ここは前回は入った。壁一面うたせ湯になっている。私はうたせ湯が苦手だ。落ちてくる湯に体をまかせると押しつぶされそうになる感じがある。それに痛い。我慢して無理して打たれているとかえって筋肉痛になってしまう。この湯はうたせ湯を眺めながら入る。ただ滝のように流れ落ちているから、かなりうるさい。





2、薬師湯
これは私の好みの湯。いいですね。前日の鉄輪温泉の「谷の湯」よりもこちらのほうが好みである。共同浴場の私の好みのキーワードは「清潔」で「シブイ」。まさにぴったりの湯である。別府の共同浴場と同じく湯船と脱衣所が一体で戸を開けるとすぐ目の前に湯船があるという造りだ。ややうす暗い。裸電球がともっている。この灯りが湯に揺らいでいる。曇りガラスの窓枠も揺れている。うーん、旅情を誘うね。







3、岩ん湯
前述の「薬師湯」とこの「岩ん湯」は男女日替わり利用となっている。12日は男性が薬師湯、女性が岩ん湯。私は薬師湯で十分満足した。この日は岩ん湯には入れないとわかっていても、どうしてもどんなお風呂なのか内部が見てみたかった。

薬師湯と岩ん湯は目と鼻の間。「こんな早い時間だから女性は入っていないだろう」と思って、とにかく岩ん湯の戸をノックしながら念には念を入れて「どなかた入っていますか」と声をかけた。狭い湯だから声はすぐに届くはずだ。ここで「いますよお」なんて反応があればもちろんあきらめる。まったく声がない。やはり女性がいないのだなと思って湯の戸を開けた。
「あっ、す、すみません」
あわてて戸を閉めた。この間、1秒ぐらいなものだろう。

女性がいたのである。それも若い女性の横向きの裸体が飛び込んできた。正直に話そう。その胸のすばらしさといったらなかった。とびきり美しく見えた。ミロのビーナスの胸よりもすばらしい。その美しさを詳しく書けないのが残念だ。夢か幻か。つい妄想を抱いてしまうほどだ。このエロ爺がと、お叱りを受けそうだが、それほどの眼福だった。一瞬のこととはいえいまでも目に焼き付いている。

私もあわてた。この年になって痴漢なんて騒がれたらどうすようもないものね。ごめんなさいね、とあわてて戸を閉めたというしだいである。そんな「事件」があっても、どうにか内部を見ることができた。ここもなかなかの湯です。





4、最後は宿の湯だ。
湯船からの眺めがいい。遠く正面に「あれが涌蓋山か」と思った山が見えるではないか。地図で確かめた。やはり涌蓋山にちがいない。うれしくなった。湯につかりながら正面に涌蓋山が見えるのだから。あすはその涌蓋山に登る。

→5月13日の涌蓋山登山へ続く

         


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九州:温泉ざんまいの山歩き(その2)-由布岳

2010-05-18 | 登山

由布岳 

双耳峰だけに見る角度で姿が変わる。
いつも素通りしていた山、登ってみてはじめて愛着がわいた

九重周辺の山はいかにも牧歌的なのがいい。
しかし頂上付近は急な岩場の連続となる


←5月11日から続く

2010年5月12日(水)
別府・鉄輪温泉7:10=7:21霊泉寺7:34=8:07由布岳登山口8:20=9:00合野越=10:10マタエ=10:25由布岳東峰10:30=10:40マタエ=11:55合野越=12:30由布岳登山口12:44=13:00由布院駅13:58=14:16豊後中村駅14:40=15:24筋湯(泊)筋湯温泉

12日は、別府からバスで由布岳登山口へ、登山してから筋湯温泉へと移動する。バスと列車の本数が少なく不便だ。これに合わせて行動しなければならない。きわめて行動が制約される。乗り過ごすときょうの宿泊地の筋湯温泉には到達できないから帰りのバスに乗り遅れないように気を使う。

始発のバスに乗っても登山口は8時になった。登山口に着くと、由布院駅からのバスも着いた。5人が降りた。登山口前の駐車場には10台ほどの車がある。平日でも多くの人が登っているようだ。下山してみるとこの駐車場は満杯になっていて40台近い車だった。それほど登山者が多い。

歩くコースは正面登山口から往復する。きょうの予報は晴れ。ところが正面登山口から見る由布岳はガスの中だ。青空のもとで由布岳が見られると期待していただけにがっかりした。この登山口前を過去に車で3度通っているが、登るのは今回が初めてになる。いつも堂々とした姿を見せてくれたのに、いざ登るとなると姿を隠している。皮肉なもんだなと登山口を出発。



この日は冷えた。手袋は指出し手袋だけを持っていったのだが指先が冷たく感じられる。ほかの登山者は雨具の上着を羽織っている。着ようかなと思ったがザックから出すのが面倒だし、じきに体があたたまるだろうと我慢した。
すぐに新緑の林が広がる。

登山口近くのミツバツツジ。すでに散っていた。



合野越に40分で着く。ここでひと休み。隣のこんもりとした山は飯盛ケ城だ。

合野越をすぎると道はジグザクとなる。見晴らしがいい草斜面に出ると眼下に由布院の町が見えてくる。盆地だというのがよくわかる地形だ。

目を上げると西峰と東峰が見えてきた。山頂付近はやはりガスっている。



西峰をアップで撮ってみる。たしかに火山で峨々たる岩山だというのがよくわかる。8時20分に登り始めて12時44分のバスに間に合うよう下山しなければならない。これを意識して歩いている。体調も悪くない。ゆっくり歩いているわけでもない。しかし、このペースではたして時間どおりに下山できるのかなと心配になってきた。



せっかくここまで来た。タイムアウトで頂上を踏めないとなると、なんとももったいない。ペースを上げて岩の急坂を上る。思いのほかすぐに西峰と東峰をわけるマタエに着いた。コースタイム通りに歩いているとわかっていても内心焦っている。
見上げると頂上はガスだ。ここでどうするか。選択肢は3つある。お鉢回りをするか、西峰と東峰の両方に登るか、それともどちらかの峰に登るかである。時間的にはあとの二つを選ぶしかない。
私がこのマタエで立ち止まっていると、3組の登山者が次々と尋ねてきた。
「どちらを登ればいいのか」
首をかしげるほかなかった。事前にネットやガイドブックで情報収集をしてこないでいきなり登ってきたとしか思えない。その中の1組は地図さえも持っていなかった。これじゃ中高年登山者の遭難が多いのがよくわかる。コワイ! 



まずは東峰に登る。岩ばかりの道で15分ぐらいで着いた。やはりガスでなにも見えない。噴火口をのぞいてもガスの中だ。すぐに下山にかかろうと思ったのだが、「もしかしたらガスがはれるのではないか」と期待して岩にしばらく腰かけていた。登山口を出てからここまで飲まず食わず。やっと水を飲み、パンを食べた。






これ以上ゆっくりはできない。下山開始。目の前の西峰もガスの中だったが、一瞬姿を見せてくれた。鎖場を下山しているのがよく見える。
マタエに降り立つと2組の中高年夫婦が西峰から下りてきた。やはりガスでなにも見えなかったという。さて西峰に登るか。どうも時間が気になる。あきらめることにした。心残りはあるが東峰だけで由布岳登頂としよう。この判断は正しかった。というのは結果的に西峰に登っていたらバスに間にあったかどうか。たぶんぎりぎりだったろう。その点では正しかった。




下山しながら頂上付近を振り返るとガスがはれてきた。うーん。こればかりはどうしようもない。下山中も次々と登ってくる人が多い。つい尋ねてしまった。
「登山口から頂上が見えましたか」
「見えたよ」
ガスがはれてきたようだ。



たしかにそうだった。登山口近くまで下りてきて振り返ると、由布岳が全容を見せてくれていた。青空が徐々に広がるなか新緑に包まれたすがすがしい由布岳。こうでなきゃ来たかいがないよ。これで納得、満足である。



鶴見岳(右)も見えてきた。



なんども振り返りながら登山口に向かう。左は飯盛ケ城。









登山口のバス停に着いた。帰りのバス時刻の15分前。その前が駐車場になっているのだが満杯だ。天気がいいのでやってきたのだろうか。平日でもこの状態だ。





由布院駅行きのバスに乗る。一番後ろの席に座って、しだいに遠のく由布岳を眺め写真に撮った。由布岳は双耳峰だけにみる角度で姿が変わる。それが楽しい。由布院駅に着くまでバスの中から姿の変化を追った。

















由布院駅に到着。これで計画通りにきょうは筋湯温泉まで行ける。そうと思うとさすがに安心した。この町は今回で4回目。町中をなんども歩きまわっているのでいまさら観光する気もない。きょうは時間に追われたので、ビールを買って駅の待合室でゆっくりした。



由布院駅の正面に由布岳がそびえている。この景観が由布院だ。まさに由布院の町を見守っているかのようだ。九重周辺の山はなんども登っているのだが、この由布岳はいつも素通りしてきた。いま登ってきただけ、いやに由布岳を身近に感じるようになった。愛着を持ちはじめている。晴れ晴れとした気分で眺めている自分がいる。
その気分がうれしいのか、観光客に声をかけて、由布岳をバックにして写真を撮ってもらった。私の正面が由布院駅になる。もちろんカメラに顔を向けている私を観光客も見ている。



さあ筋湯温泉に行って、ゆっくりと湯につかろう。

→5月12日、今夜泊まる筋湯温泉へ続く

                


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九州・温泉ざんまいの山歩き(その1)-別府・鉄輪温泉と柴石温泉

2010-05-16 | 登山
2010年5月11日から15日まで4泊5日で九州の山と温泉を巡ってきた。
「オレはやっぱり晴れ男だな」
そう自分に言い聞かせるほどの五月晴れが続いた。由布岳と涌蓋山を歩き、下山後は温泉を楽しんだ。周辺の九重は垂涎の温泉ばかり。いい天気で計画通りに温泉ざんまいの山歩きができた。すっかりご機嫌だ。以下はそのリポートである。

参考:近年の「九州の山」リポート
2001九州の山
2004九州の山
2005沖縄の山


期日 2010年5月11日(火)~15日(土) 4泊5日
天気 晴れ
メンバー 単独
日程
 5月11日 我孫子駅=羽田空港=大分空港=別府八湯(鉄輪温泉、柴石温泉)(泊)鉄輪温泉
 5月12日 別府=由布岳登山口=由布岳登山=由布院駅=豊後中村駅=筋湯(泊)筋湯温泉
 5月13日 筋湯温泉=疥癬湯(ひぜんゆ)=涌蓋山(わいたさん)登山=はげの湯、岳の湯
       =小国・ゆうステーション=福岡・天神=(泊)福岡・中州
 5月14日 福岡・天神=久留米駅=沖食堂=久留米駅=福岡・天神=(泊)福岡・志賀島
 5月15日 福岡・志賀島=長浜=福岡空港=羽田空港=我孫子駅

福岡で会合があった。それならついでに九州の山と温泉を会合の前に数日間楽しもうと、1カ月まえに航空券を手配した。天気は運しだい。結果は期間中ずっといい天気が続いた。

計画案づくりは難産だった。車での移動ならまったく問題はないのだが公共輸送機関を使ったので、時刻表と「格闘」しながらスムーズに移動できるコースを探り、なんどもシミュレーションした。要は交通機関が不便で、JRとバスの便が少ない。この制約の中で計画を立てるのだが、一方でせっかく行くのだからとこの
山もあの温泉もと欲張ってしまい、ますますコースづくりに頭を悩ます。どうにか由布岳と涌蓋山の二つに絞り、しだいに交通アクセスも具体化してきた。「できたぞ!」。コースづくりの段階ですでに達成感を覚えてしまう始末だ。

これだけシミュレーションを繰り返し、現地情報を入手すると、出発前にすっかり旅をしてきてしまったかのような錯覚におちいる。旅はこれからというのにだ。しかし、山歩きは事前準備をしっかりしないと後悔することは目に見えている。念には念を入れる。

公共輸送機関は私を待ってはくれない。そうなると肝心の山を歩いていても時間ばかりが気になり行動が制限された。これが現実だから仕方ない。すべて計画通りに進み、立ち往生して天を仰ぐこともなかった。すべ準備のおかげである。

 

別府・鉄輪温泉と柴石温泉 


まずは温泉天国の別府で体慣らしといこう。そこかしこから湯けむりが上がる。温泉場の光景を見て、体もすぐさま温泉モードにスイッチする

鉄輪温泉の「いでゆ坂」。両側に温泉宿が続く


2010年5月11日(火)
我孫子駅5:41=6:56羽田空港=9:40大分空港9:50=10:35別府北浜=11:00鉄輪温泉巡り=16:30柴石温泉=17:30(泊)鉄輪温泉

歩く山を由布岳と涌蓋山の二つに決め、空路大分へ入る。温泉ざんまいの初日は別府八湯の鉄輪温泉と柴石温泉を巡ることにした。別府は2004年以来6年ぶりで、4、5回は来ている町だ。

温泉には目がない。好きを通り越してとうに夢中の域だ。ただ温泉だけを目的にしては出かけない。山歩きとセットではじめて温泉を楽しむ。あくまでも山歩きが主で、温泉は従の関係だ。山歩きだから温泉の好みは「いで湯」である。豪華旅館の湯や日帰り温泉施設の湯はどうにも性に合わない。これらを敬遠すると、温泉地ではおのずから共同浴場に目が行ってしまう。

鉄輪温泉の共同浴場巡り。
「いでゆ坂」を下りながら共同湯を楽しむことにした。ここは共同浴場が多くあるからわくわくする。すべて温泉内部を見てたうえで入ることにした。

1、渋の湯

鉄輪温泉の共同浴場はこぢんまりとした造りで、湯船と脱衣所が一体となっている。日差しが湯船に入り、湯が輝いている。静かだ。午前中の時間帯だからだれもいない。





2、筋湯

共同浴場の造りはどこも同じのようだ。ここはなかなかいいぞ。ここに入ろうか。いやまだまだある。一通り見てから決めよう。



いでゆ坂の周辺には「貸間」が多い。貸間というのは湯治宿と思えばいいのだろう。貸間で有名な「陽光荘」はかなり大きな建物だ。



3、谷の湯

いでゆ坂からわき道を右に左にと共同浴場巡り。こんどは「谷の湯」。少しはずれたところにある。浴場の隣は民家でおばさんがいた。「なかを見せてもらいますよ」とことわって湯船をみた。前の二つと変わらない造りだが、ピンと来るものがあった。。「ここにしよう」。入浴料は100円。そのおばさんに払った。昼酒ならぬ昼湯である。昼酒がうまいように昼湯も格別だ。谷の湯はほかにくらべて湯の温度が低めでいい。



この谷の湯、前の2つの渋湯と筋湯とどこが違うのか。私の好みのキーポイントは「清潔」かつ「シブイ」。どこが前の二つの共同湯と違うのか、と言われそうだ。



谷の湯には40分ほどいた。私は肩まで湯につかるのはほんの数分だ。ほどんとの時間を湯船の縁に腰をかけ、足を入れてボヤーとしているだけだ。そうやって湯と遊んでいる。気持ちがいい。顔から噴き出してたなと思ったら、ざぶんと湯につかる。その繰り返しである。

昼も過ぎたのでご飯だ。坂の途中にあるは、おはぎ(ぼた餅)が名物だそうだ。女性の従業員が登山姿の私を見て「どこの山登るの?」と。由布岳と答えると、由布岳の山開きは2日前だったという。

次の温泉巡りは「ひょうたん湯」だ。ここは共同湯ではない。いろいろ温泉が楽しめる。ここは加水をしていないので、純粋な鉄輪の湯を楽しめる。



砂湯もある。指宿温泉の砂湯は好きだ。その期待感をもって入ったのだが、ここは砂は自分でかける。どうも勝手が違う。仰向けに寝ているとじわっと汗が出てくる。



これで2軒入った。まだ宿に戻るには時間が早い。もう一軒行こう。
鉄輪温泉から近い柴石温泉まで足を延ばすことにした。鉄輪から歩いて30分ほどだ。ここも別府八湯の1つ。



鉄輪の湯よりも柴石の湯のほうが合った。おすすめは「むし湯」だ。内部は源泉の熱い蒸気に満ちて、むっとする。床には太い竹が敷いてあって足に心地よい。気に入ったのだが長湯している時間はなさそうだ。

3軒も入ればもう十分だ。あすは登山が控えている。湯疲れでへなへな登山になるか、それとも温泉効果で足取りも軽くスイスイ登れるか。なんとなく前者になりそうだ。

そろそろ今夜の宿に入ろう。宿に着いてひと休みすればじきに夕飯だ。

→5月12日の由布岳登山へ続く



九州:温泉ざんまいの山歩き 11日別府・鉄輪温泉と柴石温泉 12日由布岳と筋湯 13日涌蓋山と岳の湯


 

                


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レタス畑には赤チシャ、サラダナ、玉レタスが

2010-05-10 | リーフレタス

サニーレタスとサラダナが食べごろになった。この先10日ほどは楽しめる。立派に育ってくれてうれしいのだが、どうみても作りすぎた。さてどうやって食べよう。いつもこれだ。あいかわらず学習能力がない自分なのだが、今回もそうなった。無駄にしないで野菜を楽しむには、少しずつ時期をずらしてタネをまく。そのことが身にしみてわかっているのだがそれができない。芽が出て育てた苗がもったいないからとつい全部を植えつけてしまうからだ。

これは赤チシャ、いわゆるサニーレタス。かみさんはこれが一番使い勝手がいいという。 

サラダナ。この輝く緑色が大好きだ。しかしかみさんはサラダナをあまり歓迎しない。きっと使いみちが限られているからだろう。



玉レタス。最初のタネまきに失敗。再度まきなおしたので収穫はまだ先になる。これは不幸中の幸い。これもいま収穫できる状態ならば、とてもじゃないがもてあます。



レタス類はいつまでも畑におけない。若い葉がうまいから急いで食べないといけない。待ったなしだ。レタス類の食べ方は限られている。ほとんどがサラダだ。組み合わせるのは、いま収穫中のサヤエンドウとスナップエンドウ。それに歯ごたえがないともの足りないのでタマネギかキュウリを加え、最後にこの春見つけた「マグロの油漬け」をのせる。


若葉の美しい季節になった。GWには福岡の美しい人から「八女の新茶」と「知覧の新茶」が届いた。毎年この時期に贈ってくれる。ありがたいことだ。これをいただくと、もうこんな季節になったのかと毎年同じことを思う。



あすからその九州へザックを背負って出かける。言わずと知れた登山と温泉を楽しむ旅。5年ぶりの九州だ。


                


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わが菜園は緑なりき

2010-05-09 | その他

ついこのあいだまで畑は茶色だった。それがこの2カ月ですっかり変わった。タネをまき、苗を植えて、若い緑におおわれるようになった。努力の成果に満足し、さらに生命の息吹を感じて、眺めているだけでもなかなか気持ちがいいものである。

いま世話に追われているのがソラマメだ。3日にあけず殺虫剤をまいている。相手はアブラムシである。やはり今年もやってきた。憎き相手だ。格闘が続いている。アブラムシの繁殖力は驚くほど旺盛だ。ちょっとでも油断していると葉から茎まで真っ黒になる。株が弱ってサヤをつけなくなる。

このソラマメにはテントウムシが多く集まっている。アブラムシを食べてくれる。殺虫剤をまくときはこの益虫には気を遣う。いまちょうど、テントウムシが左からやってきて、右手の黒いアブラムシを食べにいくところだ。しかし、アブラムシ退治はテントウムシだけでは到底間に合わず、殺虫剤に頼るほかない。 

ソラマメがサヤをつけてきた。まだ小さい。これにアブラムシがつくと、サヤは真っ黒になって縮み、萎れていく。ソラマメは空に向かってサヤが伸びて行くイメージだ。このままの状態で育ってほしいと願っている。きょうも見回って、殺虫剤をまかなければならない。


                 


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行く春を天ぷらにして食べる

2010-05-07 | その他

行く春を惜しむまもなく、いっきに初夏になった。この春は3月、4月と春山や雪山をたっぷりと楽しんだからいつになく充実感がある。これに負けず劣らず春の香りのほうも存分に味わうことができたのだから満足このうえない。

まずは4月25日に平標山の登山で摘んできたフキノトウだ。帰宅した26日の夕飯にさっそくに天ぷらにして食べた。フキノトウは雪解けとともに道端にいくらでも芽を出す。昨年4月の至仏山登山の帰り道では取り放題だった。ところが今年は春の訪れが遅く、フキノトウは少しはばかり早かった。それでも執念で家族2人が食べるくらいは摘むことができた。タイミング良く厳寒期の1月下旬にタネをまいたダイコンが収穫できている。これを大根おろしにした。

揚げたてを食べる。やわらかな苞の食感はサクッとして心地よい。さあ、ここからだ。くるぞくるぞ。一呼吸して待つと最後に期待したとおりにきた。あの苦味だ。遠慮がちな苦味がじわっと広がる。その瞬間を待って熱燗をぐいっと飲む。フキノトウの苦味は清酒によく合う。この楽しみがあるからこそ夢中で摘んでくる。

つぎに春の香りを満喫したのは5月3日。天ぷらにしたのはタケノコ、タラノメ、ユキノシタ、コンフリーの4種。買ったものはなにひとつとなく、すべてが自然からの贈り物だ。このなかでタケノコの天ぷらははじめて食べる。これがなかなかいける。もちろんアクを抜いたものを使う。

問題はコンフリーだ。以前は天ぷらにするとお菓子のようなサクサク感があって私は好きでよく食べた。ところが近年、コンフリーには毒性があるから食べてはいけないと厚生労働省のホームページは注意している。どうしようか。少ない分には影響ないだろうと若葉を10枚ほど食べた。やはりうまかった。国が食べないほうがいいよといっているのだから無理して食べることもないだろうが、うまいだけになかなか判断は難しい。


                 


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GW中はタケノコ掘りに夢中

2010-05-06 | その他

GW中に菜園の作業はすべて終えた。4月中は準備に追われた。野菜の種類が多いのでつい忘れるものがある。それでも毎年のように植えつけるものはすべて植えた。やっと終えたという感じだ。

このところこのブログに山行記ばかり書いていた。しかし、そのあいだも怠けることなく着々と農作業を続けてきた。この春はついこの間までストーブを片付けることができなかったのにGWに入るといきなり初夏の陽気になった。農作業も半袖になった。それにしても季節は目まぐるしく変わる。

GWはどこにも出かけない。混雑がいやだからである。GW中は、山行記を書き、百姓に精出した。特筆すべきはタケノコ掘りに夢中になったことだ。4月22日、4月29日、5月3日と3回もタケノコを掘って食べた。「毎日タケノコであきない?」とかみさん。「ぜんぜんあきないよ」。好きだからこうなる。しかし3回も掘っていると、食べることよりも掘ることのほうが楽しくなった。芽を探して力いっぱいショベルふるう。それだけの行為がなんとも楽しいのである。

3回目の5月3日。また掘りに行くのかとかみさんもあきれ顔。このころになると、タケノコはほとんど掘られてしまい、食べるほうもそろそろあきてくる。タケノコは、もう掘りには来ないだろうと油断して芽を出してくるはずだ。その油断を見計らって、という知恵は私にはないものの、すっかり掘りつくされたものと思って竹やぶに入ると、あるものですね。

タケノコ大好きといっても、ここまで食べればもう本望。この春はたっぷりと味と掘ることを楽しんだ。なんか病み付きになりそうだ。


                


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松ノ木沢ノ頭ー上越の春の雪山を歩く(3日目)

2010-05-04 | 登山

谷川連峰・松ノ木沢ノ頭 

最終日の3日目は単独で白毛門を目指した
松ノ木沢ノ頭から谷川岳東壁の眺めは圧倒的な迫力だ


松ノ木沢ノ頭手前の急斜面から谷川岳東壁

山行日 4月26日(月)
メンバー 単独
コース&タイム
共同通信・谷川保養所7:50=8:20水上駅8:25=8:39土合橋バス停-登山口8:55-10:10檜のムロ-11:35松ノ木沢ノ頭-12:30檜のムロ-13:35登山口の鉄橋13:55-14:00土合橋バス停14:05=14:26水上駅14:40=17:40上野駅=我孫子駅


最終日のこの日は単独で白毛門を目指したものの、途中の松ノ木沢ノ頭の露岩に腰かけて先へ進むべきか考えた。帰宅時間が気になる。時間切れと自分に言い聞かせて戻ることにした。松ノ木沢ノ頭は谷川岳東壁の絶好の展望台だ。その景色を眺めながら一人ぼっちで急斜面を登る爽快さと同時に雪崩の恐怖が付きまとった。真正面に見えるのは一の倉沢。多くの命を奪っただけに見るからに不気味で、稜線は音のない世界で静まり返っていた。

谷川での「春季合宿」は2日目で終わり、3日目の最終日は自由行動だ。3日間とも晴れの予報だったので、谷川の白毛門を単独で登る予定でいた。この日に自宅へ戻る。できるだけ早めに行動したい。水上駅から登山口となる土合橋へのバスの始発は8時25分だ。当初は朝飯を食べないで宿を出るつもりでいたのだが、これなら食べてからでも間にあう。私だけ15分ほど早く朝食を用意してもらった。

水上駅にはすでに谷川岳ロープウエー行きのバスが待っていた。車内にはすでに7,8人の乗客がいた。いずれも登山姿だがザックは小さい。このバスは上毛高原駅からのバス。新幹線で来た人たちだ。

登山口の土合橋バス停で降りたのは私ともう一人の男性。すぐに目の前が登山口となる駐車場だ。車が5台あった。一人が支度していた。この人は白毛門ではなく別の方向へ行った。車の数からして少なくとも4人は白毛門へ先行していると思ったのだが…。



ザックを軽くするため、余分な荷物をまとめて駐車場にデポした。段取りが悪く出発までに時間がかかった。同じバスで降りた人はすでに出た。駐車場の奥が登山口。沢を渡る鉄橋の手前に雪があったが難なく渡ることができた。

すぐにブナの林の急登になった。林床にはイワウチワが咲いていた。朝早いので十分に花が開いていない。思いがけないスプリングエフェメラルの贈りものだ。





体調がおかしい。イワウチワに気を良くしているのだから、ここはルンルン気分で急坂をぐいぐいと登ってもいいはずなのだが、足というか体がふらつく。体が揺れてバランスが悪い。急坂だから用心して登っていても、どうも危なっかしい足取りだ。どうしたんだろう。この2日2晩の暴飲暴食が原因だろうか。とにかく一歩一歩慎重に足を運ぶほかないようだ。この尾根は松の根がむき出しに縦横に走り、歩きにくいったらない。悪路である。

30分ほど歩くと先行していたバスで一緒だった男性が松の木の下で休んでいた。
「がっかりしました。イワウチワがまだ早かった。昨年はGWに来たときは終わりかけていたから、今年は少し早めに来たのに」
ザックには三脚があった。イワウチワを撮りに来たようだ。
「白毛門まで行くのですか」
「イワウチワが目的だから」
この人とはこの後に会うことはなかった。



ここが檜のムロ。この前後から雪道となる。いつアイゼンを着けるか。雪道が続くかと思ったら、その先は雪がなかったりして、そのタイミングがむずかしい。この尾根は細く、雪があると慎重にならざるを得ない。アイゼンをつけた。やはりその先に雪がなく、付けたり外したりしては面倒なのでそのまま歩く。歩きにくい。ようやく雪道になった。



左手には木の間から谷川岳東壁が見えている。木の枝に邪魔されて全貌が見えない。もう少しの我慢だ。しかし昼を過ぎると逆光になる。絶景が台無しになる。順光のうちに急がなければならない。お日さまがまもなく天辺だ。あせる。さあ急ごう。





松からブナに変わった。ここからまた急坂になった。



ブナの林をすぎると草木はすべて雪の下だ。さらに急斜面になる。アイゼンが確実に雪にくいこむ。歩きやすくなる。

振り返るとふもとが見える。上の写真も下の写真も見た目には急斜面には見えないが実際は、ここで滑ったらもう止まらないだろうなと思えるほどだ。緊張して登っている。先行者は少なくとも4人はいるものと思っているのだが、トレースはどう見ても一人だけだ。私の前後にまったく人影はない。しーんとすべてが静まり返っている。そこには、はあはあと息を弾ませている男が一人いるだけだ。



やっと松ノ木沢ノ頭が見えた。鎖場のある露岩だ。この時期は露岩の右手を行く。



露岩の手前からやっと谷川岳東壁が全容を見せた。さえぎるものがなくなった。急斜面に立って撮った。さすがにいい眺めだ。体を確保して見とれた。圧倒的な迫力だ。

ここまで休憩なしで来たから鎖場の露岩に腰かけて昼飯だ。食べながら、この先どうしうようかと考える。ここから白毛門まであと1時間だ。たぶん下山は4時前後になる。そこから家へ帰る。たぶん遅くなる。天候に恵まれ、谷川岳東壁のパノラマも十分楽しみ、この時期の白毛門の様子も分かった。「無理することもないか」とここから引き返すことにした。



白毛門は目の前だ・・・。



このルートの無雪期は悪路だが、雪が積もっているため下山はすいすいとはやかった。木々が谷川岳の眺めをしだいに遮るようになった。名残惜しく立ち止まっては目に焼き付けた。





アイゼンをはずす。この尾根は雪がなくなると下山にいっそう気を使う。まもなくイワウチワが姿を見せた。尾根伝いに咲いている。こんどは花を咲かせていた。



登山口手前の鉄橋下の沢でアイゼンを洗う。顔も洗う。下山は雪道のところは速く下ることができたのだが、雪がないところは慎重に下りた。意外に時間がかかってしまった。バスの時間まで間があるのでここでゆっくりした。川原に座っているとせせらぎの音と清明な空の色が、山国にやっと春が訪れようとしているのを教えてくれる。





土合橋バス停。奥が駐車場で登山口になる。このあたりのソメイヨシノはまだつぼみだった。結局は行きも帰りも一人だけの登山になった。ふだんはもっぱら単独登山なのに、団体登山が2日も続いたせいか、ひとりぼっちが心さびしくもあった。妙なものである。



3日連続の登山となった。欲張ったものである。3、4月は青春18きっぷを利用して連続登山をしていただけに体調は万全だった。そのため3日目も登ろうという意欲があった。春の雪山はすばらしい。天気がいいものだからなおさらそう感じる。
この2カ月の間は山を歩いてばかりいた。これが山歩きの効用というのか、きわめて心身ともにさわやかである。


                


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