毎晩365日、清酒を飲んでいながら忘れてしまう。思い出したかのように久しぶりに「酒の話」。
紙パック入りの清酒がある。紙パック入りと聞いただけで、まったく拒絶して相手にしない人、そこまでしないまでも腰をひいてしまい手を伸ばそうとしない人、紙パック入りにこだわらない人ーと対応は分かれる。わたしは、手を伸ばそうとしない部類に入る。要は紙パックの清酒は飲まない。これといった理由はなく、食わず嫌いと同じであった。
かみさんが生協(パルシステム)に加入している。カタログを見ながら毎週食料品をはじめとする生活用品を注文する。酒のページもある。私の興味はこのページだけである。ふと眺めると「正雪・純米酒」(静岡県・神沢川酒造場)が載っていた。えっ、あの正雪があるの? 意外だった。値段は純米の1.8㍑が税込み1800円を下回る。紙パック入りだが、正雪の純米酒がこの値段か。ちょっとばかりためらったが、「ためしに一本注文してみてよ」とかみさんに頼んだ。
いま、私はこれが気に入って飲んでいる。ふだん飲みには十分にいけるのである。栓を開けたばかりのころは、さっぱりとして私にはもの足りなかったのだが、しだいに濃醇な味になってきた。味にぐっと幅が出てきた。残り少なくなってくるころには「うまいもんだね」と舌なめずりするほどの味になった。
清酒のうまさは、残念ながら基本的に値段で決まる。つぎは好みある。自分の好みの味なのかどうか。しかし、それだけではうまい酒とはならない。うまい酒となるのには体調が左右する。酒がうまいなあと感じるときは、体調がいいときである。この紙パック入りの酒がこんなにうまく感じるのはおかしい、よっぽど体調がよかったのだろうなと体調のせいにして、自分の舌をいくぶん怪しんだ。まずければすぐにやめるのだが、それからも「また一本注文しておいてよ」と飲み続けているのだから、しだいにこの酒が気に入ったのが自分でもわかってきた。
この酒の「性格」は静かな酒である。香りやインパクトはないが、飲むほどに味がそっと感じられ、飽きずについ杯を重ねてしまうから、飲んべえにはこわい酒に入る。醸造元に尋ねたら、精米歩合は70%、米は特定銘柄ではなく「国産米」、これで値段を押さえているという。かつては一升瓶だったが生協の箱の大きさの関係で紙パックのサイズにしたということだ。生協限定の紙パック入り清酒、ここはひとつ騙されたと思ってお試しあれ。
人は外見ではなく中身だとわかっているのだが、この歳になってもついそれを忘れがちになる。酒だってそうだ。しかし自分がうまいと思ったら、紙パック入りでも平気になったのだから、やっぱり酒だってそうなんだと酒に教えられた。というか、うまいとわかったらなんでもいいんだという飲んべえの節操のなさが出てきたのかもしれない。
いま「正雪・純米酒」とともに飲んでいるのが、「香住鶴・生もと純米」と「不老泉・特別純米」の2本だ。晩酌は、まずはビール、つぎにこのふたつのどちらかを飲み、最後は紙パック入り「正雪・純米」となる。