百歳を 言祝ぐ朝も紅芙蓉
( ひゃくさいをことぼぐあさもべにふよう )
姑は、大正3年生まれ
今年の誕生日で満100歳となります
先日の敬老の日を記念して区からお祝いが届くと案内が、ありました
介護施設に区の方が、いらっしゃるとのこと
日常のルーティーン以外の事が、あるとストレスになる義妹が、
熱が、あるから私に施設に行くようにと
当日、17日の朝6時から何度も電話が、かかって来ました
わたしより施設で長く付き添っている義妹が、戴くのが筋だと
思うのですが、ご要望とあれば、仕方ない
わたし一人では、役不足なので、連れ合いにも時間をやりくりしてもらって
一緒に行ってもらった
気軽に考えていましたら
区の方とは、区長さんでした
姑は、爆睡していまして、部屋の外で授与式です
賞状を読み上げてくださいました
最後に「総理大臣 安倍晋太郎」って
えッ
わたしの母方の祖母も頂きましたが、それの賞状のお名前は、厚生労働相(野田聖子さん)でした
今は、総理大臣からなんだ
数字が、言う人によって違うので、正確では無いですが
区内で100歳を迎える方が、3人いらっしゃるとか
3人も
たった3人
なんて考えておりましたら、急に感動が、押し寄せてきて、ウルウルしてしまいました
健康で良く動くだけが、取り柄(?)の姑です
実は、親戚とのトラブルも多かったようでした
その人が、今は、仏さんのように穏やかになって、総理大臣からの賞状なんて頂けるのです
姑なりに苦労が、報われたとも言えます
長生きするって、大変なことなんですね
余談ですが、実父も亡くなってから、ささやかな褒賞を頂きました
賞状の名前は、森喜朗さん
日付は、政権の極末期
何だか、複雑な思いでございました
母なんか「別の人だったら、もっと嬉しかっただろうな」なんて申して
安倍さんって言うのも、微妙なものが、ありますがね
そして、翌18日は、胃瘻のペグ(注入口)の交換です
施設が用意してくれた車でストレッチャーに寝たまま、先にお世話になった病院へ
途中、背中を起こして、家を見て行けたのは、良かったです
(分かっているかどうかは、わかりませんが)
手術台では、少々、暴れたようですが、交換も無事終了
後、熱も出さず、ご機嫌です
若い人からパワーを貰えるのは、当たり前
高齢者からもパワーを貰うのもありだと思う今週でした
姑は、尋ねられたらご近所では、サバ読んで自分の年齢を言ってました
今回だけは、誤魔化せないね (笑)
575によせて:
芙蓉は、1日花
花の周囲には、もう既に咲いて散った花の跡が・・・
100歳おめでとうございます。
大正3年生まれは、昨年亡くなった姑と同じ年齢です。
わが家の姑も周囲から「100歳までがんばれ!」と声援?をいただいてましたが残念ながら・・・。
長命は家族としても嬉しく「享年100歳だった…」と人にはお話します。
<百歳を 言祝ぐ朝も 紅芙蓉>とても心にしみます。
100歳 私にとってはまだまだです
元気で長生き出来るかな~
病院での交換 出向くのですね
ご本人もご家族も大変ですね お疲れさまでした
一日花の芙蓉 散ってしまった花後が しかし次々と咲き
咲きほこっている花は お姑様の面影が 感動しました
やはり100年、生きたというのは重みがありますね。
うちもあと8年。がんばってもらおう。
授与者の名前はだれになっているでしょうかね。
微妙でしょうが介護の甲斐がありましたね。
私の歳からはあと30年程、考えられません・・・
明治大正の方は本当にお元気なんですね~・・仲間の
義母さんも99歳、元気なんです、仲間は疲れ果ててい
ます、私には何もしてあげられずただ愚痴の聞き役。
大変さは良くわかりますので・・・
こちらにも随分ご無沙汰しました、最近気力が薄く
なってきてしまって・・これではいけませんね。
お姑さんもご長寿で、いらしたのですね
果樹園、あぜ道を歩くのって、きっと足腰や身体に
良いのでしょうね
祖母もほどんど寝込むことなく逝きました
同じく政府からのお祝いを頂きましたが
誕生日を後何日かと云う日に亡くなりました
my姑の家系も、長生きの筋です
でも、ここまで長生き出来るとは、思っていませんでした
凄く偏食なので
今、姑と嫁姑ごっこしているって感じです
結婚の遅かった姑は、戦中、戦後、生まれたばかりの子供を
抱えて苦労したことでしょう
100歳まで生きるって大変なことなのですね
祖母も誕生日を前に逝きましたから
胃瘻ペグの交換、家族が病院へ付き添います
新しいのは、バルーン方式になるので、もう病院へ行かなくても
良くなったそうです
施設も病院も手慣れたもので、病院へ行くまでも、病院で待つ間も
私は、横で手を握っているくらい
ちっとも苦労では、ありません
助かります
お出かけも、楽しいのですけどね
今年の芙蓉の写真としては、気に入ってました
この話題には、これを使いたかったのです
単純にお役所からの賞状と記念品を頂くんだ
くらいに思っておりましたが、思いの外
感動いたしました
いつも記事で愚痴っている義妹が、原因で親戚とは、大っぴらには
交流が、ありません
みんなお祝いしたいと思っているのに・・・考えてみると
可哀想なことです
まろさんも、是非、この感動に出会えますように、お祈りしています
わが市では敬老の基準が厳しくなって70に到達しても何のお祝いがありません。それじゃクラブでしようかと言うことになったらお祝いされる人が多くておじゃんになりました。70代になると免許や健康保険では年寄り扱いしてトホホです。
コメントを入れる時、行き違いになったようで失礼いたしました
施設は、行き届いておりますので、そう大変でもございません
姑は、こちらの言うことは、わかるようですが、自分の意思を伝えられません
ですから、 愚痴をいうこともありません
姑の方が、イライラしているかも です
実家の母も 「賞状は、介護している方の人へのご褒美かも」って申しております
お仲間の方のお疲れのご様子、お察しいたします
正直、施設で大人しくしてくれて、こちらにも余裕が、できました
銀座の方、楽しませて、いいえ、勉強させて頂いております
3桁までって、大変なことです
でも、今の日本には、約6万人、100歳以上の方が、いらっしゃるのですもの
凄いことです
実家あたりでも、高齢者番付を発行していましたが、
高齢者が、多くなり、名前を書ききれないので、記載する
年齢を あげました
でも、今は、個人情報で発行されなくなりましたけど