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40年代「クラシック音楽」の立位置

「クラシック音楽の政治学」をパラパラと読む。

クラシック音楽の政治学クラシック音楽の政治学
渡辺 裕

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もともとは収録論文である「戦時下のオーケストラ」(戸ノ下達也)を読みたくて借りたのだが、
残念ながら当該論文は状況整理にとどまり、「政治学」と言うところまでは話が進まない。
ただ、同書の別の論文と併読すると、一つの奇妙な事態が浮かび上がってくる。

基本的な認識として、戦前期のクラシック音楽の受容については、
・愛好家の多くは旧制高校から大学へと進学することで
 新興の中産および上流階級を形成しつつあった人々(の一部)
・新しい「教養」であると同時に、階級的上昇の記号
という捉え方(若林幹夫「距離と反復」より)で問題はないようだ。
また、加藤はレコード売上高の増加に比して演奏会に中年層の参加が少ない点に着目し、
・一度大学から離れるとクラシック音楽から離れる傾向が見られるのは、
 クラシック音楽愛好がおもに大学において(社会的な)意味を持つ趣味だったから
であると分析している(加藤善子「クラシック音楽愛好家とは誰か」)。
つまり、演奏会においてクラシック音楽を楽しみたい、という層は極めて限られていたことだ。

以上を確認した上で、今一度戸ノ下論文に戻ることにする。
戸ノ下によると、特に1942年以降、国策宣伝を目的とした演奏会が煩雑に開催され、
オーケストラの活用が目立つようになったとのことだ。
また、音楽文化協会を通じた楽曲の献納活動や音楽挺身隊の活動も盛んに行われたという。

さて、戸ノ下は「戦時下において音楽は、時代の流れに翻弄されながら国民意識高揚・
国策宣伝・教化動員としての役割を担う一方で、国民に安らぎや慰めを提供していた」
と書いているが、ここでのクラシック音楽(界の人々)の位置は微妙である。
先に示したように、クラシック音楽を安らぎや慰めとして求めている層は
極めて少数であり、当然ポピュラー音楽のほうが需要があるはずである。
ポピュラー音楽といっても浪曲等の邦楽ももちろんあるが、英米由来のものは、
特に1941年末の対米英開戦以降は非常に難しい状況におかれたと考えられる。
その空隙をついて、国家の活動に非常に積極的にコミットしたのではないか。
演奏会において邦人作曲家の新曲が多数取り上げられていたこと(*1)や、
ポピュラー音楽サイドから見た統制の在り様など、傍証と思われることは色々あるようだ。

21世紀になって大分経つ。
この論文、注を含めて読んでいくと、いろいろなことをかなり慎重に書いているようにも感じられる。
「戦前期の音楽(そして音楽だけでなく広く文化領域も同様だが)を考える際には、
ホンネとタテマエが交錯する二面性や矛盾、されに戦前から戦後への連続性の反面で
戦前と戦後の断絶といった要因を総合的かつ多面的に捉え、
歴史に位置づけたうえで正負正面から評価すべき」(戸ノ下)
との視点で大胆に切り込んだ論考が読んでみたい。

・・・ってもしかしてこれかな?(うぐ、図書館にない。。)
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*1:「近代の超克」みたいな文脈もあるのか、ちょっと興味あり、ですが、自分の理解力を超えてるな、きっと。
   いずれにせよ、国家の後押しがなければ演奏どころか作曲自体が実現しなかったのではないかと。


参考:
小関康幸さんという方のHPにこのようなコンテンツがあります。
→ 昭和戦中期の音楽雑誌を読む
「音楽文化」誌の変わり身の早さにはビックリ。
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