他人に言えるほど、がむしゃらに道をかける抜ける様な生活はしていないが、ふと、夕暮れ時、外に出て、空を見上げ、僅かに吹く風に目を閉じてみる。終わらないように見える道を、走り続けて、ふと立ち止まる瞬間はそんな時だと思う。
まだ終わって欲しくはないが、夏の晩期。晩期ではあるが、そこで道は終わらずずっと先に続いている。その時、私は、道の上で立ち止まっているんだと思う。
風が気持ち良い様に吹く時、ふと、どこかでじっとして静かにそれを感じたい時があった。多分、行く末を教えて欲しいのだと思う。行く末へと導いて欲しいのだと思う。全くもってくだらない話ではあるが、きっと、そんな風に思うからこそ、何かを感じたい、何かを掴みたいと思うのだ。形の無い何かを、答えの出ない何かを。
嫌いでない物事が始まる時、「終わり」と言う物は意識しないものだと思う。そんな時に「終わり」が見えてしまうと、全てがつまらない物に映ってしまう。何も見つからなくても、出会えなくても、物事が始まり進み行く中で、何か、悪い意味やマイナスな意味を一切含まない意味での出来事に遭遇したいと私は思う。故に、「物事」という1つの道を走り行くのだと思う。そこに「目的」に「目標」に「意義」を見出そうとはせず。と言う事は、特に「結果」は求めていないと言う事になるが、そんなものに縛られず、一切悪い意味を持たない物に「感じたい」ものがある。「出会いたい」ものがある。わがままという言葉でそれは片付いてしまうのかも知れないが、そんな風に思う。
どんな形態であれ、進み出した道の中で、立ち止まり何かを感じる時、「やわらかな風」が側にあるといいものである。