out of curiosity

blog ってどんなものだろ?
そんな好奇心から衝動的に作りました。

心を通わす

2005年06月18日 02時11分24秒 | job
英語で会話をするときに、視線を合わせて話をする「アイコンタクトをとる」ことはとても大切、と常々言われている。
けど、これが生徒のみならず、私までなかなかできない。。。

じっと相手の目を見つめて話をすることはどことなく気まずいし、失礼かも、という気持ちもあったりする。就職試験の面接マニュアルなどにもじっと相手の目を見るより、ネクタイの結び目あたりを見て、なんて書いてあったように思うし。

けれど、やっぱり目を見て、意志を伝えようという気持ちを持って会話する事は、とても大切だと思う。
生徒に関して言えば、恥ずかしかったり、会話に自信がなかったりでそうできないことが多いと思うので、今後もっときちんとアイコンタクトを取る指示を出してゆくべきだ、と反省。

私に関していえば。
今さらながらに、クラスでその重要性を確認している。
たとえば、幼稚園生くらいの生徒であれば、目を見て話かけられるのはとてもうれしそう。一人ひとりがまだまだ団体より個人の世界にいるので、自分の話したいことは他の人が話をしている最中でも聞いてもらいたい。「レイラ、レイラ!」と我先に話しかけてくるどの子にも視線を合わすのは結構大変。でも、なかなか順番、とか今度ね、というわけにはいかない年齢なので、できるだけお歌を歌っていても、ダンスをしていても、ゲームをしていても、全員の顔を常に一巡するように心がけたい。すり寄ってくるような子には、ほっぺに手を当てたり、手を握ってあげるのも、満足するようだ。名前を呼ぶこともとても大切。

小学生のクラスでは、テキストの説明をしている時もゲームをしている時も、なかなか私の顔を見てくれない。逆にこちらから見てもらうように指示するくらい。
けれど、何か発言をした、ゲームで上手くいった、というような時は、やっぱり目をあわせ「やったね!」というサインを送られるとうれしいみたい。
特に自信なく小さな声で言った発言には、きちんと対応してゆきたい。合っていようがいまいが、目を見て「しかと聞き届けました。更なる発言を期待しているよ。」というサインを送りたい。

けれど、難しいのが注意をしたり、叱ったりした後。
気弱な私は、気まずくなるとなかなかその悪い雰囲気を切り替えることができず、つい視線をそらしたままクラスが終わってしまう事がある。
でも、それはほんとに逆効果。
叱った後こそ、しっかりと目を見て「あなたを見てるよ。」と意思表示していかなくては、と思う。 叱られた生徒も何らかの不安や不快な気持ちを持っているだろうから。

視線を合わせることは、相手を認めること。みんな自分の存在をわかってほしいと思っているはずだから、きちんとみんなの目を見てコミュニケーションを図ってゆきたい。