夏が終わった、どころか、
梅雨にもどったみたいなじめじめした日。
降るんだか降らないんだかわからないので、
思い切って自転車で出かけてみたら、
帰りに乗ろうとしたらサドルがびしょぬれ。
雨に降られないでよかった。
夕方になってすごい雨が降ったけど、
すぐにやんだ。
きょうは工事休みらしくてすごく静か。
この時期にいつも思う。
「戦争は悲惨だから二度と起こしてはいけない」
かならず日本が起こす前提になっているのはなんでだろう。
「武器を持たなければ戦争が起きない」
片いっぽうだけしか武器持っていなければ虐殺にしかならないのでは?
戦争のせの字さえ言わなければ戦争にならないかのような。
北のミサイルを迎撃すると戦争になる、みたいなことを言いだす人までいる。
それは「事故は起きない」と言いつづけた電力会社と変わらない。
もし不具合が起こったらどうするか、を考えておかないと、
不具合が起こったときに対処できるわけがない。
戦争も同じで「悲劇は繰り返さない」だけではなくて、
戦争が起きてしまった時に、
どうすれば被害を最小限度でおさえられるかを、
まずもうすこし真剣に考えるべきかなあと。
そして「対話」というのは、
同じ合意点を見つけられる者同士でないと成立しない。
裁判所の調停だって、
問題を解決しようとおたがいが思っているからこそ成り立つわけで。
日本のまわりの国々は自分たちの意見を振りかざすだけで、
相手の意見を聞くつもりはないように見える。
要求を認めさせようとするものと、
要求を拒絶しようとするものとの間には、
基本的に対話なんて成立しない。
はじめから合意点なんてどこにもないんだから。
核拡散防止条約に不参加の日本を批判する立場の人が、
対話をしろと騒ぐのがよくわからない。
国民を飢えさせてまで経済をぼろぼろにしてまで、
「平和を愛する諸国民」にミサイルをつきつけて人質に取ってまで、
核保有国になりたがっている国がいまさら方針を変えるとでも。
対話をするっていうことは、
核保有国がひとつ増えることを認めることとどう違うのか。
70年前の日本を引き合いにしていまの日本を批判するよりも、
いま批判するべきは独裁者のもとで間違った方向に進んでいる国なのでは?
報道の自由も表現の自由もない国がすぐそばにいくつもあるのだけれど。