小学校のころに1回。
わがまま放題のイヤな子だったと思うのに、
クラスでお別れ遠足までしてくれた。
なのに、引っ越してからは、
こちらから連絡できなくてそれっきりに…
会社の事務所の引っ越しっていうのもあったっけ。
そのときも、よく通ってたお店なんかに、
「近くに来たらおいで」って言われても行けなかったり。
なんかそういう不義理がつみ重なってるような。
お互いの距離を保ったり、
さりげなくまた距離を取ったりするのってむずかしいから、
「立つ鳥跡を濁さず」ができる人がうらやましい。
でも、いわゆる「人脈」のためだけに、
定期的に連絡を取るっていうのもなんかいやな感じ。
最終的には、縁というか運命に流されるしかないんだろうな。
いつか会いに行けるかなとも思わないことはなかったけど、
こどものときにいた家は、
区画整理で町ごとなくなってしまったので、
それももうできなくなってしまった。
引っ越しのときに荷物の整理で、
いろんなものを泣く泣く手放してたけど、
本はほとんど持ってきたと思う。
泣くくらいこわがっていやがってた、
妖怪の本は親が燃やしてた。
いまだったらそれだけはやらないと思うけど。
図書館で文庫本を貸し出すな、とか。
どうなんだろう。
たしかに昔はあんまり図書館に文庫ってなかったような気もする。
気軽に買える本は買えってことなのかな。
値段が高くて場所を取るハードカバーは買わないし、
まず興味を持ったらまず図書館で借りて読んでみて、
おもしろければ文庫になったときに買う感じ。
文庫で借りても手もとに置いておきたいと思ったら、
やっぱり買う。
そもそも出版社にとって文庫の位置づけってどうなってるんだろう。
もともとは、ながいあいだ読まれる価値がある本が、
安い値段で文庫になって手もとにおいておけたり、
しっかりした人の解説がおまけについたりってものだったような。
ただ、むかしの文庫は高くでも600円くらいだったと思うけど、
いまどきは1,000円越えもめずらしくないし、
文庫書き下ろしも多いうえに、ふつうに絶版になったりもする。
新書と文庫の境界線もあいまいになってる気がするし。
だいたい、読みたい本が全部図書館にあるわけでもないし、
どうしても読みたければ読んでなくても文庫で買う。
ただ、読んだことのない作家さんの本を、
いきなり買うのはためらうこともあるから、
シリーズ物の1冊だけ借りて読んだりするのにも、
図書館は便利。
お試しで読むなら図書館は便利なんだけどなあ。
なんかこういうのあんまりケチケチすると、
日本で本を読む人自体がもっと減っていくような気がする。
「文春砲」とかどんどん下品になっていってるし、
文藝春秋も週刊誌レベルの煽りっぷりで、
なんか重みがなくなってしまった感じ。
まあ、この社長さん、野党議員と「おともだち」って話があるから、
この件も、もしかしたらそういう目的があるのかもしれないけど。