TBA

(仮)

サーカスに行ったことは…

2017-10-25 | テレビ番組

ちっちゃいとき、

なんとなくサーカスってこわいイメージがあった。

なんでだろう。


ピエロも "Clown in the Mirror" みたいに、

悲しい顔を隠して人を笑わせてるとか、

逆に「地獄の道化師」的なこわさがあったり。


いまだと、すごいプロフェッショナルな人たちだってわかるのだけど。


別にそういうのとは関係ないけど、行ったことない。

でも、なんか機会があったら行ってみたいとは思う。


空中ブランコとかすごいなあと思うし、

デフ・レパードのなんかのPVでも流れてた、

金網の球体の中をバイクがぐるんぐるん回るのとかも見てみたい。


シルク・ド・ソレイユもサーカスなのかな。

"太陽のサーカス" みたいな名前だし。




きょうは天気がよかったので、午後からはそうじ。

ずっと出しっぱなしだったせんぷうきを片づけたり。

もう一ヶ月くらい使ってないし、

さすがにもう使わないと思う。

せんたくものもよく乾いてしあわせ。

冬のふとんも干したかったけど、

朝から時間があるときにやらないと。


まあでも、夕方に暗くなるのが早い。


すごく一日が短くなる気がしてしょうがない。

車に乗ってても、

夕方になると荒い運転の人が増える気がするし。




「100分de名著」の歎異抄、おもしろかった。

ずっと前に録音してた伊集院さんのラジオに、

釈さんが出てたのも聴きなおしてみたり。


無宗教の話。

キリスト教圏とかで「無宗教」と言ってしまうと、

「無神論」と誤解されて…、みたいな話があるけど、

日本でいう「無宗教」は特定の宗教団体に所属してない、

くらいの意味しかないんだし、

いちいち言うことでもないのかな。


「行為様式」という話があったけど、

おてんとさまが見てる、みたいな、倫理感のようなものかも。


そういうズレが、クジラ漁やらイルカショーの妨害やら、

それこそサーカスの動物へのクレームにもつながっているのかな。



「回心」の話も興味深かった。

自力の心を捨てて、他力の心が定まっていく。

生涯ただ一回のような大転換。


伊集院さんの、笑いの定義の話。

笑われていようが、笑わせていようが、

人が笑っていれば、笑い。


「生かされている」ことに気付くと、

人間、世界の見方が変わる。



それとつながっているのが「自然」

あるがままの存在。

振り返ってみると、この道はこうでしかなかった。


はからいを捨てること。

捨てられない自分だということがわかれば…


「なすがまま」でもなく、

「あきらめる」のでもなく、

「ひらきなおる」のでもない。


やらされていると考えるのではなくて、

自分のやるべきことをやった結果として、

阿弥陀さまに身をまかせてすべてを受け入れるということかな。


タイムマシーンを使って、

過去に戻って未来を変えるのは無理、ってことともちがう。

「四畳半神話大系」を思い出したけど。

「いずれにしても僕はあなたに出会って全力であなたをダメにします」


宗教とは「物語」である、と。


まあ、簡単にわかったような気になるのは違うんだろうな。

考えて、迷って、悩んで、

ぐるぐるぐるぐる回った結果、

らせん状に少しでも上に上がってたことにあとで気づけば…

くらいの気持ちでいられれば。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする