TBA

(仮)

ありがた迷惑

2019-12-05 | 本と雑誌

 

長ーい夏が過ぎて、一瞬だけ秋が来て、

急に冬になった感じ。

去年はどうだっけ、とか考えてもあんまり意味がないみたい。

 

これだけふつうに寒くなってくると、

地球温暖化とか信じない人がいてもふしぎはないとは思うし、

二酸化炭素排出量、第1位と第2位の国をさしおいて、

ぞうきんを絞りに絞りぬいてる日本がまだ批判されているのは、

ある意味光栄なことなのかもしれない。

叩きやすい国なのか、理想上のパラダイスであってほしいと思われているのか、

意外とその両方であるような気も。

 

 

『ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家』を読む。

ゴッホって絵が好きというよりも、画家その人のほうに興味がある感じ。

この本は、ゴッホが残した手紙を通して絵や内面を解き明かそうとした本なのだと思う。

牧師の息子として育って、自分も聖職者をめざしたということで、

その絵の中にも宗教的なモチーフがある、ととらえるのは正しいんだろうなあ。

 

自分をかえりみず貧しい人たちに施しをし娼婦と同居する。

善意ではあるのだろうけど、どこかずれているようにも感じる。

『幸福の王子』みたいにも思える。

時代の変わり目にとまどった裕福な子弟たちのうちの1人なのかも。

ドストエフスキーもそうだし、太宰治なんかもそんな感じ。

家族との深い結びつきや自分自身への執着のなさは、宮沢賢治も思い出した。

 

弟、テオにとっては、迷惑でもあったのだろうけど、

ものすごく重要な兄には違いなかったのかな。

でも、その奥さんのヨーにとっては、あくまでも夫の兄、

テオの気持ちは理解はできても、そこまで大切に思えたかどうか。

一家の重荷になることを悲観して自殺ということだとしたら、

ヨーが最後にヴィンセントと会ったときのことを後悔しているのが重い。

放っては置けないけれど、近づきすぎると振り回されてしまうような人だったのかも。

 

そして、過剰に美化された”想像上の日本”への憧れ。

現実の日本は、そういう想像通りの場所ではないし、

ふつうに日常を生きている人々が暮らしているだけの場所でしかない。

 

でも、そうであってはほしくないから、過剰に干渉してくるという面もあるような気がする。

日本国憲法が押しつけ、とまでは思わないけれど、

青臭い理想が具体化されたものではあるように思うし、

温暖化対策や漁業にクジラ、動物園なんかの問題でやり玉にあげられるのも、

人種差別的なものもないとは言わないけれど、

”理想の日本”を勝手に押しつけられてるように思える。

 

”あるべき姿”の日本に変な期待を持って、

いま、来られている外国人の人たちにもそういう人たちがいる感じがする。

”遅れている未開な人たち”と、上から目線で言ってるなあって人もいれば、

純粋に善意なのかなあっていう人もいる。

まあどっちにしろ、わりとありがた迷惑には感じるのだけれど。

 

 

『欲望の名画』も読んだけれど、ほかの本ともかぶってたりしてちょっと…

ドラクロワとタレーラン!?

 

コメント
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