TBA

(仮)

伝統

2019-12-28 | ブログ

 

寒い。

きのうみたいに風も吹いてないのに、なんで同じくらい寒いんだろう?

納得いかないなあ。

たこあしに干したせんたくもの。

うっかりして片側しか止めてなかったのに何もなかったのは、

風が吹いてなかったおかげだけど。

 

こんな時期に車で移動するとどうせたいへんな目にあうので、

自転車で買い物に行こうとしたけど、空気が入ってないのを思い出した。

だいぶ乗ってないしなあ。

入れようと思ったけど、空気入れの調子も悪かったはず。

見てもらったら、空気入れが寿命らしい。

どうしたもんかな。

歩いて行けない距離じゃないけど、時間がもったいないし。

 

 

ゆうべは「楽屋ニュース」を見る。

これも季節もの。

ものすごくハードルを上げて楽しみにする、というほどでもないけど、

見ればおもしろいし、見ないと年を越せないような気がするやつ。

 

途中から見たのだけど、ミルクボーイいるかなあと思ったらいた。

ひな壇の3列目のはしっこ。

M-1チャンピオンなのに。

見取り図は内側だけど4段目。

からし蓮根はスタジオにすらいなかった。

おもしろいなあ、関西ローカル。

 

M-1獲ったくらいでもひよっこ。

上方漫才大賞までにはまだまだ長い道のりがあるし、

これも伝統。

大阪の層の厚さということなんだろう。

視聴率も関西が26.7%で、関東は17.2%だとか。

文化の違いっていうことでもあるんだろう。

 

それにしても、伊集院さんもラジオで言ってたけど、

今年のエントリーが5040組だということは1万人の漫才師がいると。

プロとして必死で取り組んでる人だけではなくて、

アマチュアとして割り切っている人までいるんだから、

それは、日本が平和でしあわせな国っていうことなんだと思う。

 

多様性とかご立派に掲げていながら、

上から目線で勝手な価値観を押しつけてくる国や組織もあるけれど、

400年前からパトロンなしに芸術家が生計を立てることができた国がどれくらいあるのか。

それくらい独自の文化を持っていた国に対して、なぜ恥も外聞もなくそういうことができるのか。

日本がそれを他国にやれば、一方的に叩かれて名前までさらされることになりかねないのに。

 

「おじさんはなぜ時代小説が好きか」のなかにもあったけれど、

日本という国は、そういう他国からの干渉を受け入れたり、また上書きしたり、

波を返すようにして独自の文化を築いてきたのかなあと思う。

で、西洋文化以外の価値を認めさせられるところまで来たのかと。

 

でも、それまでには西洋的なものを排除しては受け入れられないと見るや、

鹿鳴館だったり松山の捕虜収容所のような、涙ぐましい努力をしてきたりもしたわけで。

 

弱い国だったころに結んだ条約は無効、とか身勝手に宣言してしまえば、

すべては簡単なことだったのかもしれないけれど、

”野蛮人”とか、見下されることも確実。

 

逆にそれをやってしまったからこそ、

今もまだ上から目線で…ということが起きてしまうのかもしれない。

西洋的なこともできることをあえて証明しなければ、

発言権も得られなかったということなんだろう。

 

この弱肉強食の世界で日本という国をつないできたことには、

もっともっと自信を持っていいと思うし、

すこしくらいは自慢に思ってもいいのではないかと思う。

 

言うべきことは言うべき。いつまでも遠慮しすぎてもいけないのだし。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする