きょうも暑かったけど、
湿気がなかったせいかそんなでもなかったような。
それでも、ここの部屋は40℃あったけど。
24時間TV、やっぱりほとんど見てない。
出演料がどうのっていうのはともかく、
なんというか押し付けられてるっていう感じが苦手なんだろうかな。
寄付したければするし、したくなければしないでいいのに。
それとちょっと似たような話で、
「日本は変われる」みたいなことを言う人もいるけれど、
そもそも、なぜ変わらないといけないのか。
憲法でもそうだけど、別にこの国は、
誰かの理想を実現するためにあるわけではない。
理想を追求するのは悪いことではないけれど、
それを誰かに押しつけるのはいかがなものかな。
なにを期待されているのかわからないけれど、
他人の国に「理想の楽園」のようなものを期待するのが、
そもそもの間違いなような。
それって「秘境」に行った旅行者が、
「原住民」が服を着てたりするのがおかしいとか、
勝手なこと言うのとたいして変わらないように思う。
なにをしようがそこの人の自由なはずなのに。
タトゥーにしても、もっと先の未来で、
なんの偏見もなく受け止める世代が出てくれば、
受け入れられることもあるかもしれない。
でも、いま現在ではまだ、
他人に脅威を与えるためにそれを見せびらかす人もいるわけで、
不快に思う人も多いのもしかたないのかも。
どなたかが書いておられて、うーんと思ったのが、
「カミングアウト」というのは、
他人に自分の悩みを押しつけてることかも、という話。
まあ、そういう「重い」話にかかわらず、
人に話してほっとするっていうのは、
ある意味、なにかそういう「しょってる」ものを、
ちょっと肩代わりしてもらうってことでもあるわけで。
だから「理解しろ」とか「共有しろ」って言われると、
なんかちょっと違和感があるのかもしれない。
たぶん理解も共有も、他人に押しつけるものでも、
強要できるものでもないはず。
で、困ったことには、実は当事者の方々は、
求めることも要求することも望んでいなかったりすることもあるらしいこと。
たぶん、ほとんどの方が望んでいるのは、
「ふつうに暮らせる」ことであって、
特別扱いされることではないはず。
なのに、あいだに入ってことを大きくしようとする人たちは、
サベツされているかわいそうな人なのだから、
特別扱いするのが当然なのだ、というようなやりかた。
そういう考えのほうが差別な気がしないでもないけれど。
日本人のほとんどはそれなりに常識のあるまともな人なはずで、
適切な時間と正しい情報さえあれば、
心配しなくてもやがてはいい方向に自然に変わっていくはず。
でもそれでは気にいらないからといって、
今すぐに自分の理想通りにねじまげたいというんなら、
それはただのよけいなおせっかいでしかない。
ゆうべは「上方落語の会」を見て寝る。
1ヶ月ぶりくらいか。
やっとふだんの番組がもどってきてしあわせ。
福笑さんの「葬儀屋さん」おもしろかったな。
まえに病院に行ったときに、
救急の患者さんが運ばれてくるのに出くわして、
すごくいたたまれなかったことがあって、
なんかときどき思い出して凹んでたのが、
まあ、なんかちょっと上書きされた感じ。
たまさんと小佐田さんとの創作談義もおもしろかったし。
この話、ノーカットで全部聞きたかったな。
流せないこともいっぱい話されてそうだけど。
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