天気予報はくもり。
ふつうにせんたくものを干したら、雨が降ってきて、
出かける前にあわてて中のほうに干しなおした。
なのに、かさ持って出るのを忘れて、しくじったなあと思ってたら、
結局、降らなかった。
せんたくものもぬれずにすんだし、まあいいか。
寝そべってスケートボード…みたいなニュースを見て恐れおののいて、
信号のない交差点を通りかかったとき、
さんざん左右確認して左折しようとしたら、
どっから湧いてきたんだか、目の前に現れた自転車。
正面か、右から来たんだろうけど、まったく気付かなかった。
アクセル踏んでなかったし、相手は別にふつうに走っていったから、
特にあぶないとは思ってなかったんだろうけど、こっちは心臓とまるかと。
なにもなくてよかった。
赤信号で止まってて、たまにやられてびっくりするのは、
青に変わってそれこそアクセルを踏もうとした瞬間に、
右後ろから前を横切ろうとする自転車。
ミラーに移らないところから現れるのはほんとに怖いから…
あと、びっくりしたのは、
かまぼこ状になった踏切りで坂道発進に失敗したのか、
静かーにバックしてきたトラック。
あわててブレーキ踏んでくれて助かったけど、
車間距離開けててよかった。
こわかったことを思い出すのはやめよう。
「よかった探し」をしよう。
新聞の「看取り」の連載で心に残った言葉。
なかなかネットでは見つけられないから、
こういういい記事を読むと、新聞読んでてよかったなあと思える。
『「ググれば一番上に出てくるとこなんで!」URL貼れと伝えても…
何度注意しても参考資料などをスクショで送られてくる話』
『なぜスクショ?スマホネイティブ世代がコピペしない理由』
こういう記事を読んでると思うのだけど、
船の上から水の中をのぞける箱メガネ、っていうのがあるけど、
たぶん、そんなふうにスマートフォンもパソコンも、
かんたんに世の中を見る道具として使えるものなのだと思う。
でも、見える範囲がすべてではない。
パソコンですら、全部を見られるわけではないのに、
スマートフォンだともっとせまいところから世界をのぞいているように感じる。
『若者は情報を早く確実にシェアしたがる』とあるけど、
「早く確実にシェア」することが目的だから、
その情報の分量とか、正確さとかは、あんまり重要視されてないのかも。
自分は思い切りが悪いのか、手に入るだけの情報がほしいと思ってしまうし、
その中から、なるべく正確な結論を導き出したいと思ってしまう。
たぶん、あふれる情報に振り回されてはきりがないし、
早く確実に判断が下せるならそっちのほうがいいのかもしれない。
さんざん悩んだけど、シュレッダーは手回しの小さいのにした。
ネットで調べたけど、結局はお店で見て選んだ。
自分は自分のやり方しかできないし。
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