きたない話。
アスパラガスおいしいんだけど、
トイレ行くときちょっとなあ。
まだ安心はできないけど、
1日たってちょっと落ちついたかも。
ここで出てくる不謹慎叩き。
不注意とか言葉足らずはかんべんしてあげてほしいけど、
確信犯的に発言してる人となら、
お互い正々堂々と戦えばいいんじゃないだろうか。
日本にはまだ言論の自由があるんだし。
言いたいことは言っていいけれど、
結果に対して責任は負わないといけない。
それさえわかっていれば、あとはどうぞお好きに。
それにしてもあのブロック。
さんざん地震の時にはブロックに注意って言いながら、
あれを放っておいたのは…
写真撮ってて気づかなかったかなあ。
ほんとかどうか知らないけど、
同じような塀がその市内にほかにもあるのだとか。
ブロック積み上げるのって安いのかもしれないけど、
目隠しだけなら、支柱を立てて、
カラーの波板でもアルミの板でもいいわけで、
そういうふうにした理由がなにかあるのかもしれない。
「ゴールデンカムイ」見て、
夜中に腹かかえて笑ってしまった。
食べられるオソマに、
白石うしろーからの、あっさり…でやられて、
最後は茂造階段。
タイトルを見てホラーだといやだなあと思ったんだけど、
完全に裏切られた。
不安なときには笑うのも正解かも。
で、そのあと「フットニスタ」のあとで、
見たり見なかったりしてた「ミューブ」
なんだかんだおもしろかった。
ちゃんと見ればよかったかな。
平祐奈さんはやれるうちに、
こういう役いっぱいやっとけばいいと思う。
「100分de名著」も。
「いじめ」に例えるのはちょっとずれてるような。
自分が不幸なんだから、みんなも不幸になればいい、
的な感じのように思える。
『実践的な行動の中で人と人とが結びつく』
待機児童、貧困対策…、
ほんとうに必要なことなら、
NPOでもなんでもでできることから、
とりあえずやってみればいい。
それこそ今の日本の震災ボランティアのシステムなんかは、
そうやってできてきたものではなかったかな。
やってみて初めて無関心な人のことも動かすことができる。
野党が政権交代をしたいのなら、
与党の足を引っ張るのではなくて、
一歩一歩地道に自分たちでやれることをやって、
実績を積むしかないのでは。
TVカメラの前でパフォーマンスをするのではなく。
「神」とか「信仰」についてのことは、
やっぱりよくわからないけれど、
日本人はずっと「神」という存在なしに、
自然とともに生きてきたのだと思う。
そして死は突然訪れるのだから、
神と死が関係ないのはあたりまえ。
宗教はそういう苦しみを和らげるための方便でもあるのだから、
逆も真というわけではないはず。
ペスト=殺人は、?だけど、
そもそも死刑と殺人もイコールではない。
『あらゆる場合に犠牲者の側に立つことを決めたのだ』
ご自由に。
でも、それを他人に強制するのは違う。
すべての人が持っている、
『自分のうちにある悪』
それは受け入れなければいけないけれど、
どう受け止めるかはそれぞれの自由でいいはず。
神父についての伊集院さんの発言で、
映画の「Uボート」とか、
「ポセイドンアドべンチャー」を思い出したけど、
キリスト教圏の方とはやっぱり感じ方は違うのかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます