子供の頃を過ごした阪神間、関東に住んでいてもあの惨事は忘れることができません。 能登の地震も真冬の1月でしたので大変でした。 能登の地震は課題図書を読んだことと、お世話になってる住職さんが金沢出身でしたので身近に感じます。 祖母の葬式の後「金沢回って夜行で東京に戻った」と言ったら「“能登”に乗ったやろ。」とバレバレでしたが。
NHKラジオで「明日への言葉」で浄土真宗の故豊原さんのことを知り、震災で娘さんを亡くされたことを知りました。 弟と同じ歳でした、弟は最初の正月は家にいませんでしたが豊原さんが同じ病院に入院されてたこともあり、また西ノ宮駅の近くにお寺があったこともあり我が身のことのように思えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/bf/d4a79ae7caf9c05da420f9dd7f05476a.jpg)
画像は三ノ宮の生田神社です。 弟の七五三で「にいちゃん何言ってんの?」と聞かれ適当に「南無阿弥陀仏」と答えましたが、、、違うだろ。 この生田神社も被災しました。
自宅は耐震建築なのですが、いつ地震がくるかどこにくるのかわからないのです。 自分が被災すれば感謝し、手を差し伸べることができたらできるだけのことをしたいと思います。 東北の地震では救助に来た自衛艦に言いがかりをつけたりした被災者や役所で展示があったとき原子力発電所を誘致した責任を全く感じなかった現地の人をのを見てるので情けなく感じました。
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