2024年4月29日(月)
#389 スリー・ドッグ・ナイト「Mama Told Me Not To Come」(Dunhill)
#389 スリー・ドッグ・ナイト「Mama Told Me Not To Come」(Dunhill)
スリー・ドッグ・ナイト、1970年5月リリースのシングル・ヒット曲。ランディ・ニューマンの作品。リチャード・ポドロールによるプロデュース。アルバム「It Ain’t Easy」に収録。
米国のロックバンド、スリー・ドッグ・ナイトは67年にロサンゼルスで結成。シンガーのダニー・ハットン(日本の俳優・柴俊夫サンに似た人)が中心となってボーカルトリオを組み、これに4人のバック・ミュージシャンをスカウト、追加して作られた。
ABCダンヒルと契約、シングル「Nobody」で68年1月デビュー。翌年リリースのサード・シングル「One」が全米5位の大ヒット。
これはハリー・ニルスンの作品であるが、基本的に彼らの曲はオリジナルが少なく、既存曲のカバー、もしくは新進気鋭のソングライターに依頼して書かれたものが大半である。
以降、必殺ヒットメーカーとしての、彼らの快進撃が始まることになる。
本日取り上げた「Mama Told Me Not To Come」は70年5月にリリースして初の全米1位を獲得したナンバー。彼らの7番目のシングルに当たる。
もともとこの曲は、シンガーソングライター、ランディ・ニューマン(1943〜)が66年、元アニマルズのエリック・バードンの初のソロアルバム(67年リリース)のために書いた曲だった。後にニューマン自身がセルフカバー、70年4月リリースのセカンド・アルバム「12 Songs」に収録している。
これに目をつけて、さっそくカバーしたのがスリー・ドッグ・ナイト版ということになる。
この曲のヒットぶりは凄まじかった。ビルボードでは1970年の年間11位にランクインし、7月にはゴールド・ディスク認定されている。
当時中学1年だった筆者自身も、ロック、ポップスに開眼した年頃。日本でもこの曲は大ヒット、TBSトップ40などのヒットチャートで毎週高位をゲットしていたことを、昨日のことのように思い出す。
今になって考えてみれば、「Mama Told Me Not To Come」のようなクセの強い曲がよく大ヒットしたなと思う。
だって、曲の半分以上を占めるのは、歌というよりは語り、メロディはほぼサビの部分だけという、特殊な構成になっている曲はフツー、ヒットせんでしょ。
しかし、そんな一風変わった曲でさえ大ヒットさせてしまうくらい、当時のスリー・ドッグ・ナイトには人気と勢いがあった。そして、その源泉である高い歌唱力と音楽性も。
ここは、オリジナル音源とともに、テレビ番組での彼らのパフォーマンスを観ていただこう。
センターのシンガー、コリー・ウェルズがこの曲の主役だ。超イケメン(ここではヒゲ面だが無髭がデフォ)にもかかわらず、オーティス・レディングを彷彿とさせる、渋〜い塩辛声の持ち主のウェルズ。
「ギャップ萌え」という概念の元祖は彼なんじゃないかと思わせるくらい、ルックスと声質に激しいギャップがあり、またそれがよかった。
以前「一枚」でこのバンドのライブ盤を取り上げたが、そこで彼がソロで歌ったオーティス・レディングのカバー「Try A Little Tenderness」が最高にカッコよかった。この曲でも、彼のシブい声の魅力が最大限に生かされている。
ウェルズのユーモラスな語りの末に、大爆発する3人の強烈なハーモニー。これがまさに本曲のキモである。
およそ3分のコンパクトなサイズにピシッと収まっているのも、実にシングル向けだなと感じる。
ランディ・ニューマンならではの諧謔、皮肉に満ちた歌曲、彼本人の歌では絶対ヒットしないだろうクセの強い曲を、あっさりヒットさせてしまうスリー・ドッグ・ナイトの力技には驚嘆する。
その後も数々のヒットを繰り出すことにより、曲の作者である多数のシンガーソングライター、ランディ・ニューマンをはじめ、ニルスン、ローラ・ニーロ、ポール・ウィリアムズ、ホイト・アクストン、レオン・セイヤーといった人々が世間にアピールするきっかけを作り出したスリー・ドッグ・ナイト。
オリジナル・ヒットとはほぼ無縁だったが、彼らが70年代ミュージック・シーンに対して果たした功績には、想像以上に大きなものがあるだろう。
優れた他者の曲を紹介して世に広めていくこともまた、優れたミュージシャンならではの「仕事」だと思うよ。