ブログを読んだ方が、ブリストルの港の絵を見つけて送信してくださいました。
感謝します。
ブリストルは、川が大きくそこに小型船がたくさん並んでいます。
奴隷船の出入りする港で栄えましたが、ジヨージのいた19世紀初期には、それもなくなり、植民地での奴隷制度も、ちょうど廃止された頃です。
大きな町ですが、ジヨージ・ミュラーが住んだ所は、みんな海の近くでした。
66歳から87歳まで14回、42カ国、地球を8回船で回りました。
日本にも来たことがあります。
93歳でメッセージを周1回していましたが、病弱だった彼の人生は、奇跡ですね。
モーセも80歳で、神の働きをするものになり、ヨシュアも80過ぎて戦いに行きました。
それを思うと、私たちは、まだまだこれからですね。
19世紀のブリストルの港の写真が欲しいのですが、残念ながら見つかりません。
想像で描くしかないのですが、私は、想像力が乏しいほうなのでいま、苦戦しています。
祈りつつネットで、探しています。
ところで、今日、次の作品の主人公になる方の20代初期の写真が届きました。
思っていたのと全然違い、とってもかわいいのです。
こんなかわいい方が、後に有名な牧師になるなんて、当時は誰も思わなかったでしょう。なんだか、嬉しくなりました。
どなたの写真なのかは、もう少し先になってからお教えしますね。
今は、内緒です。ふふふ・・・。
最近、昔のまんがで、感動したものがありましたが、両方ともTVドラマになっていました。
一つは、キャストも良く長いストーリーの良いところを選び取った感じがして成功したと思いました。
しかし、もう一つは、ドラマのあらすじがウエブに出ていたので、読みましたが、あまりにも原作と違うのでびっくり仰天してしまいました。
大海のマグロが、スーパーの刺身になった感じです。つまり、一部だけ取ってその作品のダイナミックな部分を全部省いて、ただの学園ドラマになっていたからです。
原作をドラマや映画にするのは難しいですが、その点「のだめカンタービレ」は成功していると思います。
ところで、この間ラーメン屋で面白い話を聞きました。
松本清朝の映画で原作よりよかったのは、「砂の器」だけだったとお客さんが言っていました。
もちろんん中井正広ではなく加藤剛のほうです。
私もそう思いましたが、ビスコンテ監督の「ベニスに死す」も主人公の美しさで小説より成功していますね。
どちらも小説家を音楽家にしたところが映画では良かったと思いました。
何でも、アレンジ次第ですが、まんが「日本キリスト教史上」のアニメ化の脚本もそのように良い物であってほしいものです。
ちなみに私が書いた脚本がありますが、主人公は、犬と猫で、かなり原作とは違います。
いつか、これもまんがに出来たらと思っていますが・・・。
ギリシャ語で、人と言うのは、上を見上げるとか祈ると言う意味があると聞きました。
どんな人でも上を見上げあがめる対象を求めるのです。しかし、ほとんどの方々が、宇宙や人間を造ってくださった真の神様を見つけだすことができません。
だから、神様が造られた太陽や月や自然を拝み、死んでしまった者や手で作ったものを拝むのです。
日本で神になった方々の中には、政敵に殺された方々がいます。
殺した者は、崇りを恐れて、神に祀りあげて自責の念から解放されようとしました。
その代表が、菅原道真で、学問の神様としてあがめられています。死んだ人間は、神ではありません。
イエス・キリストは、神の子ですが、この地上に来て人類の罪の身代わりとなって十字架上で死んでくださいました。
そして、3日目に甦り、人々の見ている前で天に登られ、もう一度帰ってくると言われたのです。(これを再臨と言います。)その再臨こそが、クリスチャンにとっては、輝かしい大いなる日なのです。
私たちは、それを待ち望みつつ天を見上げて祈るのです。 それこそが、人のあるべき姿なのです。