詩編34:9「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことがないからだ。」という御言葉がありますが、恐れると言うことはどういう意味なのだろうかとずっと考えていました。
この恐れと言うのは、人間的な怖いと言うのではなく、神を敬い、御心に服従すると言う意味です。
真に神様を敬い服従する者は、悪から離れ、この世と調子を合わせない者のことです。
そういう者と、神様は、親しく交わり、乏しいことがないようにすべてを満たし、死の罠から守って下さるのです。
だから、詩編や箴言では、何度も「主を恐れること、これが知恵である。」とか「知恵の初め」だと言っているのですね。
今日、ある方の説教からヒントを得ました。
昨日は、お休みの日でしたが、遠くのスーパーまで往復1時間10分歩いて買い物に行きました。
そして、帰って来てから仕事をしていましたが、夜10時からストレッチをしながらTVを見ていたら、な・なんと1.5キロやせていました。
とにかく筋肉が無いとやせないそうです。
やせる方法は知っていますが、それが身についていないので困っているわけで、
これこそ、やる。やり続けないと効果は無いですね。
ブログも毎日書き続けないと、読んでくださる方もいなくなるわけです。
このブロブを読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。
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ところで、何でも見分けて行くことが大切ですが、本当に神様から来ているかどうかを見分ける方法の一つとして、その働きの中に神様の愛があるかどうかを見ることです。
意見は正当なのに、神様の愛がなく、かえって神様の働きを妨害してしまう事もあるのです。
これからは、ますます混乱の時代に入っていくので、何でも見分けると言う意識が必要ですね。
聖書に出てくる神様の器たちもそれぞれに欠点がありますが、その中でもサムソンと言う人は、異色の存在でした。
生まれる前から、神様の使命が与えられ、髪の毛に特別な力が与えられていましたが、これは、神様の臨在を表しています。
彼は、女性に弱かったのですが、神様はそれさえも敵をやっつけるために利用されましたが、結局はその女性問題で身を滅ぼしました。
愛した女性から、力の秘密を教えて欲しいと毎日聞かれ、初めは、嘘を言っていましたが、だんだん真実に近いことを言うようになり、とうとう髪の毛をそり落としたことがないと、力の秘密を打ち明けてしまいました。
女がサムソンを売ったので、彼の髪の毛はそり落とされてしまいましたが、サムソンは自分から力が去って行ったことに気が付きませんでした。
つまり、それくらい霊性が落ちていたということですが、その結果、目をえぐられて牢の中で重労働をさせられます。
しかし、だんだんに髪の毛が生えてきましたが、これは、真に悔い改めたので神の臨在が戻ってきたことを意味しています。
そして彼は、再び力を得て、自分の命をかけて多くの敵を滅ぼしました。
神の器であっても、その弱いところをそのままにしておくと、自滅するきっかけになりやすいのです。
そのためにも、神様の力によって清めていたでけるように祈るべきですね。