漫画家は、かわいい絵が描けるだけではなれません。
ストーリーが重要なのです。
だから、最近は、原作者と漫画家と分かれている場合が多いのですが、それでもストーリー展開がうまくできないと、材料が良くてもまずい料理になってしまいます。
私は、すべて一人でしているので、人々の霊に触れるような作品を描きたいと祈っています。
ところで、拙著「日本キリスト教史上下」は、カトリックの殉教のお話で、いつか単行本になる予定の「プロテスタント史」も殉教のお話だったので、描いている時期はとても厳しい状態でした。
信仰の極限まで問われながら描いている状態でした。 しかし、今は、ジョージ・ミュラーの信仰姿勢から、いろいろ学びながら感動しつつ楽しんで描いている部分があります。
新連載は、感謝と賛美の連続ですが、初めは、ジョージと一緒で、「えー!」と思うことの連続です。
どうしょうもない方が、神様に触れられどのように変わっていくかが楽しみな作品です。
もう少し、時間がかかりますが、楽しみにしていてくださいね。
やっと漫画のはみ出した部分の修正が終わりました。
後は、模様の印刷してあるスクリーントーンを貼るのみになりましたが、、これが時間がかかるのです。
どんな模様にすればいいのか、考えながら貼るのからです。
昔は、このトーンがなくてみんな手で描いていましたが、今は便利です。
アメリカの漫画家の方と話をした時、わたしの作品に貼ってあるスクリーントーンの種類にびっくりしていました。
こんなものまであるのかと言って、お土産に買って帰ったと思います。今は、コンピューターグラフィックの時代になりましたが、私はやはり手描きの水彩画絵具が好きです。
水彩と言っても、私は、描いた後には、油絵のようになるアクリルカラーを使っています。
このブロブの、最初に出てくるイラストがそうですが、一番好きなのは、水墨画かもしれません。いつかそんな絵が、描けるようになりたいものです。
エジプト・イスラエルに派遣されていたチームが帰ってきた頃ですが、アムステルダムで今回スリにあった方がいました。
前にもアムステルダムで、スリにあった方がいたので、今回もスリに合わないようにと祈っていましたが・・・。
海外は、スリや置き引きが多いので、私は、空港でも荷物はしっかり抱えています。
韓国のインチョン空港で4時間1人で帰りの飛行機を待っていた時も、座っていて居眠りしないようにと思い、売店をくまなく回り何回往復したか分かりませんでしたが、かえってスリの危険があったかもしれませんね。
アメリカの免税店では、お土産を買った後、早めに集合場所に行こうと思いエスカレーターに乗った時、バッグがないと気づき叫んでしまいました。
しかし、瞬間に気がついたのは、取られてはいけないと思い肩にかけてしっかり持っていたのです。
笑い話ですみましたが、あの時は、冷や汗をかきました。
海外での失敗は山ほどありますが、良い思い出になっています。
わお!感謝です。
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土曜日は、4回も記事を書きましたが、読んでくださったみなさんありがとうございます。
ところで、ここの所、4回も同じ御言葉の語りかけがありました。エゼキエル11:19「わたしは、彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしは、あなたのうちに新しい霊を与える。わたしは、彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。」
エゼキエル36:26「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしは、あなたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
19では、彼らにですが、36ではあなたがたになっています。
新しい心に変えられるのは、イエス・キリストにのみ出来ることです。
かたくなな石の心ではなく、柔らかい肉の心に変わることは、表面的なことではなく全人格的・本質的な変化を言っています。
自分の力ではなく、神様に期待します。
現在描いている「ブリストルの風」の中でのジョージ・ミュラーのセリフで気にいっているものは、「神様は働きが大きくなれば、その必要に応じてすべての必要を満たしてくださる。」と言うものです。
これは、励まされますよね。
私もずっと、経済では戦いですが、これがないと祈らないのかもしれないと思ったら、困難があることは感謝だなーと感じました。頭がよくて、美人でお金があって、人格も素晴らしかったら祈らなくても何でもできてしまうので、神様の所にはいかないかもしれません。
そういう意味では、ソロモン王さまはよい例でしょう。
すべてがそろっていたから、「人生空の空・・・。」なんて言いながら、1000人もいる女性に惑わされて真の神様以外の偶像を取り入れてしまうのです。
今回も、ジョージは失敗をしますが、後に孤児院をするときの良い教訓になります。
彼は、失敗の多い人でしたが、神様に対してまっすぐな人でした。そんなところがかわいいところでもあるのですね。