「津田梅子とアナ・C・ハーツホーン」を読んでいて明治時代、海外でも女性はかなり差別されていたのだなーと感じました。
ある有名大学では、女性はテストを受けることはできたけれど、入学はできなかったのです。
アナは受験し優秀な成績で受かったのですが、しかし、大学には入れませんでした。
また、ジョージ・ミュラーの時代、イギリスでは国教会(聖公会)の信者でないと、大学に行けなかったのです。それから、ジョージも津田梅子もそうですが、病気療養のため海外に行きますが、余計に疲れてしまうのではないかと思ってしまいます。
療養だったら、静かなところで寝ていた方がいいのにと思うのですが・・・。
伝記を読んでいて、そこが不思議に感じるところです。
クララの明治日記に面白い話が載っています。
兄のウィリイが、お母さんのためにミントキャンディーを買いに行きました。
日本では、ミントとのことをハッカと言うので、「ハッカをください。」と、日本語で言うと「墓は売っていない。」と言われたのです。
数件行きましたが、どこへ行っても「墓は売っていない。」と言われるので、怒って「日本では、ミントキャンディーは買わない。」と言ったのです。前にも書きましたが、外国人の多い都心の花屋さんで、外人が良く「ボケをください。」といるので、「木瓜(ボケ)の花はありません。」と答えていたそうです。
それは、木瓜の花ではなくブーケのことだったのです。
外国語は難しいですね。
それにしても、クララのお父さんは、5ヵ国語ができましたが、明治時代の政治家は海外留学者が多いので、英語だけでなくフランス語やドイツ語ができる方もいました。
徳川慶喜は、将軍時代フランス語を習ったいたし、フランス大好きと言う方で、外国のお客さんを招いた時、フランス料理のフルコースでもてなしたのです。
みんなすごいですね