資料の本は、絶版になっているものが多く、プレミアがついています。
そのため、いつもアマゾンや古本市場やオークションをチエックしています。
1800円の文庫本で、どうしても必要な本が、1冊5000円以上になっていました。
年中チエックしていたら、ある時、3500円を見つけたので、すぐに買いました。あれから、1年がたちます。
昨日久しぶりに検索したら、999円になっていました。「信じられなーい」でも、感謝ですね。
歴史まんがを描くにあたって、その時には資料がないけれど、後から出てくると言うことがよくあります。
それから、立場によって、同じ事件が異質なものになってしまうこともあります。
たとえば、中国の西太后は、映画に出てくる残酷な人物ではなく、日本に亡命した人々によって悪く言いふらされたと言うのがあります。
また、誰かが間違って発表したのが、そのまま一般的になってしまったと言うのもあります。
板垣退助が、暴漢に襲われた時「板垣死すとも自由は死なず。」と言ったことになっていますが、事実は側にいた別の方が言ったそうです。
徳冨蘆花の有名な「不如帰(ほととぎす)」では、主人公で、肺病の娘・浪子をいじめる継母が出てきます。この親子が、大山巌の娘・信子と後妻の山川捨松がモデルだと言われています。
そのため、捨松は、いじわるな人だと当時思われていましたが、事実は反対で、肺病になった義理の娘を捨松は親切に世話をしています。
この捨松は、津田梅子と一緒に、アメリカの女性留学生になった第一号のひとりです。
西郷隆盛の従弟にあたる大山は、奥さんが亡くなり、再婚相手を探していました。そこで、アメリカから帰って来た、かなり年の違う山川捨松と結婚話がもち上がりますが、大山は洗練された捨松に一目ぼれします。
両方とも海外生活が長いので、ただのお見合いではなく何回かデートを重ねます。
ところが、大山は鹿児島弁の訛りが強いので、捨松には理解できないわけです。そこで、英語で話しかけたら会話がスムーズに行き、日常会話は英語で、お互いに物凄く愛しあったそうです。
そんな仲の良かった家族を徳冨蘆花はモデルとしたのです。
そのおかげで、捨松は意地が悪いと世間で嫌われ、本人も悩んでいましたが、徳冨蘆花が、公に彼女に謝罪したのはベストセラーになった19年後で、捨松の死の直前だったのです。
今だったら、名誉棄損で訴えられ、裁判沙汰ですね。
このように真実とは違うことが、真実のように大手を振って歩いてしまうことはよくあります。
だから、どんなことで、正しく見分け吟味することが必要ですね。