今日は、勝海舟の約2500坪の屋敷にあった門の写真をお見せします。
敷地の多くはは、氷川小学校に寄付されたので、小学校の門にもなった時代がありました。
現在は、石神井公園の側にある三宝寺の門になっています。
また、屋敷跡に当時をしのばせる銀杏の木が残っています。
この銀杏のすぐそばに徳冨蘆花の借りていた家がありました。
正門から入って屋敷の左にある勝海舟の書斎の後ろあたりに徳富蘇峰と両親が住んでいました。
銀杏の樹の下に見える道路の反対側に一条邸や九条邸があり、皇后を輩出した屋敷なので、通りを皇后通りとも言われていたところです。
この反対側、正門の左側に、ホイットニー医師が教会兼病院を立てました。
その後に建ったのが、日本キリスト教団・赤坂教会でした。
前に、牧師をされていた井上先生は、軍医で満州のハルビンで、終戦を迎えました。
当時は、路上にたくさんの日本の子供たちが捨てられており、ロシア兵から孤児院をするようにと言われ孤児たちを助けたのです。
そして、帰国して静岡で孤児たちと暮らしていましたが、東京に来てこの赤坂教会の牧師となりました。
いやしの器として活躍されましたが、現在は天国にいらっしゃいます。
又教会も、新しく建て直されていますが、ホイットニー医師が最初に建ててから126年目になります。