言う人の気持ちを慮る風潮に反対するわけではない
でもじゃあ
言われる人の気持ちは??
自分の気持ちに嘘をつかず、正直な話をすることは、回復の道具であることになんら異存はない
その気持ちを否定せず
受容する
自分と神と
もう一人の他者が必要であることも
「よく言ってくれたね」
「死にたいんやね」
沈黙でうなずくとか…
でも
死にたい、殺してくれへんかなって
言われる側は?
それが親とか子どもやったら
受け止める側の気持ちは、どしたらええんやろね。
でもじゃあ
言われる人の気持ちは??
自分の気持ちに嘘をつかず、正直な話をすることは、回復の道具であることになんら異存はない
その気持ちを否定せず
受容する
自分と神と
もう一人の他者が必要であることも
「よく言ってくれたね」
「死にたいんやね」
沈黙でうなずくとか…
でも
死にたい、殺してくれへんかなって
言われる側は?
それが親とか子どもやったら
受け止める側の気持ちは、どしたらええんやろね。