記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

記憶探偵キノレオ絶好調!初三郎・熊八と久住・かつら茶屋

2009年05月15日 22時19分57秒 | 吉田初三郎
 10日夜、FBS「ナイトシャッフル」のシリーズ「記憶探偵キノレオ」第22話が
放送された。ファン待望の西鉄ライオンズのネタ、しかも伝説のウグイス嬢・今
泉京子さんも登場して黄金期のラインナップ紹介までしてもらうオマケ付き!翌
11日は外で会う人ごとに「観たよ」の嬉しい反応。来週は伝説の「旧博多駅前の
ナショナル電球ネオン看板」の謎を解明!さらに「福岡花月劇場」の謎にも迫る。

 福岡花月劇場の社長を務めた西口紫暝さんについて、この1ヶ月追跡調査と資
料収集を継続して、とんでもない事実が判った。というか当時は「当たり前」だ
ったのだろうが、今となってはその事実を知る方がいない訳だ。偶然、西口氏が
花月劇団解散後に改名復刊した「博多余情」を印刷していた当時の会社の社長が、
ボランティアでご一緒している方のお父様で、そちらに遺っていた西口氏関係の
様々な資料を譲り受けた。

 花月劇団に所属した団員たちのその後も可能な限り追跡調査、するとのちTV放
送が始まってから、今でいうタレントとして活躍した方が多いのも改めて知る。
母などに尋ねると、福岡花月出身のタレントの名を良く知っているではないか!
福岡花月劇団が存在したのは、終戦前後のわずか2年半。その裏に色々なドラマ
があることも判ってきた。

 7日発売の「サライ」最新号(21日号)の書評で、「美しき九州」が紹介さ
れている。翌8日、初三郎のポスターを所有している玖珠の宮本さんから連絡を
もらい、改めて訪問した。管理している初三郎「景勝の長崎」鳥瞰図の絹本原図
を表具師の宮本さんにお願いして表装し直してもらい、それが完成したので受け
取りに行った次第である。

 8日は天気が良く、玖珠からすぐ久住飯田高原や九酔渓なので、飯田高原へ足
を延ばした。昼食を九酔渓の「かつら茶屋」で食べ、持っていった絵葉書(大正
14年、初三郎と油屋熊八が十三曲がりの大木の脇で記念撮影しているもの)と
昭和5年頃、「かつら茶屋」ができた後の十三曲がりの絵葉書を店員に見せる。

 確認して判ることは多い。私はてっきり今、かつら茶屋がある場所に以前は大
木があったのだと勘違いしていたが、事実は峠の入り口付近、現在「九酔渓」バ
ス停がある場所だと知る。昭和28年の水害でその場所にあったかつら茶屋は倒壊
し流され、それ以降峠へ登る途中の現在地に移ったのだそうだ。

 複数の方から「絵葉書に写っている大木は今は無い」と聞いていたのだが、そ
れはバス停の脇にちゃんと今もあった。しかも絵葉書と同じ構図で撮影すること
もできる。初三郎と熊八が写った場所がやっと特定できた。思わぬ収穫だった。

以前、掲載した大正14年当時の初三郎・熊八の写真と比較すると判る。
今は川・道路沿いの草木が生い茂って後方が観にくい。

初三郎と熊八・十三曲がり

 9日、博多市民センターでギンギラ太陽sが講師を務める、中・高校生向けの
演劇ワークショップ「はかた探検隊~みんなで街をモノ語れ!」が始まった。
私は観客席から初日の様子を観させてもらい、記録撮影をした。このメンバー
からどんな「博多」Storyが出来上がるか楽しみである。

今日の写真は、吉田初三郎と油屋熊八が大正14年に訪れ撮影した地。
現在の九酔渓バス停。

 
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