記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

駄菓子屋の夢を紡ぐ昭和の旅人。

2007年06月23日 22時27分33秒 | まちづくり
 雨の中、22日は豊後高田と中津へ出掛けた。豊後高田「駄菓子屋の夢博
物館」の小宮氏を訪ね、協力いただく企画展の提供資料確認を行った。平
日降雨にも関わらず観光バス等が何台も連なり、博物館のある一帯は盛況
のようだった。この日は地元の灯籠イベントが予定されているとのことで、
蝋燭をセットする大小の竹が門松の要領で組まれ、随所に用意されれいた。

 企画展へ提供いただく懐かしい昭和レトロな資料の数々。予め数回打合
せして希望リストを伝えていたが、用意いただいた品々は期待通りの品で
あった。展示品ごとに記録写真を撮りキャプション作成、最終リスト作成
に備える。さすが日本一の駄菓子資料コレクターと言われるだけあって、
今となっては入手困難な品が次々に登場。それぞれの品を詳細に解説、ま
つわるエピソードも教えてもらった。

 私も企画展を計画するくらいなのでそれなりに「昭和レトロ」知識、大
正昭和の世相風俗については知識を蓄えているが、小宮氏や北名古屋歴史
資料館の市橋氏には脱帽である。これら商品ひとつを解説するために、当
時の時代背景から世相・流行、近代史そして産業史などの知識も無いとい
けない。

 まさに「駄菓子屋の博物学」。だが、昭和レトロブームと言われて久し
いが、意外にも大学などから研究依頼などは一度も来たことが無いとの事。
最近はドラえもんを研究する学者さんもいるのだが「駄菓子屋」というと
研究対象にはならないのか?

 小宮氏が福岡市西新で「懐かし屋」を始めたのが19年前だそうだ。今
では福岡市内でも大名、今泉、春吉など天神周辺でアパートの一室などを
お店にした下町的文化が根付いているが、昭和から平成へ変わる当時はバ
ブル全盛期。自宅から近かった西新で手頃な空き店舗がどうしても見つか
らず、路地を入った先のアパートに「空き部屋あります」の文字を見つけ
ダメもとで大家に掛け合ったそうだ。

 今も続く懐かし屋の木造二階建アパートの一番奥の部屋を借りた当時は
まだ同じ階に住む住民もいて、気を使って大変だったとか。大家は意外に
あっさり「駄菓子屋OK」の返答で、すぐに工事に掛かった。工事中、近
くの小学生が通りかかり、駄菓子屋が出来ると知ると「いつ開店?」と聞
きに来る子供達が日増しに増え、開店時には口コミで知ってか大勢の子供
が来たとのこと。

 当時は駄菓子屋など子供達の居場所が次々に閉店していった時期。時代
に逆行し新規開店した訳だ。しかも西新地区は福岡市内でも屈指の学校密
集地帯。幼稚園から大学まで15以上が近距離に集中し、話題となって客
は次々に来たそうだ。奥さんが何かお店を始めたいといって奥さんの為に
始めた「懐かし屋」だったが、転機はすぐに訪れる。

 古い二階建てアパートから出てくる学生やサラリーマンを見かけた某ス
ポーツ紙記者が最初に「懐かし屋」を取材。何も考えずに気軽に取材を受
けた小宮氏だったが、その後各マスコミが競って取材に訪れ、福岡では話
題のお店となっていた。私や妻もこの頃は何度も足を運んだ。

 それまでサラリーマンだった氏もお店に本格的に携わることとなり、太
宰府天満宮の参道に「駄菓子屋資料館」を出店。二の鳥居の脇にあって、
「懐かし屋」と同様に二階家の二階へ細長い階段を上がってお店兼資料館
に私や妻は良く通った。特に妻は小宮氏と仲良くなり、リカちゃん人形な
ど氏が苦手な女の子グッズの情報を提供したり、人形や周辺グッズを譲っ
てもらっていたようだ。

 昔から縁のあった小宮氏だが、実は豊後高田へ転居されるまで私はそん
なに会話をした事は無かった。高田をはじめ複数の自治体から資料館誘致
の引き合いが来ていたのは8年ほど前。氏は悩んだ末に、周囲も驚いた一
番立地条件的に悪そうな大分の田舎町への移住を決めて現在へ至る訳だ。

 先日から気になっていた事があったので、聞いてみた。私がサポートし
ている動物病院の院長が4月29日の「昭和の日」にオープンした「昭和夢
町三丁目館」に生花祝いを届けているのに気づいていた。彼と何か縁があ
るのか尋ねると「娘婿だよ」とのこと。するといつも受付にいるあの女性
が小宮氏のお嬢さん。人口140万を突破した福岡市での意外な縁に話も
弾んだ。

 時代は変化するが、縁というのは案外続くものなのだろう。縁ついでに
氏のコレクションを近代産業史・日本の誇る技術力・大人が考える子供向
商品の博物誌をテーマにした本を書こうと決めた。早速準備にかかり、こ
の日帰宅後に骨子をまとめた。

今日の写真は「駄菓子屋の夢博物館」内部。2002年10月14日、オープン
3日目に写したもの。

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