記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

博多の町並み・風景と記憶をたどる。

2007年07月11日 22時15分52秒 | 博多部
 博多の町は連日博多祗園山笠の行事が続き、いよいよ明日12日の「追い山
ならし」以降クライマックスとなる。飾り山やかき山を巡る観光客も多く、
町中が賑やかな空気に包まれている。今年の「追い山」は日曜日早朝だから
いつにも増して見物客が多そうで見物にも覚悟が必要だろう。

 公民館に立ち寄り話しをしていると、中洲流れの他流かきが通り抜けた。
昨年、地域の聞き取り調査の際にお世話になった古老が先日亡くなられたこ
とを聞いて少々ショックだった。突然の訪問にもイヤな顔ひとつされずに、
私に色々なことを教えてくれた。博多で一番古い集合住宅である祇園アパー
ト建築時からの最後の住民でもあり、ひとつの古き良き時代の終わりを感じ
る。初期の祇園アパートの一角には俳優・タレントの小松政夫氏も住んでい
たという(今はカギ屋になっているお店)。

 中洲と言えば、中洲で唯一の映画館となった大洋の情報誌が、今後は月刊
化となるようだ。驚いたのは興行組合の解散。確かに中小の映画館は殆どが
廃館となり、地元資本だった天神東宝も東宝シネマズに代わるとのこと。8
月号の配布を最後に福博の映画情報を伝えてきた「シネ福岡」は消える。旧
博多部唯一の映画館となった中洲大洋は、博多の映画の火を守る訳である。

 中洲那珂川河畔の広告塔は、新聞記事となった今年の春以降さらに減り続
けている。気を付けてみると広告が取り外されて骨組みとなった鉄塔の数が
半端ではない。広告業界全体がネット広告等へシフトしている影響もあるの
だろうが、ひと昔前までは那珂川河畔に広告を出すこと自体がステイタスで
あった事を思うと、時代の流れを感じずにはいられない。

 中洲から福岡側を望む位置にあった東急ホテルも先日最後の営業を終え、
じき西鉄インになるという。50代から60代の先輩方に聞くと、多くの方
が東急ホテルの最上階展望レストラン等でデートをしたり、口説きの場所に
利用していたそうである(笑)。福岡で20~30代を過ごした団塊の世代
には思い出深いホテルであった。

 中洲の町を支えリードしてきた中洲町連合会は昭和42年8月の結成。もう
じき丸40年の節目となる。ささやかながら8月初めに自分のサイト上に中洲
の町並みの変化をたどるアーカイブページを準備中である。自分で勝手に設
けるページだが、昨春、中洲大洋の館内で展示した明治・大正・昭和の町並
み絵葉書を中心に、中洲の近代史を紹介する予定だ。

今日の写真は、先日撤退した博多東急ホテル(撤退時は東急イン)の開業時
のPR絵葉書の1枚。1969(昭和44)年5月開業、2007年5月16日閉館。
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1 コメント

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お願いがありまして (秀島誠一)
2007-07-20 12:15:13
はじめまして、ヒューマンピュア秀島と申します。
たまたま、サイトを拝見しました。
このたび、地域の皆様へIT活用と異業種交流を促進するサイトをやっと作り上げたところです。
その中で、こちらの中で博多湾を一望した写真を使わせていただけないかと失礼ながらお願い申し上げるしだいです。一応こんな風になるということでサイトを見てください。だめであればすぐ換えますのでその際はお手数ですがご一報くださいませ。できましたらよろしくお願い申しあげます。
yubikitasu_ka@yahoo.co.jp(秀島)
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