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新しいお札が登場して、ふと思い出したのは「福岡と渋沢栄一」の繋がりを確認できる資料のこと。門司築港に渋沢が関わったことがニュースで取り上げられていたので、福岡市との繋がりも気になった。
1890年代に計画された幻の「船越鉄道」。手持ちの株主名簿を見ると、冒頭の黒田長成侯爵の次に渋沢栄一の名前がある。船越鉄道とは、筑豊炭田から採掘された石炭を輸送する鉄道計画で、博多で九州鉄道(現JR九州・鹿児島本線)と連絡し、飯塚・篠栗・博多・今津・前原を経由して船越湾(現・糸島市船越漁港付近)に至る鉄道計画で、築港計画(船越築港)とセットの開発計画だった。1895(明治28)年当時、まだ博多以西の鉄道は無く、筑豊と直接結ぶ鉄道も無い中での計画だ。
名簿の冒頭、東京からの出資者から記載が始まり、黒田長成(侯爵・旧福岡藩主)の次に渋沢の名前がある。この計画には、私がライフワークで研究する「渡辺通り」渡辺與八郎らも深く関わっていた。
船越鉄道の詳細については、九州大学の原口大輔さんが「船越鉄道と船越築港」として2023年の講演内容を論文にまとめてらっしゃるので、とても勉強になる。
にしてつWEBミュージアムの特集記事として2014年に公開した拙著「渡辺與八郎の未来都市」でも少し触れている。船越鉄道計画の現地視察に渋沢を招聘したものの、反対派の妨害にあって頓挫したというから、エピソード多き日清戦争前後の混沌とした時代をもっと調べてみたくなる。
2006年に刊行された「清水建設九州支社100年のあゆみ」が手元にある。博多駅や福岡市赤煉瓦文化館など清水建設が九州進出当時に手がけた写真を提供したので、見本としていただいたものだ。冒頭に清水建設と関係が深い渋沢栄一についても文章や肖像写真が掲載されているので、改めて読み返した。ちょうど江東区指定有形文化財「旧渋沢家住宅」を建設した清水建設が保存・公開しているニュースもあったので、改めて渋沢と九州・福岡の繋がりにも興味を持って調べたくなる。
・渋沢栄一、相談役に就任。経営指導を仰ぐ(清水建設公式HP・ヒストリー)
そういえば、2019年には埼玉の「渋沢栄一記念館」展示リニューアルにも資料協力したことがある。鳥瞰図絵師・吉田初三郎「大宮鳥瞰図」画像を館内に展示するにあたり、画像を提供したのだ。
この微妙で薄いご縁は、そのまま新一万円札と私の距離感かもしれないと思ってみたり(^.^)。
拙著ブログ「幻の「船越鉄道」株主名簿に渋沢栄一ら近代偉人がズラリ」