かつて三潴郡大善寺町にあった「津留﨑酒造本店」戦時中の酒ラベル「銀翼」を入手。今も久留米市大善寺町藤吉にある1854(安政元)年創業の瑞穂錦酒造(津留崎代表)と関係あるんだろうな…銘柄が違うのでそのまま継承されているのではないかも。少し調べてみよう。本店が閉まって分家が残る例も多いし…。
とりあえず古い酒ラベル・コレクションファイルに加えた。気づけば1000種超になっていて、廃業した酒造も多い。私は母方の祖母の生家(現・豊前市)が酒造で「櫻の露」という名酒を作っていたという。戦時中に廃業し、銘柄だけ別の酒造(のち豊前市長)に引き継がれたが、そこも既に廃業したようだ。
母の実家(宇佐市)の向かいには熊埜御堂酒造場があり、私も酒造独特の佇まいと匂いが懐かしい記憶の一つになっている。熊埜御堂酒造場は1958(昭和33)年に赤松本家酒造・和田酒造場と合併して「三和酒類」という酒造メーカーとなり、翌年には西酒造場も合流して統一銘柄「和香牡丹」が誕生。1974(昭和49)年に「安心院ワイン」、1979(昭和54)年に麦焼酎「いいちこ」が発売されている。母に尋ねると、熊埜御堂さんや西さんとは幼馴染なのだそうで、同居を始めてから色々と話を聞き出して驚きの連続だったりする。
古い酒ラベル・コレクションの基本資料は、私が絵葉書研究会の事務方を務めていた2005年、紙モノオークションを六本松の「木香庵」をお借りして開催した際に入手したと記憶。佐賀県の酒店が廃業して、帳簿や取り扱い酒ラベルがファイリングされていて、デザイン資料のひとつとして入手した。
福岡や佐賀は酒造が多く、酒米の山田錦などの産地も多い。明治期に筑前農法が全国へ広まったことで、東北など寒冷地での稲作が安定していったという。尾瀬あきら「夏子の酒」のモデルになった米の誕生にも、筑前農法を山形県内に指導に行き広めた伊佐治八郎(現・早良区出身)が深く関わっているが、福岡では取り上げられることも殆どない。5年前、尾瀬先生にお会いしてこの件も話も伺おうと思っていたが、コロナ禍をはさみそのままになっている。そろそろ本腰入れて色々調べてみたくなった。