記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

門司港 古地図めぐる~明治期の古地図を使ったまち歩きに初参加!

2016年03月05日 21時07分21秒 | まちづくり

本日3月5日、ゼンリン門司港レトロ倶楽部の共催で初開催された『門司港 古地図めぐる~明治期の古地図を使ったまち歩きガイドツアー』に参加させていただきました。下の地図は本日使用された古地図の複製、参加者に配布されたものです。

今回の複製古地図は北九州市観光協会直営売店「よりみち」等で販売されるそうです。(掲載画像は画質を落としています。興味ある方は門司港レトロ倶楽部にお問い合わせいただくか売店にてお求めください)

この日のコースは旧門司税関を出発し、運河の跡や明治期から続く企業、定番の日本銀行支店跡&出光商会跡、栄町商店街、英国領事館跡などをめぐり、できれば古地図を変えて再度開催してほしいくらいの充実ぶりでした。1枚目は運河の入口(現在運河は埋め立てられて暗渠化)、上の写真は運河が写る手持ちの絵葉書。

上は現在の日銀跡の碑にて。下の写真は運河のもう一方の端にあった鎮西端界隈の絵葉書、日本銀行前の光景。

日本銀行支店跡のUR公団の裏手はまだ日銀時代の高い塀や謎の扉が遺ってるんですね(通常は公団敷地なので一般立ち入り不可のようです)。

コース最後は旧門司市役所跡から、初代門司駅の0マイルポスト(九州鉄道記念館入口)と旧松延旅館跡。下の絵葉書は手持ちの初代門司駅(現在の門司港駅は大正3年の駅舎完成時に移転)から。

古地図の解説&講座のあとのまち歩き、70分があっという間でした。講師の先生方は大変そうでしたが、私的にはとても楽しく過ごさせていただきました。コース選定や事前準備などが大変なのを経験則で知っているので、やっぱりイベントは気軽に参加する方が楽しいと素直に思ったり(笑)。

今回の古地図は広告も興味深く(というより広告の企業商店の案内と場所誘導が主目的の案内図)、「ギール商会」や「FUNAGOYA TANSAN」が気になりました。ギール商会はセーラー服発祥でも知られる「福岡女学院」の初代校長、ジェニー・ギール女史と関係あったと思うので、少し調べてみる予定。

「FUNAGOYA TANSAN」は当然「船小屋鉱泉の炭酸水」だと思われ、同時期の平野鉱泉水(三ツ矢サイダーの祖)などの関連に興味がわきます。これも要チェック。

欲を言えば、まち歩き前の座学の段階で付け加えてほしかったのは現在の門司港(門司)発展のもとである石炭積み出し港としての整備に際して、NHK朝ドラ「あさが来た」のモデルである広岡浅子も深く関わっていることに全く触れられなかったこと。ドラマ中の「加野炭鉱」のモデルである潤野炭鉱買収以前から、浅子は石炭販売の「広炭商会」を設立し石炭積み出し港としての門司の開発と将来性に目をつけていたことは、大同生命の特設サイト「広岡浅子の生涯」の中で詳細が記されています。

今回使用された古地図はその内容から明治40年から41年にかけてのものと推測され、浅子と加島屋はすでに石炭事業から手を引いていた時期であり、地図に記載もないのであえて説明なしでいいかなとも思うけど、やっぱり旬のネタなので少し触れてほしかったなというのが素直な感想(まち歩き前に座学が行われ出発点となった旧門司税関内にはパネルで広岡浅子と門司税関の関係の紹介あり。)。

潤野炭鉱等の代表者はあくまで夫の広岡信五郎、しかし浅子は石炭を国内ではなく海外(上海など)への輸出を念頭に門司の開発を考えたというから、やっぱりスケールが大きい。門司税関が関係する綿花の輸出などでも門司と関わっており、旧門司三井倶楽部(浅子は三井出身、広炭商会が扱う筑豊炭は三井物産の独占販売契約)との関係も当然あります。

また、広岡浅子の筑豊からの退場と入れ替わるように伊藤伝右衛門や松永安左エ門が筑豊の炭鉱経営の表舞台に登場するのも興味深いわけです。伊藤は苦労しつつも炭鉱王へ、一方の松永は福松商会(福沢桃介との共同会社)で日露戦争前後には筑豊炭田の石炭取扱量で1位の三井物産を凌ぐほどの石炭バイヤーになるものの、浅子とは反対に購入した炭鉱の経営がことごとく失敗して苦渋を舐めます。筑豊に夢を抱いた先人たちが実際に活躍した場が門司(門司港)だった。こんな感じで少し余談としての情報を入れておくと、さらに古地図の読み解きが面白くなると思うのですが…。

コース最後、古地図右下の広告「久野商店」が当時と同じく新聞取扱店として盛業中ということで4代目に話を伺うという内容でした。私的には、門司港に上陸し門司港に長らく拠点があった毎日新聞の販売店を現在も続けておられる事自体が門司港の歴史そのものと認識。地図の印刷が博多上祇園町の「岡崎石版銅版彫刻印刷所」であることも気になります。

今日は参加者もマニアックな方がけっこう揃っていて、そちらの交流もいい感じでした。地図があると読み解き方は人それぞれ、興味や経験で同じものを見ても読み取る情報や気づきが異なり、それが何より楽しい。参加する方が楽しいと言いつつ、自分でもまたまち歩きイベントをやりたい、と思う自分もいます。

参加OKしていただいた門司港レトロ倶楽部&ゼンリンのご担当の皆様、お疲れさまでした。今日はRKBさんや新聞の取材が入っていたようなので、ニュースになるんでしょうね。

追記(RKBニュース動画“100年前の地図”手に門司港を歩く」3月7日(月) 21時53分

 


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