記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

明治43年の「福岡市街全図」の謎と、ブラタモリ博多編に漏れた「房州堀」跡

2016年02月29日 22時45分12秒 | 福博まちの記憶

最近、明治から大正にかけての都市図を20冊ほど入手しました。

明治43年4月発行の「福岡市街全図」、天神発展の基礎となった「第十三回九州沖縄八県連合共進会」開催中のものなので、県庁前停留所は「共進会前」となっています。当然、天神(天神町)電停や渡辺通りもまだありません。当時の福岡市外である西新も細かく描かれ、紅葉八幡はまだ移転前です。

しかし、記述を細かく見ていくと光雲神社がまだ警固神社の北(現在の警固公園)にあったり(前年に西公園へ遷宮)、濡衣塚が西門橋そばにあったり、疑問点も数点見えます。

春吉橋が「三番目橋」、三光橋が「松竹屋橋」と記述され、那珂川に流れていた比恵川(御笠川・石堂川)の流れを変えた名残りと思われる鉢の底川(キャナルシティ博多の東西エリアの間のバス道路、暗渠)のルートと、平行していた房州堀(萬行寺の裏手の石垣、矢倉門跡などが名残り)もはっきりと記されていて興味はつきません。

房州堀の跡はNHKブラタモリ「博多編」当初案の有力候補で「福岡と鉄道編」のディレクターさんらとも色々語り合いましたが、実際には放送された隣の「地下鉄工事発掘現場」の方が素晴らしくお蔵入りしてます(笑)。

余談一つ。房州堀は大友家家臣・臼杵安房守鑑続の構築と伝承されていますが、私の母方の先祖は大友家家臣(一時家老格)だったらしく、博多の統治にも関わっていたかもしれないと思うとワクワク感が増します。

 

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