今日は13日の金曜日、暦上はあまり良い日でない印象だが初三郎調査
に関しては朗報が舞い込んだ。人吉温泉の老舗旅館・翠嵐楼の女将より
返答があり、吉田初三郎「翠嵐楼を中心とせる人吉温泉之図」絹本原画
が旅館にあり、入口近くに掲額中とのことだ。
宿帳や色紙など他の関連資料をお願いしたが、人吉は昭和40年の大水
害があり、翠嵐楼も蔵や旅館全体が水没しそれ以前の資料の多くが失わ
れたそうである。数年後に百周年を迎えるので、名だたる文豪・名士が
訪れた名旅館の軌跡を現在、本にまとめようとしているそうである。
5月に熊本・宮崎・鹿児島を調査、現物確認の旅へ出掛ける楽しみが
またひとつ増えた訳である。また今日は郵便で研究者の藤本一美氏より
「八戸市博物館研究紀要第21号」などが送られてきた。昨年の初三郎展
の際に講演された内容などが詳細に載っている。
また、藤本氏にお願いしていた「都城市鳥瞰図(昭和26年)」折本の
カラーコピーも同封されていた。トレース図や踏査時のネガ、印刷用の
掲載写真プリント等を所有していながら、肝心の印刷版を未見であった
ので、ようやく仕上がり画像を確認できた訳である。あとは現地に残る
可能性の高い、絹本原画の捜索である。
鹿児島・宮崎に関しては、お孫さんが所有する「鹿児島市」「大口町」
「日向市」絹本原画に加え、私が「宮崎市」を所有。延岡市内藤記念館
に「延岡市」、宮内省三の丸尚蔵館に「高千穂付近之図」が現存し、先
日確認できた「霧島神宮」と合わせ、7点の原画が現存することになる。
天覧作「鹿児島県」はじめ「川内市」や戦後作ながら「串木野市」など
の確認にも期待が持てる気がしてならない。
現在、永年の懸案であった初三郎「筥崎宮」鳥瞰図の確認を再開して
いる。ずっと社殿や社務所、宝物殿などが改修工事中で宝物関係の確認
ができない状態であったので、前田虹映の遺作である「筥崎宮」絵葉書
シリーズの原画確認と合わせて、近々判明しそうでワクワクする。
今日、西鉄さんで百年記念の出版本の打合せをしたが、その折にまだ
「到津遊園全景」等の絹本原画は不明のままと聞いた。数年前の閉園時
に現物が展示されていたので、どこかに残るはずなので期待している。
また、西鉄の前身のひとつである博多湾鉄道の昭和11年の沿線鳥瞰
図の模写が香椎宮の休息所に展示されていて、ずっと気になっていたの
だが、これは湾鉄OBだった方が湾鉄の想い出に自ら描き、寄贈したも
のとのこと。その方も最近亡くなられたそうだ。またこの図の原画自体
は湾鉄にあったものが、その方が在籍時に火災か何かで焼失したことも
判った。少々残念であるが、少しずつ判明する過程はとても楽しい。
に関しては朗報が舞い込んだ。人吉温泉の老舗旅館・翠嵐楼の女将より
返答があり、吉田初三郎「翠嵐楼を中心とせる人吉温泉之図」絹本原画
が旅館にあり、入口近くに掲額中とのことだ。
宿帳や色紙など他の関連資料をお願いしたが、人吉は昭和40年の大水
害があり、翠嵐楼も蔵や旅館全体が水没しそれ以前の資料の多くが失わ
れたそうである。数年後に百周年を迎えるので、名だたる文豪・名士が
訪れた名旅館の軌跡を現在、本にまとめようとしているそうである。
5月に熊本・宮崎・鹿児島を調査、現物確認の旅へ出掛ける楽しみが
またひとつ増えた訳である。また今日は郵便で研究者の藤本一美氏より
「八戸市博物館研究紀要第21号」などが送られてきた。昨年の初三郎展
の際に講演された内容などが詳細に載っている。
また、藤本氏にお願いしていた「都城市鳥瞰図(昭和26年)」折本の
カラーコピーも同封されていた。トレース図や踏査時のネガ、印刷用の
掲載写真プリント等を所有していながら、肝心の印刷版を未見であった
ので、ようやく仕上がり画像を確認できた訳である。あとは現地に残る
可能性の高い、絹本原画の捜索である。
鹿児島・宮崎に関しては、お孫さんが所有する「鹿児島市」「大口町」
「日向市」絹本原画に加え、私が「宮崎市」を所有。延岡市内藤記念館
に「延岡市」、宮内省三の丸尚蔵館に「高千穂付近之図」が現存し、先
日確認できた「霧島神宮」と合わせ、7点の原画が現存することになる。
天覧作「鹿児島県」はじめ「川内市」や戦後作ながら「串木野市」など
の確認にも期待が持てる気がしてならない。
現在、永年の懸案であった初三郎「筥崎宮」鳥瞰図の確認を再開して
いる。ずっと社殿や社務所、宝物殿などが改修工事中で宝物関係の確認
ができない状態であったので、前田虹映の遺作である「筥崎宮」絵葉書
シリーズの原画確認と合わせて、近々判明しそうでワクワクする。
今日、西鉄さんで百年記念の出版本の打合せをしたが、その折にまだ
「到津遊園全景」等の絹本原画は不明のままと聞いた。数年前の閉園時
に現物が展示されていたので、どこかに残るはずなので期待している。
また、西鉄の前身のひとつである博多湾鉄道の昭和11年の沿線鳥瞰
図の模写が香椎宮の休息所に展示されていて、ずっと気になっていたの
だが、これは湾鉄OBだった方が湾鉄の想い出に自ら描き、寄贈したも
のとのこと。その方も最近亡くなられたそうだ。またこの図の原画自体
は湾鉄にあったものが、その方が在籍時に火災か何かで焼失したことも
判った。少々残念であるが、少しずつ判明する過程はとても楽しい。