記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

今年もプロ野球は面白い!初三郎が写したフルキャスト宮城の竣工前の写真。

2007年04月15日 23時08分47秒 | 吉田初三郎
 待ちに待ったプロ野球が開幕して3週間あまり、日々の日課は地元・
ホークスの試合結果・途中経過・ニュース等のチェックである。ここ2
年ほど球場へ足を運べなかったが、今年は10試合くらいは球場で応援
したい。元々小学生時代からの30年来のホークスファン、水島マンガ
の「ドカベン」や「あぶさん」の世代である。

 独立前の会社では、幸運にも王監督就任以後の地元後援会「王友会」
の広報誌編纂なども担当し、年20回以上球場に足を運ぶサラリーマン
時代であった。地元は企業や商店がこぞってホークス支援、今日も行き
つけの居酒屋で昨日の勝利にちなむホークス勝利割引券をもらって機嫌
よく帰った。

 今日の写真は、ライバル?楽天の本拠地にちなむ。定期購読の月刊誌
「地図中心」昨年2月号に執筆した際に掲載した、仙台宮城球場(現「
フルキャストスタジアム宮城」)の竣工直前、昭和27年の写真だ。これ
は鳥瞰図絵師・吉田初三郎が昭和27年発行「観光の福島宮城(仙台鉄道
管理局)」「塩竃市(塩竃市役所)」などの踏査取材時に撮影した写真
である。

 写真を見ると球場周辺はまだ工事中で、同年開催された国体に合わせ
て建設された「宮城野原公園総合運動場」の施設として、作品「塩竃市」
鳥瞰図の中にも目立つように描かれている。この時期、初三郎は各県持
ち回りで開催される「国民体育大会」開催県の観光鳥瞰図を毎年描いて
いる。丁度、戦前の「陸軍特別大演習」開催県の鳥瞰図を描いたように。

 この写真は、私がお孫さんから譲り受けた約6千枚の写真ネガのうち
の1枚である。3年前、たまたま出張時にお孫さんの所へ顔を出し「こ
れ汚いから捨てようと思うんだけど、いる?」と言われ、「はい」と一
つ返事でもらった紙袋だったが、帰って袋の中身を確認すると、大量の
ネガケースやプリント、初三郎の生写真、スケッチ、踏査計画図などが
入っていたのである。

 ホコリまみれであったが、幸いネガ類も痛みはあるもののスキャナで
読みとれる状態で、今では少しずつデータ化を試みていて、その一端を
記事として紹介したのであった。この中に前出のスケッチ計画や、印刷
用の写真のハイライト強調処理分があり(製版前に白黒写真のコントラ
ストを手動調整)、また初三郎らが映る写真も多かったことから、記録
写真としても貴重だとすぐに認識できた。

 たまたまゴミ出し日前だったから運良く私の手元に届いた訳だが、こ
れ以外にもたくさんあった資料類は汚いものから順次処分していたと聞
き、ため息もでた。私は元々紙類の収集をしているし、アンティーク絵
葉書の研究会「日本絵葉書会」の幹事もしている関係で、この手の資料
には敏感であるが、普通の方から見ればただのホコリだらけのゴミであ
ったのだ。実際、お孫さんに近しい、初三郎研究をしている方何人かに
聞いたところ、誰も「いらない」と言ったそうだ。

 ネガの中には、ケースに場所等が記載されたものもあれば、いくつか
の地域を続けて撮影していて場所が特定できないものも多い。また完成
した絹本原画の記録撮影も多く、さらに依頼を受けて描いた各地の絵看
板(観光案内版)の写真もある。今となっては、初三郎の画業の一端を
表す資料として、このネガしか存在しないものも多そうである。

 これらをどう整理し、デジタルアーカイブ化していくかは、昨今一番
の課題である。とりあえず土地勘のある西日本関係、とくに九州のもの
はほぼ整理ができた。またネガ類の撮影時期も昭和24~30年頃のもの
であることが判ってきた。該当作品の印刷物の画像や現物を入手して、
少しずつ整理をしていこうと考えている。

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