記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

福岡県で正月「三社詣」が庶民に広がった理由

2023年01月05日 12時09分29秒 | 福博まちの記憶

2023年、明けましておめでとうございます。

年賀状に使用した鳥の飛翔風景は、2022年2月に小郡市で撮影したもの。絶滅危惧種のクロツラヘラサギなどが水音に驚いて一斉に飛びたった瞬間を撮りました。2022年の年末(12月25日)には、筑前町でコウノトリにも遭遇、丸囲みの写真はクロツラヘラサギとコウノトリの2ショットです。混沌としていた2022年を経て、2023年が羽ばたく年になればと写真を選びました。

2枚目は、自宅マンション上階からの御来光…ここ数年は毎年、初日の出を拝んでからおせち料理を食べてます。ここからは、宝満山と四王寺山の間に太陽が昇ります。

初詣は、自宅そばにある山王日吉神社(山王公園内)にまずお詣りしました。神社の入口には、旧博多駅の柱を移設保存した記念碑が建ちます。今年、2023年は地下鉄祇園駅付近(商工会議所入口交差点)にあった旧博多駅が、現在地へ1963(昭和38)年12月に移転して60年を迎えます。

この日吉神社は、福岡県など九州北部で広く行われている正月「三社詣」発祥の社のひとつ。解説板には、江戸時代には福岡藩主が日吉神社・住吉神社・筥崎宮と併せて参拝したことが記されています。経緯としては藩主に倣って、庶民の間にも三社詣が広まったと推察(諸説ありますが、庶民にどうやって広まったかのきっかけとして記載)。

現在のような交通機関を使った三社詣りは、西日本鉄道の前身のひとつ博多湾鉄道汽船が、昭和初期にはパンフレットや絵葉書などで湾鉄沿線「三社詣り」を提案していました。沿線には香椎宮・筥崎宮・宮地嶽神社・宇美八幡宮・志賀海神社など古社がたくさんあり、利用促進策のひとつとして有効だったことがわかります。

旧筑前国における現在の王道的な三社詣りは、1953(昭和28)年に西日本鉄道が始めた「三社詣会員バス」がブームの発端と思われます(パンフ画像上)。西日本鉄道が仕掛けた「三社詣」太宰府天満宮・筥崎宮・宮地嶽神社は、現在も共同で「三社詣(三社参り)」ホームページを運用しています。

正月の三社詣を含む、西日本鉄道が年末年始などに運行した帰省バス・会員バスの歴史は、にしてつWEBミュージアム特集「帰省バス・会員バスの歴史」をご覧ください。1960年代、若大将&スキーブームに乗って始まった「スキーバス」や、日本一周バス旅行などの写真・資料も紹介しています。

 

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの連載)

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)

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