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西日本新聞8月7日夕刊の「米博物館、原爆写真破棄~寄贈の品、ずさん管理」記事、ネット版には公開されてないようですので感想投稿。写真アーカイブに携わる者には衝撃の見出しと内容ですが、記事を読むと原版ネガは無事なようですね。
昭和20年8月9日の長崎原爆投下の翌日、西部軍司令部報道部員(作家・東潤、カメラマン・山端庸介ら)5人が長崎入りし記録写真を撮っています。山端庸介氏の撮影した写真原版は占領軍に没収されないように報道部員有志らで隠し通し『記録写真 原爆の長崎』が発行された際に初掲載されました。
それらの経緯は報道部をまとめていた作家・火野葦平の遺作「革命前後」など数冊に詳しく書かれています。福岡大空襲後、報道部は西日本新聞社の旧社屋に置かれていた事もあり、同紙がきちんと記事にしているのは意義あると思います。地元紙の夕刊、こういう記事が載るので購読はなかなか止められませんね。
また、終戦記念日を前に(財)日本地図センターから「太平洋戦争末期米軍撮影偵察写真(米国国立公文書館所蔵)モザイク」(残存写真を各都市1枚に繋ぎ合わせたもの)の販売が開始されました!長崎市の空撮はなんと原爆投下2日前の8月7日撮影、投下翌日10日版もあります。
・日本地図センター通販サイト http://www.jmc.or.jp/photo/NARA_m.html
福岡大空襲を前に昭和20年3月9日に撮影された戦災前の福岡市版も登場、現在の福岡市中央区から早良区・西区にかけての空撮です。最初にその写真の存在が確認された際、西日本新聞の記者さんから解読アドバイスを求められたのは約10年前、残存確認がこれだけ(博多部など無し)なのはホント惜しいです。