元々はデザインの資料として収集していた吉田初三郎の鳥瞰図。彼の画業や人物像に引かれて研究する理由は、調べるほどに資料が次々と発掘できて、現在メジャーとなっている観光地やホテル・鉄道会社ほか企業・寺社仏閣等との関係が確認できるからです。
先日、ある資料を探している中で、手持ちの初三郎直筆手紙を8年ぶりに広げました。以前は気づかなかったのですが、知識が増えた分だけ「気づき」の範囲・深度ともに増します。
この手紙は昭和13年5月、支那戦線への従軍前に愛知・知多の後援者に向けて記したもの。内容は本人が遺している膨大な新聞切り抜き記事とも合致します。また、幻の「日本万国博覧会(昭和15年)」鳥瞰図や神武天皇史蹟図などの創作課程が詳しく記されています。皇室献上用に南京をはじめとする支那戦跡図を描くため従軍する事なども記載あり。上海へ渡る諏訪丸には同じく従軍する有名画家に混じり、親しかったペン部隊の吉屋信子らの名前も。
林長蔵氏に宛てた手紙ですが、熊本で初三郎最後の弟子として学んだ林長陽(阿蘇・長陽村にちなむ雅号と推測、葦北郡の某役場に立派な鳥瞰図肉筆画遺る)の関係者のようです。