吉田初三郎が数多くの鳥瞰図作家の中で群を抜いて人気があった理由
は色々ある。もちろん初三郎式鳥瞰図の絵画的魅力があってこそであろ
うが、他の作家と決定的に違うのが知識と教養、そして文章力である。
初三郎の研究に欠かせないのが、大半の鳥瞰図作品に執筆している「絵
に添えて一筆」をはじめとする初三郎自身が著した文章である。
今日は初三郎が昭和4年、東洋時事新聞に執筆した「国立公園の設置
に就いて」の序文を紹介する。国立公園法制定の気運の中、東京三越で
行われた「国立公園展覧会」を受けての国立公園とはどうあるべきかの
持論が展開されているが、鉄道省嘱託、日本八景二十五勝の委員を務め
て全国の景勝地、名勝地を踏査視察していただけに、なるほど的確な指
摘がなされている。当時、初三郎が各地に設立されようとしていた観光
協会などから引っ張りだこだった理由の一端が判る。時代はようやく一
般庶民が旅行に出掛ける習慣が普及し始めた時期である。
(旧仮名遣いは現代遣いに変更)
↓↓↓↓↓
「国立公園の設置に就いて」 吉田初三郎
去る八月三日より二十五日まで、東京三越のあの宏壮華麗な建物を縦
断して催された「国立公園展覧会」は、折節百度に近い残暑の最中であ
ったにも拘わらず、早朝から夕景まで、観覧者が汗にあえて、興味と感
嘆と、そして探勝の概念を得ようという努力とで終始されたことは、真
に近頃気持ちのいい情景で、又、世人の要望を反映する機宜に適した催
しであった。
―此の機会に於いて、私は国立公園の設置に就いて一、二気付いた点を
申述べたいと思う。
旅~殊に遊覧探勝の旅が今日の如くポピュライズされ、大衆化せられた
ことは、まことに古今未曾有のことで、是は飽までも自然にあこがれる
人間性の本能が近代文明のあくどい色彩に反発せられて興起したのと、
今ひとつは交通機関の絶えざる進展と、当事者の献身的宣伝とが相まっ
て、一層の刺激を与えたという二つの理由に起因するものということが
出来よう。而して其の逆は又眞なりで、原因が結果となり、結果が原因
となって、いよいよ交通機関は発達し、爛熟した都会文明がますます廃
頽的傾向を帯んで来る一方、大自然の美が一層、幢景の眼を以て見られ
るようにもなってきた。
此の時、さきに日本八景が時代の観賞を代表して選定され(昭和2年
一般市民からの公募をもとに選定)、今又国立公園設置の聲が、止むに
止まれぬ国民の要望として、緊縮第一を標榜する現内閣をまで動かして、
此の積極的行動を開始したいということは、眞に時代の聲として、傾聴
に値するものがあるのである。
さらば国立公園とは一体何であるか、如何なる条件を具備すべきであ
るか、簡短ながら一言其れに言及することにする。
国家が一定の地区物に限って保護するには様々な意義が包含され、其
の目的も亦多種多様である。即ち風致維持、産業保護、動植物の繁殖保
存、或いは動植物学、地質鉱物学、気象学、乃至美術、歴史等の研究、
史蹟名勝の保存、等々それぞれの意義に立脚して、或いは保安林、風致
林となり、禁漁区となり、天然保護区域となり、水源涵養林となり、又
は天然記念物、特別保護建造物となっているのであるが、国立公園もや
はり国家の経営保護する一定の地区として、今其の意義を考察するなれ
ば、田村剛博士の所謂「国立公園とは、一定区域の風景を永遠に保存す
ると同時に、公衆享用の途を講ずるにある」ので、「国民保険教化のた
めにする天然風景の保存」であり、「近代人の創設にかかる天然公園の
一種で」あって、其の経営保護する区域は、此の意義と目的の下に、従
来保護し来った様々な目的の地区地物をなるべく総括的に包含するが最
も適当であると使考されるのである。
是は風景の点からも、探勝の点からも、学術研究の点からも、変化の
多いという一つのエレメントを構成することになるので、勢い国立公園
の範囲は拡大とならざるを得なくなり、従来風景のみを焦点に於て観賞
し来った、所謂猫額的山紫水明の境や単なる奇勝、秀景、名勝の如きは
此の際潔ぎよく国立公園の圏内から優退して頂かねばならない。つまり
日本三景が日本八景に代わり、更に国立公園へ推移してゆくところに、
時代の変遷と要求があるわけである。
以上によって国立公園に必要なる条件を列挙すれば、
(イ)風景はあくまで秀麗雄大に而も損われざる大自然をより有意義に
保持すること。
(ロ)史蹟、天然記念物、其他国民の教化研究に必要なる内容を包含す
ること。
(ハ)山岳、温泉、海水浴場、乃至キャンプ地、スキー場、ゴルフ場等
国民の保健に必要なる内容を具備すること。
(ニ)前記の条件に対し、適切且合理的なる最善の交通文化を施設する
こと。
凡そ此の四つの要素によって選考せらるべきであろうか―。
現内閣のモットーとする、「節約」とは、物を尤も有効に、無駄なく用
いるの謂でなくてはならない。産業国としては物資に恵まれない我国が
幸いにもそれに十倍して恵まれた大自然の風光と地物とを、尤も有効に
世界人と共に活用してこそ眞の節約は具現せられる次第である。
以上はほんの序説で、以下国立公園設置に至る過程や、今回候補地と
なった十六ヶ所に就いて個々の論も申述べたく、又、他に適当なりと思
惟する地区も二三推薦したいのであるが、それは他日に稿を譲り、今回
は以上の概論に止めて、茲に昭和の新しき国是を擁立する意味に於て、
国立公園設定の一日も速からんことを祈るのである。
↑↑↑↑↑
現在は国立公園から「世界遺産」登録への流れへ変化したが、環境問
題や「もったいない」に近い「節約」という言葉が政府方針であったこ
となど、時代は変わったが、基本的な考え方やその時代が抱える課題に
は共通項が多いことに気付くはずである。資源に恵まれない日本の進む
路は今も昔もそう変わっていない。
今日の写真は、文章の序文に紹介された昭和4年8月に東京三越で開催
された「国立公園展覧会」の様子。初三郎作画の鳥瞰図絹本原画も4作
が各所より出品された。香川県出品の「高松屋島を中心とせる香川県名
所鳥瞰図」、長崎県庁出品の「雲仙岳」大屏風、岐阜県庁出品の「養老
公園を中心とせる名所交通図絵」、朝鮮総督府出品の「朝鮮金剛山大鳥
瞰図」屏風絵の4作品、いずれも現在所在は判らず。
は色々ある。もちろん初三郎式鳥瞰図の絵画的魅力があってこそであろ
うが、他の作家と決定的に違うのが知識と教養、そして文章力である。
初三郎の研究に欠かせないのが、大半の鳥瞰図作品に執筆している「絵
に添えて一筆」をはじめとする初三郎自身が著した文章である。
今日は初三郎が昭和4年、東洋時事新聞に執筆した「国立公園の設置
に就いて」の序文を紹介する。国立公園法制定の気運の中、東京三越で
行われた「国立公園展覧会」を受けての国立公園とはどうあるべきかの
持論が展開されているが、鉄道省嘱託、日本八景二十五勝の委員を務め
て全国の景勝地、名勝地を踏査視察していただけに、なるほど的確な指
摘がなされている。当時、初三郎が各地に設立されようとしていた観光
協会などから引っ張りだこだった理由の一端が判る。時代はようやく一
般庶民が旅行に出掛ける習慣が普及し始めた時期である。
(旧仮名遣いは現代遣いに変更)
↓↓↓↓↓
「国立公園の設置に就いて」 吉田初三郎
去る八月三日より二十五日まで、東京三越のあの宏壮華麗な建物を縦
断して催された「国立公園展覧会」は、折節百度に近い残暑の最中であ
ったにも拘わらず、早朝から夕景まで、観覧者が汗にあえて、興味と感
嘆と、そして探勝の概念を得ようという努力とで終始されたことは、真
に近頃気持ちのいい情景で、又、世人の要望を反映する機宜に適した催
しであった。
―此の機会に於いて、私は国立公園の設置に就いて一、二気付いた点を
申述べたいと思う。
旅~殊に遊覧探勝の旅が今日の如くポピュライズされ、大衆化せられた
ことは、まことに古今未曾有のことで、是は飽までも自然にあこがれる
人間性の本能が近代文明のあくどい色彩に反発せられて興起したのと、
今ひとつは交通機関の絶えざる進展と、当事者の献身的宣伝とが相まっ
て、一層の刺激を与えたという二つの理由に起因するものということが
出来よう。而して其の逆は又眞なりで、原因が結果となり、結果が原因
となって、いよいよ交通機関は発達し、爛熟した都会文明がますます廃
頽的傾向を帯んで来る一方、大自然の美が一層、幢景の眼を以て見られ
るようにもなってきた。
此の時、さきに日本八景が時代の観賞を代表して選定され(昭和2年
一般市民からの公募をもとに選定)、今又国立公園設置の聲が、止むに
止まれぬ国民の要望として、緊縮第一を標榜する現内閣をまで動かして、
此の積極的行動を開始したいということは、眞に時代の聲として、傾聴
に値するものがあるのである。
さらば国立公園とは一体何であるか、如何なる条件を具備すべきであ
るか、簡短ながら一言其れに言及することにする。
国家が一定の地区物に限って保護するには様々な意義が包含され、其
の目的も亦多種多様である。即ち風致維持、産業保護、動植物の繁殖保
存、或いは動植物学、地質鉱物学、気象学、乃至美術、歴史等の研究、
史蹟名勝の保存、等々それぞれの意義に立脚して、或いは保安林、風致
林となり、禁漁区となり、天然保護区域となり、水源涵養林となり、又
は天然記念物、特別保護建造物となっているのであるが、国立公園もや
はり国家の経営保護する一定の地区として、今其の意義を考察するなれ
ば、田村剛博士の所謂「国立公園とは、一定区域の風景を永遠に保存す
ると同時に、公衆享用の途を講ずるにある」ので、「国民保険教化のた
めにする天然風景の保存」であり、「近代人の創設にかかる天然公園の
一種で」あって、其の経営保護する区域は、此の意義と目的の下に、従
来保護し来った様々な目的の地区地物をなるべく総括的に包含するが最
も適当であると使考されるのである。
是は風景の点からも、探勝の点からも、学術研究の点からも、変化の
多いという一つのエレメントを構成することになるので、勢い国立公園
の範囲は拡大とならざるを得なくなり、従来風景のみを焦点に於て観賞
し来った、所謂猫額的山紫水明の境や単なる奇勝、秀景、名勝の如きは
此の際潔ぎよく国立公園の圏内から優退して頂かねばならない。つまり
日本三景が日本八景に代わり、更に国立公園へ推移してゆくところに、
時代の変遷と要求があるわけである。
以上によって国立公園に必要なる条件を列挙すれば、
(イ)風景はあくまで秀麗雄大に而も損われざる大自然をより有意義に
保持すること。
(ロ)史蹟、天然記念物、其他国民の教化研究に必要なる内容を包含す
ること。
(ハ)山岳、温泉、海水浴場、乃至キャンプ地、スキー場、ゴルフ場等
国民の保健に必要なる内容を具備すること。
(ニ)前記の条件に対し、適切且合理的なる最善の交通文化を施設する
こと。
凡そ此の四つの要素によって選考せらるべきであろうか―。
現内閣のモットーとする、「節約」とは、物を尤も有効に、無駄なく用
いるの謂でなくてはならない。産業国としては物資に恵まれない我国が
幸いにもそれに十倍して恵まれた大自然の風光と地物とを、尤も有効に
世界人と共に活用してこそ眞の節約は具現せられる次第である。
以上はほんの序説で、以下国立公園設置に至る過程や、今回候補地と
なった十六ヶ所に就いて個々の論も申述べたく、又、他に適当なりと思
惟する地区も二三推薦したいのであるが、それは他日に稿を譲り、今回
は以上の概論に止めて、茲に昭和の新しき国是を擁立する意味に於て、
国立公園設定の一日も速からんことを祈るのである。
↑↑↑↑↑
現在は国立公園から「世界遺産」登録への流れへ変化したが、環境問
題や「もったいない」に近い「節約」という言葉が政府方針であったこ
となど、時代は変わったが、基本的な考え方やその時代が抱える課題に
は共通項が多いことに気付くはずである。資源に恵まれない日本の進む
路は今も昔もそう変わっていない。
今日の写真は、文章の序文に紹介された昭和4年8月に東京三越で開催
された「国立公園展覧会」の様子。初三郎作画の鳥瞰図絹本原画も4作
が各所より出品された。香川県出品の「高松屋島を中心とせる香川県名
所鳥瞰図」、長崎県庁出品の「雲仙岳」大屏風、岐阜県庁出品の「養老
公園を中心とせる名所交通図絵」、朝鮮総督府出品の「朝鮮金剛山大鳥
瞰図」屏風絵の4作品、いずれも現在所在は判らず。
ただ、あなたの人脈と行動力を活かして貴重な資料を次々に入手されているのでしょうけど、
ちょっと有頂天になり過ぎていらっしゃいませんか。
昨日も47万円の絹本原画が手頃、とか書いていらっしゃいましたね。周りからひんしゅくを買っているような気がして、心配です。
コメントありがとうございます。
記載に誤解を招くものがあったようで失礼しました。
古書市へ出ている原画の価格が手頃という意味ではなく、大きさのことを言ったつもりでしたが、不快な思いをされたようですので該当箇所等は削除しました。
目録を見たからといって私自身がそれを購入する訳ではありませんし、ブログへの記述は自慢やひけらかしでなく、あくまで様々な方々にご協力いただきながら得た情報を基に、鳥瞰図だけのイメージが先行している初三郎の全体像についての最新情報を書いているだけです。悪しからずご了承ください。