記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

福岡の恩人・渡邊與八郎百回忌の春に。

2010年03月20日 02時06分41秒 | 福博まちの記憶
 18日夜、筆が進み調子に乗って朝4時過ぎまで物書き。仮眠をとって目覚めると最高の快晴、こういう朝はじっとしている事はできない。金曜朝の天神FM「ギンラジ」生放送を激励しようとソラリアプラザへ。来週26日は放送後、天神中央公園で「ギンラジ花見開催!」情報を生で聴く。平日でも昼間でもいいじゃん!食べ物・飲み物持参で駆けつけよう!!あれ?時間は何時スタートだったっけ?寝不足でアタマの記憶回路は寝ていたかも。
ギンギラ太陽's稽古場日記

 そしてパルコ前はすでに長蛇の列。朝日がパルコの白い外観を照らし最高の写真撮影タイムだったのだが、仕事打ち合わせ時間に間に合わなくなるので仕方なくスルー。本当はこういう機会は逃すと後で後悔する事が多いのだが、良しとしよう。えっ、福岡パルコのCM・ポスター、ギンギラの杉山さん(宮本さん役)のご主人役は温水洋一さん??「パルコみんなの宣伝部」人物相関図は確かに笑える…。大河ドラマ的CMは必見!
パルコみんなの宣伝部

 夕刻、紙與産業の故・渡邊社長の通夜に参列。ギンギラ太陽'sの代表作「天神開拓史」でもお馴染みの偉人・渡邊與八郎氏のひ孫にあたる現当主の死は、與八郎氏の百回忌の春。これも何かの因縁かもしれない。葬儀委員長は博多手一本の会でご一緒の千菊専務、会場に入りきらないほどの参列者、共花の数、そしてお歴々…。渡辺通りに名を遺す渡邊與八郎のひ孫・人望厚い社長だっただけに、55歳の若さはちょっと早すぎである。

 通夜への参列は、福岡の発展のために土地を差し出し、堀を埋め、道路を造り、軌道(福岡市内線の循環線、吉塚線など)を敷いた與八郎さんの意思を継いで、常に謙虚に後方支援に徹してきた渡邊家の存在の大きさを、改めて確認する機会にもなった。渡辺鉄工所をはじめ、各分野に展開されている一族と地場経済界の関係も垣間みた気分。

 私のフォトブックシリーズの新刊は、千菊専務から毎回手渡していただき楽しみにしてくれていたそうで、色々お話を伺いたいと思っていた矢先だったのが残念。記憶探偵キノレオの昨年秋に放送した「福岡市内線の遺構を探せ!」の回は、本来は社長と会長にご出演いただき渡邊與八郎さんの当時の「大福岡」構想の資料(私が現物を入手)発掘をラストに置いて締める予定が、ロケ直前に会長が入院されて放送された内容に変更されたもの。仕切り直しでの再企画の話しもあっただけに、一層残念である。

 渡邊家の様々な貢献が無ければ、今の福岡の発展は有り得ない。紙與呉服店の番頭から独立した渕上(ユニード)の事、呉服店の廃業に伴う現在の不動産業への転換の最初の仕事が福岡玉屋(99年閉店)の進出支援だったことは、昨年ようやく当時の資料を発掘し確認したばかり。肥前堀の埋め立て、電車の敷設、沿線開発、九大誘致、柳町遊郭の移転、専売公社工場の移転など、時には先導し時には後方支援で行った事業はまさに都市開発そのものである。

 西日本新聞会館(博多大丸等が入居)だって、紙與のビルだというのは案外知られていない。常に福岡の発展に繋がるかという大きな視点で考え、福岡初の都銀進出(住友銀行)も紙與が先導している。支店都市として成長し、九州一の都会になる素地を100年前に創ったのが渡邊家である。当時の福岡市は、長崎や熊本のはるか下に位置する人口5番目の小さな町だった。

 4月の福岡ビル1F・西鉄ショーケースの展示は、渡邊與八郎が構想し実現した「博多電気軌道」。まさに今、どの資料を公開するか思案中だった。改めて渡邊社長に合掌。

今日の写真は、福岡パルコとして再生した在りし日の岩田屋ビル。
映画「嫌われ松子の一生」に出て来る百貨店外観のモチーフでもあった。

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