夕方のニュースで、小倉南区中谷地区の竹林問題と取り組みが紹介されていた。この地域での取り組みは度々TVでも紹介されているが、竹林問題は今や日本の環境問題の中でも最も重要なテーマのひとつだと思う。しかし、ニュース等での今の取り上げ方だと、我々都市で生活する人間にはその危機感は残念ながら伝わってこない。
竹林問題について私が意識するようになったのは、グリーンマップの活動を通じての事だ。世界共通のアイコンを使用することで、言語を越えて環境問題や世界遺産などの人類文化の保存意識を高めようとするものだが、愛・地球博の開催と前後してアイコン自体の構成の見直しが、参加しているマップメーカーの代表者などで行われた。
この中で日本人からは日本の自然美の象徴の一つである「竹」に関するアイコンを追加したい旨の意見がまとまったが、海外の方々の反応は「No」だった。竹林は害木であり、自然を破壊する象徴だというのだ。竹の繁殖力は他の樹木を圧倒している。さらに竹が繁殖した地域では土地の保水力が落ち、ミネラル分の源となる微生物が繁殖できない。竹林は痩せた土地を生み出してしまう。
実際、中谷地区でもこの通りの現象が起きて、杉やヒノキの林、雑木林に竹林が進出し、最後には里山全体を竹林が覆ってしまった。竹の根は横に張って伸びて行く。一年で10メートルも成長する竹林に樹木は浸食され、樹木の根も地中深くに伸びることができず倒木が相次ぐようになった。
恥ずかしながら、竹林の問題を5年前にようやく意識するようになって、それから北部九州の各地を訪れるたびに里山の風景を撮影して廻った。それまでは自然あふれる、懐かしい日本の原風景だと思っていた竹林のある景観が、それを意識して見渡すと、恐ろしいものに見えてくるようになる。それほど、福岡や北九州の近隣の里山には竹林が多く、ここ数年でいくつもの里山が竹林に頂上まで覆われた。
杉やヒノキの産地である日田や篠栗などはさらに深刻である。日本の山は人間が手入れをすることで永い年月を経て今の状態になった。しかし、竹林の浸食は2~3年で数十メートルの山なら簡単に覆うほどのスピードである。国道や県道沿いの山間部、民家のある里山ではほぼ壊滅状態、今手だてをしなければ本当の被害はこれから起こってくる。二酸化炭素排出量の問題に匹敵する大問題に、今の日本人の多くは気づいていない。
また、竹林が山に広がると怖いのが地震や大雨による地滑りである。根が地中に張らず横に広がる竹林は、山の斜面からそのまま滑り落ちる危険が大きい。地震の時に竹林に逃げ込めという迷信があるが、これは平地でのみ言えることだ。山を一面覆う竹林は今後、大きな被害の要因になる。昨年夏の豪雨で、篠栗地区では地滑りで人が亡くなったが、あの辺りは特に竹林の浸食が激しい山だった。
私は林業に携わった事は無いが、子供の頃は親戚が持つヒノキ林の枝の間伐が、春の恒例行事だった。様々なボランティア活動に参加する中でも、植林活動と間伐活動には毎年必ず参加してきた。この細微な経験からでも、十分に竹林問題の危機的状況は判る。
タケノコを採るために植えられた竹林が、林業に携わる方々の高齢化で管理不足となり、人が入らなくなった山はあっという間にに竹林に覆われる。県も数年前から竹林問題は意識していて、竹製品の開発助成などしていたが、そんな事よりもほったらかしの竹林の伐採が一番大切なのではないだろうか。
ニュースの中で年配の方々の「山が死にかけている」という言葉が私には印象的だったが、あの報道のやり方ではその言葉の本当の意味は一般人に伝わってこない。山が死ねば、川も死ぬ。川が死ねば、海も死ぬのである。中津・小祝の漁師さん達が、数年前から山国川上流の山林の手入れを手伝うようになったが、漁獲高が激減し瀬に腹を変えられなくなっての行動である。
四国・九州は特に山の面積が多く、高知県や大分県で漁師が山の手入れに入る同様の取り組みが各所で行われている。環境問題を我々都市に住む大人がもっと勉強すべきだと思う。
今日の写真は、問題の竹林写真。
宮若市、犬鳴川沿いの里山の状況だが、意識して見渡すとほぼ全ての里山が竹林の浸食を受け、山全体を覆っているものも多い。 (この写真を撮影したのは3月13日)
竹林問題について私が意識するようになったのは、グリーンマップの活動を通じての事だ。世界共通のアイコンを使用することで、言語を越えて環境問題や世界遺産などの人類文化の保存意識を高めようとするものだが、愛・地球博の開催と前後してアイコン自体の構成の見直しが、参加しているマップメーカーの代表者などで行われた。
この中で日本人からは日本の自然美の象徴の一つである「竹」に関するアイコンを追加したい旨の意見がまとまったが、海外の方々の反応は「No」だった。竹林は害木であり、自然を破壊する象徴だというのだ。竹の繁殖力は他の樹木を圧倒している。さらに竹が繁殖した地域では土地の保水力が落ち、ミネラル分の源となる微生物が繁殖できない。竹林は痩せた土地を生み出してしまう。
実際、中谷地区でもこの通りの現象が起きて、杉やヒノキの林、雑木林に竹林が進出し、最後には里山全体を竹林が覆ってしまった。竹の根は横に張って伸びて行く。一年で10メートルも成長する竹林に樹木は浸食され、樹木の根も地中深くに伸びることができず倒木が相次ぐようになった。
恥ずかしながら、竹林の問題を5年前にようやく意識するようになって、それから北部九州の各地を訪れるたびに里山の風景を撮影して廻った。それまでは自然あふれる、懐かしい日本の原風景だと思っていた竹林のある景観が、それを意識して見渡すと、恐ろしいものに見えてくるようになる。それほど、福岡や北九州の近隣の里山には竹林が多く、ここ数年でいくつもの里山が竹林に頂上まで覆われた。
杉やヒノキの産地である日田や篠栗などはさらに深刻である。日本の山は人間が手入れをすることで永い年月を経て今の状態になった。しかし、竹林の浸食は2~3年で数十メートルの山なら簡単に覆うほどのスピードである。国道や県道沿いの山間部、民家のある里山ではほぼ壊滅状態、今手だてをしなければ本当の被害はこれから起こってくる。二酸化炭素排出量の問題に匹敵する大問題に、今の日本人の多くは気づいていない。
また、竹林が山に広がると怖いのが地震や大雨による地滑りである。根が地中に張らず横に広がる竹林は、山の斜面からそのまま滑り落ちる危険が大きい。地震の時に竹林に逃げ込めという迷信があるが、これは平地でのみ言えることだ。山を一面覆う竹林は今後、大きな被害の要因になる。昨年夏の豪雨で、篠栗地区では地滑りで人が亡くなったが、あの辺りは特に竹林の浸食が激しい山だった。
私は林業に携わった事は無いが、子供の頃は親戚が持つヒノキ林の枝の間伐が、春の恒例行事だった。様々なボランティア活動に参加する中でも、植林活動と間伐活動には毎年必ず参加してきた。この細微な経験からでも、十分に竹林問題の危機的状況は判る。
タケノコを採るために植えられた竹林が、林業に携わる方々の高齢化で管理不足となり、人が入らなくなった山はあっという間にに竹林に覆われる。県も数年前から竹林問題は意識していて、竹製品の開発助成などしていたが、そんな事よりもほったらかしの竹林の伐採が一番大切なのではないだろうか。
ニュースの中で年配の方々の「山が死にかけている」という言葉が私には印象的だったが、あの報道のやり方ではその言葉の本当の意味は一般人に伝わってこない。山が死ねば、川も死ぬ。川が死ねば、海も死ぬのである。中津・小祝の漁師さん達が、数年前から山国川上流の山林の手入れを手伝うようになったが、漁獲高が激減し瀬に腹を変えられなくなっての行動である。
四国・九州は特に山の面積が多く、高知県や大分県で漁師が山の手入れに入る同様の取り組みが各所で行われている。環境問題を我々都市に住む大人がもっと勉強すべきだと思う。
今日の写真は、問題の竹林写真。
宮若市、犬鳴川沿いの里山の状況だが、意識して見渡すとほぼ全ての里山が竹林の浸食を受け、山全体を覆っているものも多い。 (この写真を撮影したのは3月13日)