記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

KBC「発見!九州スピリット」2023年4月は「因幡町物語(全5回)」です。

2023年04月16日 20時41分01秒 | 福博まちの記憶

毎週土曜日の夜に放送されているKBC「発見!九州スピリット」、2023年4月のテーマは「因幡町物語」です。ご縁をいただき久しぶりに企画協力・監修役でお手伝いさせていただきました。全5回の放送です。

因幡町(いなばちょう)は現在の天神・明治通りの旧町名が「天神町(てんじんのちょう)」だったことと同じで、旧福岡城下町の東の端にあたる現在の天神地区(天神1丁目〜5丁目)の旧町名のひとつ。福岡市役所とベスト電器本店の間の道が旧「因幡町」です。天神コア&天神ビブレとイムズの間から、渡辺通りを挟んで天神サザン通りが因幡町に当たり、ジュンク堂福岡店が入居していたMMTビルの場所で創業したのが「因幡うどん」でした。

因幡町をテーマにと相談を受けた際、問題だったのが旧因幡町のエリアの説明と、戦前の界隈の街並みなどの写真がほとんど無いことです。天神ビジネスセンタービルと福岡ビル(建設中)の間の道路は、戦災復興都市計画&街路計画に沿って終戦後に整備されたもので、通りの南側半分にあたる因幡町に面して1947(昭和22)年11月に開設されたのが引揚者や被災者で構成された「因幡町商店街」でした。のちの天神ビブレとMMTビル(ジュンク堂入居)です。

2014(平成22)年2月、福岡市はこの通りを「因幡町通り」と名付けました。2022(令和4)年8月、この通りの地下に開設されたのが「因幡町通り地下通路」が開設され、完成した天神ビジネスセンタービル(天神ビッグバン第1号ビル=旧西日本ビルなど)地下飲食店街に「イナチカ」という名前も付けられました。

天神ビジネスセンタービルのある敷地は、旧町名でいえば因幡町ではなくて天神町。普通はそれほど目くじら立てなくてもいいのですが、今回のような歴史経緯を取り上げる番組では、意外にとてもややこしい事になります。若い担当ディレクターさんに説明するだけでも神経を使いました。

というのも昔あったという「因幡町山」について取り上げたいという副題があったためです。天神コアと天神ビブレ、二つのビルの間には3段ほどの高低差がありました。これが「因幡町山」の名残りだと、昔の福岡市の歴史などを書いた書籍に記載されていますが、山があったという具体的な位置や証拠写真が必要となると、過去発刊された書籍等には文章だけで出てきません。30年近く、福岡市の近代資料を発掘蒐集してきた私の手元には、それらを証明する資料もいくつかあります。

実は、上の写真(絵葉書)には埋め立てられたばかりの「肥前堀」と「因幡町山」が映っています。堀の埋立地と北側には2mほどの高低差と小高い丘のようなものが見えます。松の木などが生えている部分です。天神交差点付近の標高はアプリ「スーパー地形」で調べてみると約3.7mですが、愛眼ビル付近になると2.7m、昔は川(薬院川)だったという国体道路になると1.9mと、南へ行くほど低くなっています。

上の図は、1910(明治43)年に肥前堀埋立地で開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の会場図です。この図は南北が逆転しているのでややこしいですが、会場敷地のうち肥前堀を埋立てた敷地は4割ほどで、会場北側は「因幡町」を境にして、南側は「渡辺通り」に名前を遺す呉服商「紙与」の渡辺與八郎が私費で整地して、会場に組み込まれた土地でした。

現在、西日本新聞会館(大丸本館・エルガーラ)や中央警察署、福岡済生会病院などがある区画です。薬院川に挟まれた湿地帯は法印田(ほういんでん)という地名で、実はココは明治末までは福岡市外(筑紫郡警固村)でした。警固神社などは当時から福岡市でしたが、渡辺通りを挟んだ西側のソラリアターミナルビル(福岡三越等)も大半が当時は福岡市ではありません。

上の共進会の写真(絵葉書)は、会場の南端である渡辺與八郎が埋立てた区画に建つ展望閣(五重塔)を望むもの。今回の「発見!九州スピリット」因幡町物語では、この辺りについても詳しく触れていただきました。このブログを投稿した4月16日の時点であと2回の放送が残っています。

ご興味ある方は、ぜひご覧ください。

天神の過去と今をつなぐ(西日本新聞meの連載)

・にしてつWebミュージアム(企画構成を担当)

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