記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

原爆や火災の難を奇跡的に免れた吉田初三郎「長崎市鳥瞰図」絹本肉筆画が長崎歴史文化博物館で限定初公開!

2022年08月05日 23時42分15秒 | 吉田初三郎

長崎歴史文化博物館よりご案内をいただき、2022年8月4日は同館の特別展「西九州新幹線開業記念展〜ながさき・かもめ今昔」を観覧させていただきました。特別展は2022年7月16日(土)から8月28日(日)まで開催されています。

令和4年(2022)9月23日に開業を迎える西九州新幹線、この企画展では長崎地方の鉄道史を貴重な資料群から学び、プラレールやグッズなどを大人も子供も楽しめるとあって、夏休みにぴったりのイベントです。

今回、博物館からご連絡をいただいたのは、展示品のなかに鳥瞰図絵師・吉田初三郎の「長崎市鳥瞰図」絹本彩色肉筆画があるからです。この図の詳細や価値について、研究者である私に相談をいただき、現地へ駆けつけて確認した次第です。

鳥瞰図は幅230センチほどの額装、経年劣化による退色や傷があるものの、1934(昭和9)年に印刷パンフレット(折図)が刊行された「景勝の長崎」の肉筆画であることを確認できました。

この肉筆画とツイになる絹本肉筆画が、吉田初三郎のご遺族(2代目・吉田朝太郎氏)宅に眠っていた「長崎市鳥瞰図」です。2005年、ご遺族宅を初めて訪問した際にこの図の存在を知り、ご遺族から譲り受けて私が保管してきたものです。以下、初三郎ご遺族が保管していた肉筆画。退色もなく綺麗な状態です。

当初から印刷物とは、構図は同じものの細部の描き込みが微妙に異なるため、別に完成・納品された肉筆画があるだろうと推察していましたが、1945(昭和20)年8月の原爆投下により消失した可能性が高いと思っていました。実際、長崎県庁にあった初三郎の「雲仙岳」肉筆屏風絵は県庁舎の崩壊で焼失しています。

収蔵されて今日までの凡その経緯を、わかる範囲で伺いました。長崎市産業課の依頼で博覧会PR目的で制作納品された肉筆画は、長崎市役所に額装掲出されていたようです(以下は印刷版の一部)。

1945(昭和20)年8月の原爆で市役所庁舎は奇跡的に焼失を免れ、その後1958(昭和33)年には当時の市役所庁舎が火災に見舞われましたが、ちょうど新庁舎(現在の長崎市役所)が完成目前で、この肉筆画は他の資料備品と一緒に引っ越しに備えて他所へ移動保管中だったため、この時も焼失を免れています。

その後は2005(平成17)年に長崎県が運営する長崎歴史文化博物館が開館するまで、長崎市立図書館に収蔵されていたそうですが、額装の大きなものだったこともあり展示されずに収蔵庫に眠っていたようです。管理が長崎市から長崎県に移ったあとも、この鳥瞰図が展示などで公開されることはなく、今回初めて展示機会に恵まれたのだそうです。

今回の肉筆画と私が保管する「長崎市鳥瞰図」肉筆画、なぜ2枚あるのかという「謎」の解明はそれほど難しくはありません。完成した鳥瞰図を依頼主に確認(校正)してもらい、訂正や修正を加えることはよくあることだったからです。実際、他に遺る肉筆画には修正した形跡が残るものも多々あります。

おそらくは「船をもっと大きく描く、航路をはっきりと」など、部分的な訂正では対応できない修正依頼となり、同じ下絵をもとにもう1枚描き直して納品したものと考えられます。完成納品が今回の肉筆画、修正前の最初の完成品がご遺族の元にあったものと考えるのが妥当でしょう。今回の展示終了後、博物館側と双方の作品の詳細比較なども行われることになりそうです。

原爆投下前の戦前の長崎市の街並みが克明に描き込まれ、原爆の難を免れ、火災の難も免れ、いつしか忘れ去られた存在だったものが、2022年の長崎原爆の日を前にその存在が明確となり、私のような研究者の元へ情報が寄せられたことに、奇跡や運命を感じます。

初三郎は長崎に原爆が投下される前日の8月8日夜、疎開先の熊本県葦北郡佐敷の蟄居画室で空襲に遭っています。そのとき描いていた「阿蘇大観図」絹本肉筆画は、熊本・水俣出身の徳富蘇峰からの依頼品でしたが、空襲による破弾が絹本を直撃していますが辛うじて無事でした。完成後に蘇峰へ贈られ、現在も神奈川県の徳富蘇峰記念館に収蔵され現存しています。

前日7日、初三郎は熊本県知事らの依頼により、山鹿市の松尾敬宇中佐(海軍軍神)生家を訪問して、製作した「菊池史跡図」や菊池武時公らの肖像画や風景画(いずれも肉筆画)を届けてそのまま一泊しています。陸軍の命により複数回にわたり戦地(中国大陸)へ渡って戦績図を描き、海軍の依頼で真珠湾攻撃や太平洋戦争海戦の鳥瞰図も描くなど戦争と向き合った初三郎は、終戦後に広島図書の依頼で被爆地広島を訪れ、5ヶ月にわたる被爆地取材や証言収集を経て「HIROSHIMA(広島原爆八連図)」も描きました。この時に初三郎自身も被爆したようで、その後の日記には容体が急激に悪化したことや闘病が記され、ご遺族の証言によれば、晩年は原爆症のような症状が出ていたとのこと。

今回の「長崎市鳥瞰図」絹本彩色肉筆画が「発掘」展示されたのは、彼が生前に語っていた「50年後、100年後の人々が私の描いた記録画(鳥瞰図)を観て、どう思うだろうか」を体現する機会なのかもしれません。

吉田初三郎の鳥瞰図ファンだけでなく、長崎市の近現代史に興味がある方々に、ぜひ今回の貴重な展示機会の観覧をお勧めします。8月28日(日)までの展示、必見の価値がある肉筆画です。ご担当の学芸員さんたちも話されてましたが「ずっと観ていられる素晴らしい作品」であることは間違いないです。

現地で鳥瞰図など展示品の写真撮影はできません(本ブログでの画像公開も同様)。初三郎の印刷版鳥瞰図は、他にも展示されていますので、ぜひ現地でご覧ください。

以下は、長崎市鳥瞰図の構図に近い、稲佐山からのパノラマ写真(長崎歴史文化博物館より提供)です。

拙著「美しき九州〜大正広重・吉田初三郎の世界」残数わずか!

 

 


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